松本vs浜田・対決シリーズ/罰ゲーム

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松本vs浜田・対決シリーズ / 罰ゲームでは、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』内の企画「松本vs浜田・対決シリーズ / 罰ゲーム」について記述する。

概要[編集]

年に1 - 2度の恒例企画。松本人志浜田雅功日本シリーズ紅白歌合戦の勝敗予想、スポーツ、ゲームなどで対決し(1998年のゴルフ対決からは山崎・ココリコも参加している)、敗者は厳しい罰ゲームを受ける。罰ゲームはゴールデンで特番を組んだり、通常枠で3週前後に渡って放送される(「24時間浜田雅功営業中」から)。

2023年現在 松本人志 浜田雅功
勝率 09/24[注 1] 15/24[注 1]

「ガララニョロロ……」から「ウラジオストクの……」までの罰ゲームの内容は、DVD第4巻のDisc2にて「笑いと絶叫の軌跡、対決&罰ゲームの歴史」に収録されている(DVDには放送当時の時刻表示入りである。当番組の他にも日本テレビでもう見られなくなってしまった映像『ズームイン!!朝!』・『鳩の休日』等のオープニングシーンがみられる)。

2022年9月4日9月11日の放送でこれらの対決・罰ゲームを振り返る企画が放送された。

2003年からは笑ってはいけないが始まり(詳細は「笑ってはいけないシリーズ」を参照)、2003年は浜田VS松本チーム(松本・山崎・ココリコ)で「ボウリング対決」、2004年の「湯河原」から2006年の「警察24時」まではメンバー5人で100個(タライアンルーレットのみ50個)の中からくじ引きの順番に1人1つずつハズレ以外を選んでいき、4個あるハズレを選んだら罰ゲーム決定となる「ロシアンルーレット対決」をダウンタウンのどちらかがアウトになるまで続けるというルールで実施された[注 2]。ダウンタウンのどちらかがアウトになったその時点で対決は終了となり、松本または浜田を含む負けた人全員が笑ってはいけない罰ゲームとなっていたが、2007年の「病院24時」から全員参加となったため、罰ゲームではなくなった。2006年の「タライアンルーレット」を最後に対決は行われていなかったが2023年3月12日放送回[注 3]で「チョロQアンルーレット」と題して対決&罰ゲームが17年ぶりに復活した。

なお、本文中の放送日は関東地区並びに同時ネット地域のもの[注 4]

過去の企画[編集]

以下年代順に列挙。

笑ってはいけないシリーズ」も参照

ガララニョロロでズームイン!!(1990年正月)松本人志[編集]

1989年紅白勝敗予想対決(1990年1月16日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。記念すべき1回目の罰ゲーム。当時『夢で逢えたら』(フジテレビ)のシチュエーションコントに登場していた謎の警官キャラ「ガララニョロロ」に扮し、局の垣根を越える形で『ズームイン!!朝!』のオープニングに出演[注 5]。マイスタジオ前で踊る松本を尻目に司会の福留功男に「朝から変な人が来てるようですね」と苦笑交じりにあしらわれた。罰ゲームの模様は1月23日放送。その後松本主演の『伝説の教師』の最終回のエンディングでは松本が中居正広にこの事を話していた。

SM亀甲縛りアルタ画面で番組宣伝(1990年春)松本人志[編集]

松本が「俺はしりとりをすべて「す」で返すことができる!」と豪語して始めたしりとり「す」で返す対決(1990年4月24日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。亀甲縛りをさせられ、スタジオアルタの大画面アルタビジョンで番組宣伝を行った。「観てね」と台詞を言った後、松本は「観るか!こんな番組…」と呟いた。罰ゲームの模様は5月8日放送。

浜ちゃん決死のスカイダイビング!!(1990年夏)浜田雅功[編集]

1990年プロ野球オールスター勝敗予想対決(1990年7月31日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。着地後には高所恐怖症の浜田が恐怖と感動の涙を浮かべるなど、番組史に残る感動の罰ゲームとなった。罰ゲームの模様は8月7日放送。

罰ゲームさんいらっしゃ〜い!!(1990年年末)松本人志[編集]

