労働の解放をめざす労働者党

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労働の解放をめざす労働者党(ろうどうのかいほうをめざすろうどうしゃとう、略称:労働者党)は、共産同系の新左翼党派。共産主義者同盟共産主義の旗派(共旗派)の流れを汲む。1963年に全国社会科学研究会(全国社研)として結成され、1972年にマルクス主義労働者同盟(マル労同)、1984年に社会主義労働者党(社労党)、2002年にマルクス主義同志会、2017年に労働者党へと組織を再編した。指導者は一貫して林紘義(2021年死去)。

概要[編集]

60年安保闘争の敗北後、日本共産党日本社会党を「右の日和見主義」、新左翼の急進勢力を「"左"の日和見主義」だと否定して結成されたサークル組織がはじまり。後に政治組織へと改組され、70年代から90年代初頭に革命的議会主義の立場から国政選挙や地方選挙に挑戦しているが1度も議席獲得には至っていない。サークル組織への後退を経て、2017年に「労働の解放をめざす労働者党」が結成された。党名に用いている「労働の解放」は「社会主義」と基本的に同じ概念であり、労働価値説の立場から資本主義のみならず「市場経済」そのものが廃絶されなければならないと主張している[1]。活動は全国各地での集会、セミナー、学習会などの開催、機関紙誌やビラ配布による情宣活動・啓蒙活動、出版物による理論活動など。2017年の衆議院議員選挙、2019年と2022年の参議院議員選挙を「ホップ・ステップ・ジャンプの闘い」と称し、2017年の衆院選と2018年の参院選に確認団体として候補者を擁立したが当選には至らなかった。

1960年代からソ連中国の体制を「国家資本主義」と規定している。既にトニー・クリフ対馬忠行らがソ連は高度な段階の資本主義であるとする説を唱えていたが、これとは逆にソ連型体制は低い段階の資本主義であり、やがて「自由資本主義」に移行するという説は林紘義が初めて唱えた[2]。社共が「社会主義国家」として美化する中で、あるいは新左翼勢力が「堕落した労働者国家」や「過渡期社会」と規定する中では異端的な主張であったが[3]、その先見性は学術的にも認められるようになっている。

  • 代表者:林紘義(代表委員会議長、2021年死去)→田口騏一郎
  • 機関紙:『海つばめ』(隔週刊)
  • 機関誌:『プロメテウス』(不定期刊)
  • 所在地:東京都練馬区春日町1-11-12-409 全国社研社
  • 勢力:「全国で25くらいの支部と、シンパなども含めて2、300程度」[4]

歴史[編集]

共産主義の旗派[編集]

1958年に結成され、安保闘争後の1960~1961年に分派闘争の中で解体した共産主義者同盟(ブント)の流れを汲む。1960年にブントが革命の通達派(革通派)、プロレタリア通信派(プロ通派)、戦旗派の大きく3つに分裂。1961年にプロ通派の林紘義(栗木伸一)、田川和夫が「共産主義者同盟共産主義の旗派」(共旗派)を結成した[5](プロ通派の一部が1月に機関紙『共産主義の旗』を創刊し、2月25日に分派として共旗派結成を宣言[6])。1961年12月に分派闘争の中止と「日本共産労働党」の結成を呼びかけ、東京で結成準備会(委員長・田川和夫)を開催し、1962年4月に結党した[5][7]。この大ブント構想は失敗し、委員長の田川は1963年4月の革共同第三次分裂時点で革共同・中核派に加盟した[7]。1962年12月に共旗派は「共産主義者同盟」を名乗り、林が委員長となったが、少数派に留まった[5]

『内閣官房調査月報』によると、共旗派は信州大学岐阜大学新潟大学の学生、東京の労働者数十名の勢力で、共旗派が結成した日本共産労働党は「正統レーニン主義と暴力革命の必然性」を主張している[8]。『前衛』の広谷俊二の論文によると、日本共産労働党は新潟大学、信州大学の一部におり、東北大学にもいる[9]

全国社会科学研究会[編集]

