廃校

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廃校(はいこう)とは、学校の運営を様々な理由でやめること、廃止すること。また廃止された学校施設のこと。

概要[編集]

廃校の理由としては就学人口・入学者数減少に伴う統廃合や閉校によるものが多い。

公立学校であれば学校の運営にかかる費用は学校設置者である自治体の税金・公債、一部事務組合の予算によって賄われている。しかし就学人口が減少し、今後も増加の見込みがない場合、最盛期を想定した学校施設が行政にとって大きな負担になる。そこで極端に児童数・生徒数が少ない学校は廃校にし、近隣の別の学校と統合させることで必要な教員の数を減らし、学校施設の維持費を削減する。浮いた分は残った学校の施設維持や改修費に回される。
廃校になった学校の通学区域内に廃校時点で学校へ通う子供が全く住んでいない場合でも、将来的に子供が産まれる・子供連れの家族が引っ越してくることを考慮し、存続する学校が廃校になった学校の通学区域を引き継ぐ。

私立学校も理由は同様だが、入学者数の減少はそのまま学校法人の運営不全に直結するためより深刻である。

廃校となった学校の施設は解体撤去される場合もあれば、改装して再利用されることもある。しかし活用方法が見つからずに廃墟になっている事例もある。

詳細は「氷見市の地理歴史」を参照

制度変更による廃校[編集]

制度の変更によって廃校・廃学科となった例に、戦後の国立商船高校、国立電波高校や高等学校保育科、戦時中の青年学校や神道武道に関わった学校などがある。

青少年層を対象とした青年学校は、太平洋戦争後の学制改革によって制度廃止となったものの組織上は大学に包摂[注釈 1]された師範学校、旧制高等学校と異なり、対照的に層別教育機関の法的裏付けがされず、同窓会組織の継承も不十分だったため、後継学校は存在しないとされた。ちなみに、青年学校の施設は新制中学校等に転用された。

また、武装解除、神道排除指令で、陸軍中野学校は終戦の数日後、陸軍士官学校海軍兵学校も終戦後の陸軍、海軍の解体で廃校されたが、後に防衛大学校として復活した。加えて、神道系の大日本武徳会武道専門学校や神宮皇學館大学も終戦翌年に廃校となり、神宮皇學館大学は約15年後に私立皇學館大学として再興したが、大日本武徳会武道専門学校は戦後に大日本武徳会が分裂したことも相まって再興はならなかった。

学制改革直後は他に、久我山工専、善隣商専から新制大学として設置された久我山大学善隣大学が、改革期の経営上の混乱から大学開学から2年と持たずに廃校となった。

国立商船高校や電波高校は、卒業後の資格取得に関する教育時数の引き上げが行われたため、高等学校制度での学校存立が難しくなって、制度改変時の新入生から、工業教育で先行した高等専門学校を並立して新たに開学し、旧制度の該当生徒の卒業を待って、国立商船高校や電波高校は廃校した。
高等学校保育科は、保育士試験の受験資格が高等学校卒業から短大・専門学校卒業に引き上げられたため、多くの高校で後継学科無く廃学科となった。

地域の問題[編集]

学校の所在はその地域の心の拠り所であり、また、児童・生徒にとっては遠隔地への通学を強いられることになり、学校の廃校は歓迎されない傾向にある。児童・生徒の通学距離・時間が伸びる事に対する対処法としてはスクールバスの運行や公共交通の利活用である程度解決できるが、場所によっては朝は早起き、帰宅は日没前後になる、部活動に存分に打ち込めないなどの問題が生じる。特に公共交通を利活用する場合、自治体運営の公営バスであれば終業時刻に合わせてバスのダイヤをある程度臨機応変に調整できるが、民間運営の鉄道や路線バスの場合だと公営バスほどの柔軟性はなく、部活動どころか下校前のホームルームにも影響する場合がある。

廃校の主な再利用法[編集]

  • テレビドラマ・映画の撮影セット
  • 宿泊研修施設
  • ユースホステル
  • 博物館
  • 市区町村役場
  • 異校種の学校[注釈 2]
  • 大学セミナーハウス・研究室
  • スポーツ練習場
  • 災害避難所
  • 企業のオフィス
  • 公民館
  • 老人ホーム

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. 例えば、官立東京高等師範学校は新制大学発足後の廃校まで「東京教育大学東京高等師範学校」の名称として包摂された。
  2. 例えば、山間部の廃校旧敷地の通信制高校への転用や久我山大学旧校地に創設された國學院久我山高等学校