安保闘争
安保闘争(あんぽとうそう)は、アメリカ合衆国(以下:アメリカ)との日米安全保障条約改正によって日本で発生した騒動。また、自民党などの右派政党などでは安保騒動とも呼ばれる。
本項では1960年闘争・1970年闘争どちらも記述する。
概要[編集]
1960年闘争[編集]
GHQによる日本の戦後統治が1952年にサンフランシスコ平和条約の締結によって終了し日本は独立したが、冷戦構造の中影響力を強めるソ連や1949年に成立した共産主義国家の中華人民共和国など周りを東側陣営[注 1]に囲まれているなど資本主義の国家の日本の共産主義化にアメリカは強い脅威を抱いていた。その中で、1960年に当時総理大臣を務めていた岸信介は訪米しアイゼンハワー大統領と共に新しい安保条約を締結した。しかし、これに対し新左翼の筆頭である全学連などは新安保条約に対して強く反発、日本社会党などの左翼政党も反発し大規模な反米運動を起こした。また、国民が終戦からまだ時間が経っておらず戦争に対して非常に否定的であり、東條内閣の官僚も務めており、一時公職追放処分を受けていた岸信介に関して反感があったこともあり、一部の国民も運動に参加した。なお当時ソ連も左翼勢力に援助していたことを元ソ連のスパイが明かしている。結果として新安保条約は議会で強硬的に採択されたが岸信介は辞職し、内閣は総辞職した。
ただし自由民主党の紹介では岸信介が、安保改正によって「人心一新」と「政局転換」の必要性を痛感し、辞任したとしている[1]。
1970年闘争[編集]
1960年闘争で締結された新安保条約は10年での自動延長であったためこれを阻止しようとして運動が起こった。国民からの支持はあったようだが新左翼内での内ゲバなどが起き[2]、国民の表立った支持は得られず1960年闘争とは違い、あまり運動は大きくならなかった。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ “岸信介総裁時代”. 2023年9月28日確認。
- ↑ “内ゲバ殺人の狂態を巡って”. 大藪龍介. 2023年9月28日確認。