林紘義

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日[1] - 2021年2月10日)は、新左翼活動家。マルクス主義労働者同盟(マル労同)委員長、社会主義労働者党(社労党)中央執行委員長[2]、マルクス主義同志会代表、労働の解放をめざす労働者党(労働者党)代表委員会議長を務めた。筆名・栗木伸一[3]

略歴[編集]

長野県上田市生まれ、同県伊那谷出身。教師だった父の異動に伴い転居・転校を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業[4]。高校から大学にかけて小説家になることを志望していた[1]

1957年東京大学に入学。1958年5月に青木昌彦の勧誘で日本共産党に入党したが[5]、1959年2月1日の共産党東大駒場細胞の細胞会議で共産主義者同盟(ブント)に移行した[1]。ブントでは青木昌彦・樺美智子清水丈夫西部邁坂野潤治らとともに活動した[5]。1958年から1960年に東大教養学部自治会役員、東京都学連執行委員・副委員長として、勤務評定反対闘争、60年安保闘争に参加[6][4]。1959年11月27日の国会突入闘争で逮捕され、1960年1月28日に保釈。1960年5月19~20日の徹夜デモの責任を問われて再び逮捕され、7月23日に保釈[7]。1961年12月に懲役6ヶ月の有罪判決を受けた[8]。1962年東京大学文学部卒業[9]。同大学大学院博士課程中退(農業経済学専攻)[6]

ブントの分派闘争では「共産主義者同盟プロレタリア通信派」(プロ通派)に所属。1961年2月に田川和夫と分派宣言を行い「共産主義者同盟共産主義の旗派」(共旗派)を結成した[10][11][12]。共旗派は1961年12月に分派闘争の中止と「日本共産労働党」の結成を呼びかけ、1962年4月に同党を結党し、田川和夫が委員長となった。1962年12月には「共産主義者同盟」を名乗り、林が委員長となったが、少数派に留まった[10]

1963年12月にサークルとして「全国社会科学研究会」(全国社研)を結成した。1972年7月に全国社研を改組して「マルクス主義労働者同盟」(マル労同)を結成し[1][13]、委員長[1]、政治局員を務めた[3]。1984年にマル労同を改組した「社会主義労働者党」(社労党)の結成に参加[4]、委員長となった[14]。2002年に社労党は解散して「マルクス主義同志会」に移行、その会員となり、代表を務めた[4]。2017年にマルクス主義同志会を改組した「労働の解放をめざす労働者党」(労働者党)の結成に参加、代表委員会議長となった[15]。国政選挙に組織内候補として複数回立候補したが、いずれも落選した。

2018年11月に脳梗塞で緊急入院[16]。2020年4月に脳内出血で再入院。2021年2月10日、死去。82歳没[17]

選挙歴[編集]

選挙名(投票日) 選挙区名 党派名 得票数 得票率 備考
第34回衆議院議員総選挙(1976年12月5日) 神奈川1区 マルクス主義労働者同盟 1,616票 0.325% 栗木伸一名義で立候補。
第11回参議院議員通常選挙(1977年7月10日) 神奈川地方区 マルクス主義労働者同盟 20,813票 0.8% 栗木伸一名義で立候補。
第14回参議院議員通常選挙(1986年7月6日) 比例区 社会主義労働者党 146,243票 0.26% 拘束名簿式の選挙。名簿登載者は林のみ。
第15回参議院議員通常選挙(1989年7月23日) 比例区 社会主義労働者党 139,682票 0.25% 拘束名簿式の選挙。名簿登載者は9名。
第25回参議院議員通常選挙(2019年7月21日) 比例区 労働の解放をめざす労働者党 18,000票 0.035% 労働者党全体の得票数は80,055.927票、得票率は0.16%。

出典:労働の解放をめざす労働者党編『我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い』全国社研社、2018年、84頁。

人物[編集]

