トニー・クリフ
トニー・クリフ(英語:Tony Cliff,1917年5月20日 - 2000年4月9日)は、トロツキスト活動家。本名は Yigael Gluckstein(ヘブライ語:יגאל גליקשטיין)。現在のイスラエルでユダヤ人の家庭に生まれ、1947年にイギリスに移り、1950年代終わりまでにトニー・クリフの筆名を使うようになった。最終的に社会主義労働者党となる Socialist Review Group の創設メンバーであり、1977年に党の実質的な指導者となった。
経歴[編集]
トニー・クリフは Yigael Gluckstein という名前で、第一次世界大戦中に現在のイスラエルにあたるオスマン帝国の行政地区 Mutasarrifate of Jerusalem のジフロン・ヤアコヴで生まれた。第2次アリヤー(移民の波)でポーランドからパレスチナに渡ったユダヤ人移民である Akiva と Esther Gluckstein の間に生まれた4人の子どもの1人。父親はエンジニア兼土建業者だった。2人の兄弟と1人の姉がおり、兄弟の Chaim は後に著名なジャーナリスト、映画評論家、翻訳家となった。姉の Alexandra の子がグラフィックデザイナーのデビッド・タルタコヴァで、クリフはタルタコヴァの叔父、タルタコヴァはクリフの甥にあたる。
イギリス統治下のパレスチナで育った。著名なシオニスト活動家で後にイスラエル首相となるモシェ・シャレットは家族の友人であり、頻繁に家族の家に訪れた。医師の Hillel Yaffe と農学者でシオニスト活動家の Chaim Margaliot Kalvarisky という2人の著名なおじがいた。若いときに共産主義者となったが、社会主義活動家になる前にメンバーと会わなかったためパレスチナ共産党には参加しなかった。しかしながら、社会主義シオニズムの青年運動「ハショメル・ハツァイル」に参加し、1933年にはトロツキストになっただけではなく、シオニズムに反対するようにもなった。他の「ハショメル・ハツァイル」のメンバーと共に非合法のパレスチナの革命的共産主義者同盟に参加し、3つの言語でいくつかの変名を使用した。
第二次世界大戦中はイギリス当局によって投獄された。釈放後の1947年にイギリスに移住したが国籍を得ることはことはできず、生涯無国籍のままだった。亡くなるまではっきりとしたイスラエル訛りで英語を話した。イギリス当局によって追放され、数年間はアイルランド共和国に住んだ。この期間中にダブリンの左翼サークルで活動し、下院議員を務めた Owen Sheehy-Skeffington やその妻の Andrée と知り合った[1]。妻の Chanie Rosenberg がイギリス国籍を持っていたために、クリフもイギリスに住むことを許されただけだった。ロンドンに住んでいたクリフは再び Revolutionary Communist Party(RCP、1944年結成)と共に活動し、リーダーシップを発揮した。ほとんどの場合、RCPの Jock Haston 周辺の支持者であり[2]、そのようにしてRCP内の派閥によって開始されたソ連と共産党が支配している国家の性質に関する論争に関与していった。この論争はイギリスの国有化産業に関する論争や、特にHastonとRCPがより批判的な立場となる東欧とユーゴスラビアにおける第四インターナショナルの国際的リーダーシップに関する論争と結びついていた。
RCPの解体によりクリフの支持者はゲリー・ヒーリーのグループ The Club に参加したが、自身はアイルランドに追放されたので参加しなかった。1950年に同じ名前の雑誌を基盤とした Socialist Review Group の立ち上げを手伝った。この雑誌は1960年に International Socialism 誌に取って代わられまでクリフが1950年代に執筆した主な出版物であり、1962年に廃刊となった。
クリフがイギリスでの永住権を得た時、The Club でのクリフの支持者はバーミンガム労働評議会の朝鮮戦争に関する社会主義者の政策の違いにより追放された。クリフの支持者は戦争のどちら側に対しても支持の立場を取ることを拒んだのだった。
イギリスでの居住権が確立していないためアイルランドに亡命している間は、Roger または Roger Tennant という筆名を使用していた。1959年に出版した『ローザ・ルクセンブルク』という短い本の初版が、おそらく「トニー・クリフ」という筆名を最初に使用したものである。1960年代に International Socialism 誌上で Roger, Roger Tennant, Sakhry, Lee Rock, Tony Cliff という以前の筆名の多くを復活させたが、Yigael または Yg'al Gluckstein という名前は使用されていない。
クリフのグループは1962年に国際社会主義(IS)に改名、メンバーは1960年の100名未満から1977年にはおよそ3000名にまで成長し、その時点で社会主義労働者党(SWP)に改名した。クリフは2000年に亡くなるまでSWPの主要メンバーだった。また労働者階級の状況の変化に対応するために行われたSWPの様々な方向転換の中心であった。特に70年代初頭のストライキの頻発後、クリフは70年代後半に労働者階級の運動は「低迷」(downturn)に入りつつあるとし、その結果として党の活動を根本的に変えるべきであると主張した。最終的にはクリフの側が勝つ激しい論争が続いた。トロツキストの文筆家でアメリカの国際社会主義機構(ISO)の長年の支持者であるサミュエル・ファーバーは、この期間にクリフによって確立された党内体制は「ソ連で1920年代半ばにジノビエフによって確立された政権を彷彿とさせ」、その結果として後にグループ内の様々な危機と分裂につながると主張した[3]。