「プロ通派」-「共旗派」の流れを汲む林紘義らのグループが[10]、1963年12月に革命的サークル「全国社会科学研究会」(全国社研)を結成した。理論誌『科学的共産主義研究』を創刊、1966年5月にはレーニンの『イスクラ』に因んだ機関紙『火花』を創刊した。会員は全国で3~40名。「社共にかわる真のプロレタリア社会主義党」の準備を任務とし、社共の日和見主義だけでなく「新左翼の腐敗した急進主義」にも反対するとして「『左』右の日和見主義反対!」のスローガンを掲げた。五ヵ条の簡単な規約を持つだけの小サークルであったが、1967年7月の第二回大会で準綱領的性格を有する決議を採択した。さらに1969年5月の第三回大会では初めて公式にソ連中国を「国家資本主義」と規定した[11]

マルクス主義労働者同盟[編集]

全国社研は1972年7月22日~23日の全国社研第四回大会/マル労同第一回大会で政治組織「マルクス主義労働者同盟」(マル労同)に移行した。この大会で綱領・規約を採択し、2年後の参議院議員選挙に全国区から候補者を出すことを確認した[11]。労働者階級の闘いを基軸にする立場から赤軍派や中核派などの実力闘争路線を批判し[12]、「議会の革命的利用」を主張、1974年の参議院議員選挙に政治局員の江波進一(池尾正勇哉)を全国区から立候補させた[13]。1976年、1979年、1980年の衆議院議員選挙、1977年の参議院議員選挙にも参加。1980年の参議院議員選挙では全国区1名、地方区9名の候補者を立て、計22万票を獲得した[14]

日本防衛問題研究会菊池義郎会長)によると、「街頭闘争は行わず、中小企業労働者を中心とした組織拡大を企図したメーデー会場などで情宣活動を行っている」[15]大歳成行によると、同盟員数百の弱小党派だった[16]

社会主義労働者党[編集]

1984年5月5日にマル労同は「社会主義労働者党」(社労党、委員長:林紘義)に改称し、「真の闘う労働者党」へ脱皮したと宣言した[17]。マル労同の機関紙『火花』第626号(1984年3月4日)は党名について、「マル青同」(毛沢東思想の影響を受けたブント系党派)や「マル学同」(革マル派・中核派の学生組織)と混同されやすく、ある種の「新左翼的な」ニュアンスがあるため、それが労働者に党の一定の「体質」として意識されるのは避けられないだろう、としていた[11]

傘下団体は全国社会科学研究会、本部所在地は東京都豊島区南池袋の全国社研社。立花書房の書籍によれば、1985年6月現在、勢力は約300名[18]公安調査庁から流出した内部文書とされるものによれば、1991年10月現在、構成員数は約180名[19]

1991年秋に民族問題をめぐる対立から党内闘争が始まり、阿部治正酒井雅巳ら党中央批判派は「社会主義労働者党改革協議会」(社労党改革協議会)を結成して活動した[20]。1992年11月の社労党第9回大会で阿部、酒井は除名された[21]。『プロメテウス』の里見申一の論文によると、1992年末に社労党から分裂した党中央批判派は「新しい労働者党をめざす全国協議会」(協議会派)を結成した[22]。「ワーカーズ・ネットワーク」によると、1991年に「新しい労働者党をめざす全国協議会」が結成され、後に「ワーカーズ」に改称した[23]。「ワーカーズ・ネットワーク」の阿部治正によると、1992年末に社労党から集団離脱した人々が「新しい労働者党をめざす全国協議会」(協議会。機関紙『ワーカーズ』)を結成し、後に「ワーカーズ」に改称した[24]

1994年末にスリランカ人民解放戦線の評価などをめぐって、協議会の5つの支部と半数近くの会員が集団離脱し、組織名・機関紙名が同じ「新しい労働者党をめざす全国協議会」を結成した。後に組織名を「ワーカーズ・ネットワーク」、機関紙名を『Workers』に改称した[24]。また協議会から「問題を起こした「責任を取る」かっこうで退会した人々」が「グループ95」を結成し[24]、後に「社会主義連盟」(機関紙『ひらく』。酒井雅巳ら)に改称した。1997年にペルートゥパク・アマル革命運動の評価などをめぐって、「ワーカーズ・ネットワーク」から「イング・ネットワーク」(機関紙『ing』。小川紀ら)が分裂した[24][25]。2004年11月に「ワーカーズ」と「ワーカーズ・ネットワーク」は再統合して「ワーカーズ・ネットワーク」(機関紙『ワーカーズ』)を結成した[26]