1960年代からソ連中国などの体制を一種の資本主義だとする「国家資本主義」論を展開した。既にトニー・クリフ対馬忠行らがソ連は高度な段階の資本主義であるとする説を唱えていたが、これとは逆にソ連型体制は低い段階の資本主義であり、やがて「自由資本主義」に移行するという説は林が初めて唱えた。このような国家資本主義説の立場を取る論者に、大谷禎之介大西広松尾匡などがいる。松尾は「林の議論には納得できないことは山のようにあるが、この一点に関しては誰もかなわなかった、ひれ伏すしかない。 」と林の先見性を高く評価している[18]。田口弥一「戦後日本の国家資本主義論」(大谷禎之介、大西広、山口正之編『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』大月書店、1996年)は対馬忠行・林紘義の論理を跡付けている[19]労働の解放をめざす労働者党は林の2つ目の功績として「社会主義(共同体社会)における「消費財の分配法則」を世界で初めて発見したこと」をあげている[17]

全学連組織部長で東京女子大学教授の林道義は実兄。学生運動の世界では「東大の林兄弟」として知られていた[20]。林紘義は保守・反フェミニズムの立場をとる弟を私生活上の行状も暴露して厳しく批判している[21]。林道義はホームページ上で弟への反批判を発表している[22]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『我々の闘いの軌跡――"左"右の日和見主義に反対して 栗木伸一評論集』栗木伸一著、全国社研社、1979
  • 『宮本・不破への公開質問状――ハンガリー事件・スターリン批判・ポーランド問題について』全国社研社、1982
  • 『資本論学習会 第1期 「資本」の基礎としての「商品」』林紘義述、武三出版会編、武三出版会、1989
  • 『変容し解体する資本主義――“管理通貨制度”とは何か、そしてそれは歴史的に何を意味するか』全国社研社、1996
  • 『哀惜の樺美智子――60年安保闘争獄中記』三一書房、1997
  • 『林紘義著作集』全6巻、ういんぐ・出版企画センター
    • 「第1巻 「労働価値説」擁護のために――一切の俗流学派とりわけ宇野学派に反対して」1998年
    • 英訳:Hayashi Hiroyoshi, Marx's Labor Theory of Value : A Defense, trans. by Roy West, Bloomington (Indiana): iUniverse, 2005
    • 「第2巻 幻想の社会主義(国家資本主義の理論)――スターリン、毛沢東の体制はなぜにいかにして資本主義に進化したか」1998年
    • 英訳:Hiroyoshi Hayashi & Kennichi Suzuki, "Socialism" Stalinist or Scientific : The Marxist Theory of State Capitalism, trans. by Roy West, Tokyo: Zenkokushakensha, 2000
    • 「第3巻 腐りゆく資本主義――バブル、企業腐敗、金融危機、国家解体……」1998年
    • 「第4巻 観念的、宗教的迷妄との闘い――黒田寛一、宇野弘蔵、広松渉、林道義等批判」1999年
    • 「第5巻 女性解放と教育改革――そして文学の有りようについて」1999年
    • 「第6巻 民族主義、国家主義に抗して――ガイドライン法、日の丸・君が代、そして天皇制」1999年
  • 『女帝もいらない 天皇制の廃絶を――憲法改定の最優先課題』全国社研社、2005
  • 『教育のこれから――「ゆとり」から「競争」 そして「愛国教育」でいいのか』全国社研社、2006
  • 『不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解――マルクス主義をjargonにすりかえて』全国社研社、2007
  • 『『家族、私有財産及び国家の起源』を探る――ブルジョア学者・モルガンに追随したエンゲルス』全国社研社、2008
  • 『崩れゆく資本主義、「賃金奴隷制」の廃絶を――資本の無政府主義の横行闊歩そして蔓延する国家の無政府主義』全国社研社、2009
  • 『まさに「民主党らしさ」そのものだった――鳩山政権の九ヵ月』ういんぐ、2010
  • 『「核エネルギー」はなぜいかにして「危険」か――原発事故の責任を問う前に再稼働は認められない』ういんぐ、2011
  • 『人類社会の出発点 古代的生産様式――「アジア的生産様式」論の復活を』全国社研社、2012
  • 『第一次安倍政権の二大“前科”を問う――教育基本法と従軍慰安婦問題で教育・報道への政治介入』全国社研社、2013
  • 『「アベノミクス」を撃つ――カネをバラまくことで国も経済も救えない』全国社研社、2013
  • 『「資本」の基礎としての「商品」――『資本論』を学ぶために』全国社研社、2015
  • 『日本共産党と『資本論』――マルクス主義の曲解とえせ解釈そして教条主義と修正主義』全国社研社、2016
  • 『林紘義遺稿集 第一巻 60年安保闘争から新たな政治組織結成向けて』全国社研社、2024

