奚斉

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奚斉(けいせい、? - 紀元前651年)は、中国春秋時代の第20代君主(在位:紀元前651年)。

生涯[編集]

父は献公。母は献公の寵姫の驪姫。兄弟に申生文公・重耳(第24代晋公)、恵公・夷吾(第22代晋公)、悼子(第21代晋公)らがいる。

父と母により兄で王太子だった申生は自殺に追い込まれ、他の兄である重耳、夷吾らは後難を恐れて亡命したため、奚斉が後継者に指名された。しかし奚斉は若かったため、献公の遺命により荀息宰相に任命されて後見人となった。

紀元前651年に父が死去すると、荀息の後見を受けて晋公として即位する。しかし申生の自殺、重耳らの亡命などで母親の驪姫は周囲からの恨みを買っていたため、献公の死去を見た重臣の里克丕鄭は3公子に連なる仲間を集めて反乱を起こし、奚斉はこの反乱によって殺害された。

荀息は後継者に奚斉の弟の悼子を擁立したが、これもすぐに里克によって殺害されて荀息も自殺した[1][2]

脚注[編集]

  1. 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.504
  2. 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.565

参考文献[編集]