マルクス主義同志会[編集]

2002年11月3日、社労党は「党の実態を欠き、党としての闘いを構築できない状態」にあるとして、党を解散。新たにサークル的な組織である「マルクス主義同志会」を結成した[27]

2003年に中央委員の横井邦彦が離脱。横井は「赤星マルクス研究会」を名乗り、インターネット上でマルクス主義同志会への批判を展開した。

労働の解放をめざす労働者党[編集]

2017年4月、マルクス主義同志会の第13回大会(「労働の解放をめざす労働者党」結成大会)で、同志会の解散、労働者党の再建、国政選挙・議会闘争への復帰を決議した[28]

2017年9月19日に総務大臣届出の政治団体となった[29]。2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では、神奈川県第11区に元高校教諭で党代表委員の圷孝行を擁立したが、落選した[30]

2018年3月下旬に臨時大会を開催し、2019年に予定されている第25回参議院議員通常選挙に確認団体として10名の候補者を擁立することを決定した[31]

2018年11月、党議長の林紘義が脳梗塞で緊急入院[32]。これに伴い翌年1月の臨時大会で参院選候補者の再編が行われた[33]

選挙歴[編集]

2017年までに10回の国政選挙と各地の地方選挙に公認候補者を擁立しているが、一度も議席獲得には至っていない。供託金は合わせて約9000万円に上る。死票の多い小選挙区制や高額な供託金制度、厳格な政党要件は大政党や支配政党に有利な「不公正選挙制」だと批判している。

国政選挙
選挙名 投票日 選挙区名 備考
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 全国区
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月5日 神奈川1区・愛知6区・大阪2区
第11回参議院議員通常選挙 1977年7月10日 東京地方区・神奈川地方区・愛知地方区・大阪地方区
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月7日 神奈川2区
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 全国区・北海道地方区・埼玉地方区・千葉地方区・神奈川地方区・静岡地方区
愛知地方区・大阪地方区・兵庫地方区・福岡地方区・沖縄地方区
第36回衆議院議員総選挙 1980年6月22日 千葉1区・愛知6区
第14回参議院議員通常選挙 1986年7月6日 比例区・北海道選挙区・東京選挙区・埼玉選挙区・神奈川選挙区
愛知選挙区・大阪選挙区・兵庫選挙区・福岡選挙区・沖縄選挙区
第15回参議院議員通常選挙 1989年7月23日 比例区・大阪選挙区 比例区の名簿登載者は9名。
第39回衆議院議員総選挙 1990年2月18日 東京11区・兵庫2区
第48回衆議院議員総選挙 2017年10月27日 神奈川11区
第25回参議院議員通常選挙 2019年7月21日 比例区・北海道選挙区・神奈川選挙区・長野選挙区・愛知選挙区・大阪選挙区・広島選挙区 比例区の名簿登載者は4名。
地方選挙
選挙名 投票日 選挙区名 備考
東京都議会議員選挙 1985年7月7日 大田区
静岡県議会議員選挙 1987年4月12日  ? 第11回統一地方選挙
静岡県議選は供託金返還
名古屋市議会議員選挙 1987年4月12日
所沢市議会議員選挙 1987年4月26日
寝屋川市議会議員選挙 1987年4月26日
新居浜市議会議員補欠選挙 1987年 供託金返還
静岡市議会議員選挙 1991年4月27日 第12回統一地方選挙
新居浜市議選は供託金返還
新居浜市議会議員選挙 1991年4月27日

出典:労働の解放をめざす労働者党編『我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い』全国社研社、2018年、84頁。同書には立候補者名・得票数・得票率・供託金の額も記載されている。

機関紙誌[編集]