ゴルフ対決(1990年11月20日・27日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。12月6日に生放送された系列準キー局のよみうりテレビ制作の全日本有線放送大賞(現在のベストヒット歌謡祭)の会場を訪ね、桂三枝(現・六代桂文枝)の楽屋に三枝の扮装をして潜入し、何も知らずに入ってきた三枝に「いらっしゃ〜い」を披露した。三枝は松本の扮装に呆れ笑いするしかなかった。罰ゲームの模様は1990年12月25日放送。名前の元ネタは「新婚さんいらっしゃい!」から。

冬の湘南赤フンドシで寒中水泳!!(1991年冬)松本・山崎他[編集]

野球対決(1991年2月12日放送)に負けた松本率いるDOWN'Sに対する罰ゲーム。DOWN'Sには山崎もいた。神奈川県鎌倉市腰越海岸でロケが行われ、どんよりとした曇り空の下、寒中水泳を決行。DOWN'Sの面々はやけになって大声で海へ走りこんだが、あまりの寒さに大声は絶叫へ変わった。海岸へ上がろうとするDOWN'S達だが浜田がドSのごとく、棍棒を振り回して海へと追いやっていた。松本は「体が痛いねん!ピリピリすんねん!!」と弱音を吐いて浜田にすがるが、結局海へと突き出されていた(そのやり取りの後ろで山崎がこっそり逃げ出そうとしていたが、ヘイポーに海へと付き返されていた)。スタッフは松本の後方ではしゃぎ合い、水をかけ合っていた。罰ゲームの模様は1991年2月19日放送。

ハゲづら恐怖のジェットコースター(1991年夏) 松本人志[編集]

視聴者参加型の500人対500人ドッジボール対決(1991年5月28日放送)に負けた松本チームに対する罰ゲーム。ハゲヅラをかぶり、よみうりランドのジェットコースター「バンデット」に乗車させられた。終わった直後に松本は「おいコラー!一番怖くないやつ乗せるって言うたやんけ!めちゃめちゃ怖いやないか!!」と激怒。罰ゲームの模様は6月4日放送。

松ちゃんカラーバーでTVジャック!!(1992年正月)松本人志[編集]

1991年紅白勝敗予想対決(1991年12月22日放送のトークにて・12月29日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。日本テレビ放送開始直後の5時25分、松本が顔を塗り、カラーバーに扮装した模様が麹町分室(当時は本社)のマイスタジオから5分間生放送された。最初は律儀に「ピ~~~」と声でテストトーンを模してカラーバーに成りきるも、途中心が折れかかったのか「これ、生(放送)でせなあかんか?」と諦めていた。さらに顔のアップバージョン(画用紙にカラーバーを描き、顔だけ出ているというもの)をやったが、時間が余っていたため、タバコを吸いながら新聞(生放送当日付の読売新聞)を読みだす。その際、松本は最後に入る師匠のように振る舞い、「2分前」の告知がされてからもう1度カラーバーになりきった。松本は自著・『松本坊主』の中で、「フジテレビ全盛だった当時にこの罰ゲームをきっかけに日本テレビの事がすごく好きになった」「放送開始という局の顔とも言えるシーンを芸人にやらせると言う日本テレビの器の大きさに感心した」と述べている。松本は放送の最後に「このあとは『早見優のアメリカンキッズ』です、よろしくね~」と後番組を告知し、睨むような顔(浜田に対して「浜田しばいたる!」と脅しのメッセージを送ろうとしたが言い出す前に放送が終了した)で終わっている。罰ゲームの模様は1月19日放送。

アシカショーで人気者になろう!!(1992年夏)松本人志[編集]

ラグビー対決(1992年5月24日・31日・6月7日放送)で負けた松本に対する罰ゲーム。アシカの着ぐるみを着て、水族館で本物のアシカと共演した。飼育員に扮した浜田にボールをトスされるが、全く上が見えない構造の着ぐるみのせいで、松本は全くトスを返すことが出来なかった。「俺には見えてへんねん。投げられたって知らんやんけ!」と逆ギレをかますと、浜田に水槽へ落とされそうになった。松本は「それは…ホンマご主人…死ぬから…」などと怖がっていた。罰ゲームの模様は6月21日放送。