クリフの経歴は彼自身が述べたように、彼が指導的なメンバーであったグループと分けることが出来ない。
イデオロギー[編集]
クリフはレーニンの党理論を現代に有効な形で作ろうと試みる伝統的なトロツキスト、革命的な社会主義者だった。彼の理論的な論文の多くは、その時々における党の当面の課題に向けられていた。
ほとんどのトロツキスト・グループでは、スターリン主義の政党によって支配され、国家計画と財産の国有化を特徴とする全ての国々は「堕落した労働者国家」(ソ連)または「歪曲された労働者国家」(東欧の多くを含むスターリン主義の国家)と見なされるべきであるという見解が一致している。クリフは多くの点でこの見解に対する主要な反対者であったが、クリフの批判者の何人かは彼の国家資本主義という見解を、例えばシャハトマン派のアメリカ労働者党の「官僚制集産主義」の理論など他の見解と関係付けることを求め続けた。しかしながら、クリフ自身はマックス・シャハトマンまたは Bruno Rizzi のような以前の理論の支持者からは何も負っていないと主張し、 Bureaucratic Collectivism – A Critique(1948年)でこれを明確にした。それにもかかわらず、1950年代にクリフのグループがシャハトマンのグループによって出版された文献を配布したこと、国際社会主義潮流の重要な柱の一つであると考えられている 'permanent arms economy' の理論がシャハトマンのグループに由来することを、クリフは認めようとしないという疑惑がある[5]。
著書[編集]
- The Problem of the Middle East (1946)
- The Nature of Stalinist Russia (1948)
- Stalin's Satallites in Europe (1952)
- Stalinist Russia: A Marxist Analysis (1955)
- Perspectives of the Permanent War Economy (1957)
- Economic Roots of Reformism (1957)
- Rosa Luxemburg: A Study(1959)
- Trotsky on Substitionism (1960)
- Deflected Permanent Revolution (1963)
- Incomes Policy, Legislation and Shop Stewards (with Colin Barker) (1966)
- France: The Struggle Goes On (with Ian Birchall) (1968)
- The Employers’ Offensive, Productivity Deals and how to fight them (1970)
- The Crisis: Social Contract or Socialism (1975)
- Lenin Vol. 1: Building the Party (1975)
- Portugal at the Crossroads (1975)
- Lenin Vol. 2: All Power to the Soviets (1976)
- Lenin Vol. 3: Revolution Besieged (1978)
- Lenin Vol. 4: The Bolsheviks and World Communism (1979)
- Class Struggle and Women’s Liberation, 1640 to today (1984)
- Marxism and trade union struggle, the general strike of 1926 (with Donny Gluckstein) (1986)
- The Labour Party, A Marxist History (with Donny Gluckstein) (1986)
- Trotsky Vol. 1: Towards October 1879-1917 (1989)
- Trotsky Vol. 2: The Sword of the Revolution 1917-1923 (1990)
- Trotsky Vol. 3: Fighting the Rising Stalinist Bureaucracy 1923-1927 (1991)
- Trotsky Vol. 4: The darker the Night, the Brighter the Star 1927-1940 (1993)
- Trotskyism after Trotsky, the origins of the International Socialists (1999)
- A World to Win: Life of a Revolutionary (2000)
- Marxism at the Millennium (2000)
- 邦訳
- 『ローザ・ルクセンブルグ』 浜田泰三訳、現代思潮社(現代新書)、1961年。新装版、現代思潮社、1968年。増補版、現代思潮社、1969年。浜田泰三、西田勲訳、現代思潮社、1975年。
- 『ロシア=官僚制国家資本主義論――マルクス主義的分析』 対馬忠行、姫岡玲治訳、論争社、1961年。
- 『現代ソ連論』 対馬忠行訳、風媒社、1968年。
- 『ソ連官僚制国家資本主義批判』 対馬忠行訳、風媒社、1968年。『現代ソ連論』の改題。
