申生
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申生(しんせい、? - 紀元前656年)は、中国の春秋時代の晋の王族。晋の王太子であったが後継者争いに巻き込まれて自殺を余儀なくされた。
生涯[編集]
父は晋の君主の献公。弟に文公・重耳(第24代晋公)、恵公・夷吾(第22代晋公)、奚斉(第20代晋公)、悼子(第21代晋公)らがいる。
優秀な人物で人望も厚く、晋の下軍の武将に任命されて父と共に周辺国である霍・魏・耿を滅ぼした[1]。しかし父に寵愛されていた驪姫が異母弟となる奚斉を生むと、次第に父に疎まれて祖先の宗廟があるのを理由にして曲沃に遠ざけられた[1]。しかし王太子を廃されたわけではないため、我が子を王太子にしたい驪姫の陰謀によって父を毒殺しようとした嫌疑をかけられた[1]。申生はひとまず逃亡したが、父親の老齢を案じて弁明することもなく、家臣から亡命するように進められたがそれも断り自殺したという[1]。