編著[編集]

  • レーニン『レーニンの言葉』近代思想研究会編、芳賀書店、1969/栗木伸一編著、芳賀書店、1974

分担執筆[編集]

  • レーニン生誕百年記念論文刊行会編『レーニンの今日的意味』パピルス、1970
  • 全国社会科学研究会編集委員会編著『国際共産主義・労働運動史――その苦悩と闘いの歴史』全国社会科学研究会、1971
  • 全国社会科学研究会編集委員会編著『スターリン体制から「自由化」へ――現代「社会主義」体制論 国家資本主義の内的「進化」のあとづけ』全国社会科学研究会、1972
  • 島成郎記念文集刊行会編著『60年安保とブント(共産主義者同盟)を読む――島成郎と60年安保の時代2』情況出版、2002
  • 労働の解放をめざす労働者党編『我々はいかに闘ったか――神奈川11区の闘い』全国社研社、2018

脚注[編集]

  1. a b c d e 大歳成行『安保世代1000人の歳月――国会突入の日から…』講談社、1980年、211-214頁
  2. 『林紘義著作集』の紹介 労働の解放をめざす労働者党
  3. a b 社労党出版案内:『我々の闘いの軌跡』 社会主義労働者党
  4. a b c d 労働者党代表であった林紘義さんの経歴 労働の解放をめざす労働者党ブログ、2021年2月18日
  5. a b 林紘義「西部邁の自死」労働の解放をめざす労働者党ブログ、2018年1月27日
  6. a b 林紘義を国会へPDF労働の解放をめざす労働者党
  7. 町田勝「林紘義著 『哀惜の樺美智子』――60年安保闘争獄中記」『海つばめ』第649号、1997年10月12日
  8. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1962年版』日本社会党機関紙局、1962年、112頁
  9. 林紘義著作集全六巻 ういんぐ出版企画センター
  10. a b 社会問題研究会編『全学連各派――学生運動事典 増補改訂'70年版』双葉社、1969年、108-109頁および全学連関係組織図
  11. 板橋真澄「田川和夫」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、176-177頁
  12. 我々の闘いの軌跡――「共産主義の旗」派――1961年の闘い 労働の解放をめざす労働者党
  13. 我々の闘いの軌跡――マル労同十年の闘い――新党への移行を目前に 労働の解放をめざす労働者党
  14. 「昭和61年7月6日執行 参議院比例代表選出議員選挙公報」
  15. 参院選を闘う10名の面々――比例区2位は林紘義さん」『海つばめ』第1331号、2018年7月15日
  16. 海つばめ第1341号 2018年12月9日
  17. a b 林紘義さんへの哀悼 理論家としての優れた功績 労働の解放をめざす労働者党、2021年2月18日
  18. 用語解説:ソ連=国家資本主義論 松尾匡のページ
  19. 杉本昭七「大谷禎之介ほか編『ソ連の社会主義とは何だったのか』」『ロシア・ユーラシア経済調査資料』1996年10月号 No.773
  20. 大歳成行『安保世代1000人の歳月――国会突入の日から…』講談社、1980年、154頁
  21. 第四巻観念的、宗教的迷妄との闘い ういんぐ・出版企画センター
  22. 父性7 林道義のホームページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが林紘義の項目をおカタく解説しています。