駅弁大学

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駅弁大学(えきべんだいがく)とは、終戦後間もなく施行された学校教育法により開学した国立の新設新制大学に対して作家の大宅壮一が付けた名称。

概要[編集]

高等教育をアメリカに倣って単線形にするにあたり、1947年まで存在した官立の旧制高等学校専門学校 (旧高等実業学校や戦時急造医専[注 1]を含む)、高等師範学校師範学校青年師範学校を合併して1949年5月に新設された新制国立大学が各地に誕生した。
国立総合大学(旧帝国大学)、国公立の旧三商大 (東京、大阪、神戸)、旧二文理科大および (東京、広島)、旧六医大 (千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本)以外[注 2]に大学が増加したことを、大宅壮一[注 3]は、「駅弁あるところに急行[注 4]停車駅あり、急行停車駅あるところに大学あり」と評し、寄せ集めでできた新制大学を駅弁大学と名付けて、後の大学教育の大衆化を予言した[注 5]

対象[編集]

国立大学や後に国立大に統合された旧制専門学校(戦時急造医専前身の旧制医大を含む)を前身とする公立大学[注 6]にだけ主に言われており、公私立専門学校から大学に昇格した学制改革時から現存する公私立大学は駅弁大学とされていない。例えば、東北学院大学松山大学は駅弁大学とはされていない[注 7]

ネット等では[編集]

Wikipediaでは、新規作成してからしばらくして編集合戦となり、保護がかけられたことがある。
インターネット掲示板の5ちゃんねるでもいろいろ揶揄されている。
また、昨今の週刊誌の大学関連記事はMARCH等、南関東の私立大学の比重が大きいため、世間での地方国立大の存在が小さく見られがちである。

地域での存在価値[編集]

ビジネスマンやエンジニア、教員を輩出し、また、地域の文化の拠点としての存在意義は大きい。
また、大都会に行かなくても大学に進学できるという大きな利点があるが、大学設置基準が大綱化して以降、自宅学習のみで学士号が取得できる大学通信教育や大学を卒業しなくても入学を受け入れる大学院修士課程が増え、そうした有り難みは薄れつつある。

名称について[編集]

昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正では駅弁を販売していた徳島駅大分駅からは駅弁の販売をとりやめてしまい、大学の数よりも駅弁を販売する駅の数の方が少なくなってしまった[注 8]。四国の駅弁販売駅は4駅で、国立大学の数よりも少ない。
また、神戸大学金岡千広茨城大学農学部といった旧制官公立大学が前身に含まれる国立大は駅弁大学がどうか議論の余地があるが、いずれも最寄り駅には駅弁が販売されており、広義の駅弁大学と考えられる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. これらは旧大学令が廃止されても経過措置で1948年までに旧制医科大学に昇格した。(広島県立医大〔現・広島大医学部〕、松本医大など)
  2. 内地の官公立大学では唯一三重県所在の神宮皇學館大学のみ廃校となったが、大宅がこの廃校をどう思ったのかは記録に残っていない。
  3. 大宅壮一は旧制中学を放校されて、専門学校入学資格検定合格。また東京帝国大学を中退しており、まともに卒業したのは旧制第三高等学校のみである。
  4. もっとも、1949年5月時点では東海道本線でも特急すら復活できていない状態(特急「へいわ」の運行開始は同年9月)で、戦前の鉄道の感覚と疑われる。
  5. 大宅は1957年には『一億総白痴化』という造語も生み出している。
  6. 例えば、三重大に統合された三重県立大、鹿児島大に統合された鹿児島県立大。
  7. そもそも、京浜、京阪神、外地以外で、旧制専門学校がら大学に昇格した私立学校自体少なく、長崎総合科学大学鹿児島国際大学の前身校のように短期大学昇格に止まった学校もある。
  8. なお、国立総合大所在地で国鉄津駅では1968年時点で駅弁販売はない。