新宿の模索舎、名古屋のウニタ書店などで取り扱っている。

機関紙

『海つばめ』:隔週刊(隔週日曜日発行)、A3版2ページ、一部50円(税込み54円)。

紙名 刊行巻次 出版社
火花 1号(1966年5月)~636号(1984年4月29日) 全国社研社
変革 1号(1984年5月13日)~166号(1987年9月23日)
週刊労働者新聞 167号(1987年10月4日)~527号(1995年3月26日)
海つばめ 528号(1995年4月2日)~
機関誌

『プロメテウス』:不定期刊、A5判、一部800円(税込み864円)。最新号は第58号(2017年8月1日発行)。

誌名 刊行巻次 出版社
科学的共産主義研究 1号(1963年)~31号(1972年7月) 全国社研編集委員会
科学的共産主義 32号(1972年11月)~71号(1988年冬季) 全国社研社、発売:ウニタ書舗
労働と解放 1号(1988年1月)~36号(1990年12月)
プロメテウス 1号(1991年春季)~46/47号(2004年9月)
48号(2005年10月)~53号(2010年5月) 全国社研社
54号(2010年10月) ういんぐ、発売:星雲社
55号(2010年10月)~57号(2013年8月) 全国社研社、発売:星雲社
58号(2017年8月)~ 全国社研社

主要参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. 労働の解放をめざす労働者党編『我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い』全国社研社、2018年、68頁
  2. 用語解説:ソ連=国家資本主義論 松尾匡のページ
  3. 林紘義著作集全六巻第二巻幻想の社会主義(国家資本主義の理論) ういんぐ出版企画センター
  4. 労働の解放をめざす労働者党編『我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い』全国社研社、2018年、82頁
  5. a b c 社会問題研究会編『全学連各派――学生運動事典 増補改訂'70年版』双葉社、1969年、108-109頁および全学連関係組織図
  6. 我々の闘いの軌跡――「共産主義の旗」派――1961年の闘い 労働の解放をめざす労働者党
  7. a b 板橋真澄「田川和夫」、戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、176-177頁
  8. 「全学連派閥の現況について」『内閣官房調査月報』第84号、1962年12月
  9. 広谷俊二「学生運動の当面する情勢と発展の方向」『前衛』第209号、1963年4月
  10. 日本社会主義運動史 マルクス主義同志会
  11. a b c 我々の闘いの軌跡――マル労同10年の闘い 労働の解放をめざす労働者党
  12. 松村良一「マルクス主義労働者同盟」、戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、267頁
  13. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、130頁
  14. 高木正幸『新左翼三十年史』土曜美術社、1988年、211頁
  15. 防衛時報社編集部編『日本の防衛 1978年度』日本防衛問題研究会、1978年、258頁
  16. 大歳成行『安保世代1000人の歳月――国会突入の日から…』講談社、1980年、214頁
  17. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、130頁、322-323頁
  18. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、253-258頁
  19. 角田富夫編『公安調査庁㊙文書集――市民団体をも監視するCIA型情報機関』社会批評社、2001年、121頁
  20. 『プロメテウス』第8・9号(1993年冬季・春季合併号)、1993年1月
  21. 一年間の党内闘争に決着」『週刊労働者新聞』第415号、1992年11月29日
  22. 里見申一「協議会派はいかにして社会主義と労働運動の結合を実現するのか――協議会派の実践指針批判」『プロメテウス』第16号(1995年冬季号)、1994年11月
  23. 「ワーカーズ」と「ワーカーズ・ネット」について ワーカーズ・ネットワーク
  24. a b c d 過ぎ去りし90年代――その私的総括 ワーカーズ・ネットワーク
  25. イング・ネットワーク イング・ネットワーク
  26. ワーカーズ・ネットワーク結成のお知らせ ワーカーズ
  27. 我々の闘いの軌跡――社労党からマルクス主義同志会へ 労働の解放をめざす労働者党
  28. 労働の解放をめざす労働者党 綱領・規約 労働の解放をめざす労働者党
  29. その他の政治団体一覧(2976団体)PDF”. 総務省. 2018年10月25日確認。
  30. 第48回衆院選 神奈川11区 圷孝行 結果 毎日新聞
  31. 海つばめ第1324号 2018年4月8日
  32. 海つばめ第1341号 2018年12月9日
  33. 海つばめ第1344号 2019年1月27日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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