菅井きん

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菅井 きん(すがい きん、大正15年(1926年2月28日 - 平成30年(2018年8月10日)は、日本女優である。昭和平成に渡る名脇役の女優のひとりである。本名は佐藤 キミ子(さとう きみこ)。夫は名プロデューサーと言われた佐藤正之

来歴[編集]

1926年(大正15年)2月、東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)早稲田町の染物問屋に生まれる。その後、麻布に移る。幼稚園から市立本村小学校(現港区立本村小学校)、頌栄高等女学校(現私立頌栄女子学院中学校・高等学校)卒業。 卒業後、徴用逃れのため、女学校の先生の紹介で文部省総務課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤める。 戦後の昭和21年(1946年)に東京芸術劇場研究生に補欠で合格し、1947年3月『林檎園日記』の帝国劇場で初舞台を踏む。菅井の父親は「女優は美人がなるもの」として反対していたという。 同年、東京芸術劇場が解散となり劇団俳優座に研究生補で入団する。その後、研究生、準劇団員、劇団員と昇格した。劇団俳優座に移籍した後、「黄色い部屋」(1948年,作:眞船豊 演出:千田是也)の福子役で演技に開眼する[1]。1951年1月19日公開の『風にそよぐ葦』(春原政久監督)で映画デビューした。

菅井の人気が確立したのは藤田まことが演じる中村主水を「ムコ殿!」といびるであるせん役であった。『必殺仕置人』シリーズに欠かせない存在のひとりとなったが、このあまりにリアルな演技のために菅井は1人娘の結婚の障害になることを心配して降板を申し込んだこともあったという。これ以降、母親役、鬼婆など名脇役として活躍した。

昭和60年(1985年)に映画・「お葬式」などで日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞する。平成2年(1990年)に紫綬褒章を受章し、平成8年(1996年)に勲四等宝冠章を受章する。平成20年(2008年)の「ぼくのおばあちゃん」で82歳で映画初主演を果たした。これにより「最高齢映画主演女優」のギネス記録に認定されるが、菅井は「ピンと来ない」と述べたという。

高齢になると台詞を覚えるのも大変で、介護士が付き添っていたという。平成22年(2010年)に自宅で転倒して大腿骨を骨折したため、特別老人ホームに入所する。この際に歩行困難となり、女優としては第1線から離れた。一部では認知症と報道されたりもしたが、平成26年(2014年にテレビ番組の取材に応じた際には車椅子で「身体が動かないとどうにもならない」と話しているなど、認知症は最後まで否定していた。

既に高齢のために食事は細くなっていたが、持病は無く好きな煙草を亡くなる2ヶ月前までたしなむなど死去する前日まで元気だったが、平成30年(2018年)8月10日になって容態が急変し、午後2時に心不全のため東京都内の自宅急死した。92歳没。最後は娘夫婦や孫らに看取られて息を引き取ったという。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
  • 新・座頭市
    • 第2シリーズ 第4話「蛍」(1978年)
    • 第2シリーズ 第18話「こやし道」(1978年)
    • 第3シリーズ 第3話「市の耳に子守唄」(1979年)
  • 銭形平次 第734話「お婆ちゃん捕物帳」(1980年) - お松
  • 振り袖御免 江戸芙蓉堂医館(1981年) - お辰
  • 男の家庭科(1985年) - 井村カツ
  • 鍵師(1995年) - 池山ハツ
  • ブラザーズ(1998年) - 青山幸枝
  • おばさんデカ 桜乙女の事件帖11」(2002年) - 山内豊子
  • 劇団演技者。「アンラッキー・デイズ〜ナツメの妄想〜」(2004年) - 着信ボイスの声
テレビ朝日
テレビ東京
朝日放送
毎日放送
関西テレビ

映画[編集]

太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

ラジオドラマ[編集]

舞台[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

受賞歴[編集]

著作[編集]

  • 主婦と生活社 『わき役ふけ役いびり役―女優一筋四十五年』1990年11月 ISBN-13: 978-4391112931

音楽作品[編集]

  • おふろのチャップリン(1983年。「ばあ菅井とおとぎっ娘」名義、『鉄矢のとんからりん』より)
    • B面は「きん婆サンバ」(こちらは菅井きん名義)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 俳優座,過去の講演,1966年以前,No8
  2. この撮影で実際にスカイダイビングに挑んでいる。

外部リンク[編集]