- 『現代中国革命論』 雪山慶正訳、風媒社、1968年。新装版、1971年。
- 『フランスの叛乱・五月闘争はつづく』 イアン・バーチャル共著、池田栄志訳、現代思潮社、1969年。
私生活[編集]
クリフは、党建設に必要なこととは直接関係しない活動のための時間をほとんど持たなかった(家族の世話は除く)。飲酒や喫煙はせず、あまり社交的ではなかった。妻の Chanie Rosenberg も、SRG、IS、SWPと引き続いてグループの活動的なメンバーだった。彼女はグループの出版物に社会問題の記事を書くだけでなく、定年退職するまでイギリス教員組合の活動家でもあった。さらに夫婦の4人の子どもの内3人がSWPのメンバーとなり、息子の Donny Gluckstein は父親と2冊の本を共同で執筆している。
クリフはタリク・アリの風刺小説 Redemption に 'the Rockers' の 'Jimmy Rock' として描かれている。
関連項目[編集]
注釈[編集]
- ↑ Andrée Sheehy-Skeffington, Skeff: The Life of Owen Sheehy-Skeffington, 1909-1970 (Lilliput Press, 1991), p. 101.
- ↑ The War and the International: A History of the British Trotskyist Movement, 1937–1949 (with Al Richardson), Socialist Platform, London 1986.
- ↑ Farber, Samuel (2013年8月8日). “Tony Cliff as a Socialist Leader”. Solidarity. 2014年1月31日確認。
- ↑ Birchall 2010.
- ↑ この疑惑は Jim Higgins のブックレット More Years for the Locusts から生まれたと考えられるが、International Socialism の第47号と第49号が T.N. Vance による The Permanent War Economy の本の著名な広告を載せていたという事実と矛盾するように思われる。T.N. Vance は現在この理論の創始者であると認められている。Higgins とクリフの両者が第49号の編集者に名を連ねている。
参考文献[編集]
- 記事
- Birchall, Ian (April 2010). “Tony Cliff remembered”. Socialist Review (London)
- 伝記
- Ian Birchall, Tony Cliff: A Marxist for His Time (London: Bookmarks, 2011)
外部リンク[編集]
- Tony Cliff Internet Archive, biography and collection of his writings from 1938–2000 on Marxists.org.
- "50 Years of the International Socialist Tradition: Ahmed Shawki interviews Tony Cliff in 1997, 50 years after the publication of State Capitalism in Russia." International Socialist Review, No.1, Summer 1997, pp. 27–31.
- Obituary by Paul Foot, The Guardian (2000).
- Obituary by Duncan Hallas, Socialist Review (2000).
- Talkin' 'bout a revolutionary Interview with Ian Birchall about Cliff, International Socialism 131 (2011).
- Tony Cliff matters for socialists today by Alex Callinicos, Socialist Worker (2017)
- Tony Cliff by Ian Taylor, Socialist Review, 360 (2011)
- Tony Cliff rediscovered, International Socialism, 132 (2011).
- More Years for the Locust: The Origins of the SWP Criticism of Cliff and the SWP by Jim Higgins, a former colleague.
- Talks by Tony Cliff on Lenin and State Capitalism in MP3
- Tony Cliff (1917–2000) : Links to biographies, obituaries and websites, compiled by Modkraft Biblioteket - Progressive online library.
- Bibliography - the writings and works of Tony Cliff by Ian Birchall on Modkraft Biblioteket.
- Catalogue of Cliff's papers, held at the Modern Records Centre, University of Warwick