長島町 (三重県)
長島町(ながしまちょう)とは、三重県桑名郡にかつて存在していた町である。織田信長が元亀・天正年間に長島一向一揆と戦った場所や娯楽施設のある町として有名である。
概要[編集]
現在は桑名市に編入されて地方自治体としては消滅しているが、旧町域全体で『桑名市長島町』として地名は残されている。
この町は桑名市の北東に続く三重県の北東にある南北に長い輪中の町である。北は岐阜県、東は愛知県と接している。輪中とは水害を防ぐために1個または数個の村落の周囲に堤防をめぐらし、共同で治水や水防を行う組織のあるところである。
木曽川・長良川・揖斐川の3つの河川が運んだ土砂が堆積してできた町で、耕地はほとんど水田であるが、裏作に特産のなばなやビニールハウスで半促成トマトなどが栽培されている。また名古屋市や四日市市など大都市に近いことから、長島町から若者が他産業へ転出する例も多くみられる。
一方、伊勢湾台風から5年後に、町の南部に温泉が湧出したことから大規模な総合開発計画が立てられ、日本唯一の総合文化観光地域の建設を進めて長島温泉の施設およびナガシマスパーランドが開設された。町内全域は水郷県立自然公園に含まれ、木曽3川の雄大な流れと素晴らしい田園風景が広がっていて景観が楽しめ、見どころとして輪中の郷やアクアプラザながら大智院・願証寺などがある。
言語アクセントは、東隣りの木曽岬町と共に愛知県と同じ東京式アクセントに属する地域とされる。
歴史[編集]
奈良時代の養老期(717年 - 724年)には既に洲や島があったと伝わる。この地が長島と名付けられたのは少なくとも平安時代後期とされ、土地が川の水位より低いので堤防で囲んで生活を営んだ。
文明14年(1482年)にこの地に伊藤重晴が長島城を築城する。しかし伊藤氏は一向一揆に攻め滅ぼされ、長島は一向宗門徒の拠点となる。足利義昭により信長包囲網が築かれると、長島一向宗門徒は信長の弟・織田信興や重臣の氏家卜全を攻め殺すなど信長を苦しめたが、天正2年(1574年)に信長の総攻撃を受けて長島城は落城し、多くの一向宗の信徒は信長によって虐殺された。
江戸時代に入るとこの地に長島藩が置かれ、藩主には徳川氏譜代の家臣である菅沼氏、松平氏、増山氏などが入封した。
昭和30年(1955年)4月、旧長島町と楠村が合併し、新長島町が発足する。昭和31年(1956年)9月に伊曽島村を編入した。
昭和34年(1959年)の伊勢湾台風により、全町域が水没。町内の交通も2ヶ月ほど麻痺した。
平成16年(2004年)12月6日に旧桑名市・多度町と合併し、改めて新桑名市が発足したことにより、長島町は廃止された。