局タイトルのハトになってクルックー!!(1993年正月)松本人志[編集]

1992年紅白勝敗予想対決(1992年12月20日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。日本テレビの放送開始ジャンクション・『鳩の休日』直後の5時29分より1分間、松本が『鳩の休日』の鳩になりきり、マイスタジオに設置された背景画セットの前で、即興の詞(♪俺は~俺は~、バカなのか~アホなのか~) をつけて歌いながら演じる様子が生放送された。本物の『鳩の休日』は、この企画のために通常より1分早く放送された。松本は上述のカラーバー企画同様、放送の最後に「このあとは『早見優のアメリカンキッズ』で~す、見てね~」と後番組を告知した。罰ゲームの模様は1月17日放送。なお、この罰ゲームは該当作を作曲した深井史郎の遺族がたまたま視聴していたらしく、後日日本テレビに抗議したという逸話がある。

浜ちゃんフランスへエビアンを汲みに行く!!(1993年夏)浜田雅功[編集]

走り高跳び対決(1993年7月11日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。楽屋で弁当を喉に詰まらせた松本が浜田に「エビアン汲んできて」と言い、浜田はスイスフランスへ行くはめに。現地では菅プロデューサーの引率によってロープウェイでモンブランの山を登ったが、山頂にはエビアン水が無いと判明。山を下った後、過酷な山道を歩き源泉の滝まで行って水を汲んだが、エビアンという町の水道から湧き出る水をエビアンと呼ぶと通訳から教えられ、「じゃあこの水何?」と訊いたところ、「ただの滝の水」とのこと。浜田は菅を責めるが、「まあ…、罰ゲームなんだから…!!」と開き直る菅の首を絞めた。結局は町で水を汲み持ち帰った。松本は50時間近く弁当を飲み込むことができず、苦しみ続けたが、浜田が帰国して楽屋に戻った瞬間に治った上、浜田が汲んできた水を飲み「たいしたことない」と一言。罰ゲームの模様は7月25日放送。

早朝親子寄席(1994年冬)松本人志[編集]

1993年紅白勝敗予想対決(1993年12月26日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。母・秋子と親子漫才をやった。カラーバー・ハトの時と同様にマイスタジオから早朝4:57 - 5:00の3分間生放送(前の2回は『鳩の休日』の後に開始していたが、この時期は編成上の都合で『鳩の休日』そのものが流れなくなり、カラーバーから直接朝一番の番組が開始していた。)されたが時間が足らず、ネタの途中で『早見優のアメリカンキッズ』に画面が切り替わった。1年前と同様、この時も浜田に電話。「親子の生き様見とけ!!」の捨て台詞を残した。罰ゲームの模様は2月6日放送。 後にフジテレビ系で1996年12月23日に放送された『HEY!HEY!HEY! 白いCHAMP X'mas』にて安室奈美恵がトーク中にこの罰ゲームを話題にしていた。

浜ちゃんニューヨークにシャーペン取りに行く!!(1995年春)浜田雅功[編集]

1994年紅白歌合戦勝敗予想対決(1994年12月18日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。愛用のシャープペンを坂本龍一に貸したままだったことに気づいた松本からの指示で、シャープペンを取りにニューヨーク坂本龍一宅まで行くというもの。道中、菅の妨害を受けつつ坂本宅に到着するも、玄関のドアをチェーンロックをかけた状態で僅かに開けたその隙間より坂本からシャーペンを投げ渡されるというけんもほろろな扱いを受ける。「日本では結構持ち上げられるのに、こっち来たらこんなだね」と菅に言われた。帰国後、キャップの中にある消しゴムがなかったため松本の「取りに行ってくるか。」の一言で再度行く事に。東京 - ニューヨークを2往復して疲れて戻ってきた浜田が松本に消しゴムを渡して罰ゲーム完遂、と思いきや、たまたま置いてあったエビアンを飲んだため松本が「俺にもちょうだい」と言ってきたので浜田がエビアンを渡そうとすると松本は「いや、それじゃなくて。エビアン汲んできて」と最後にボケる。罰ゲームの模様は1995年4月2日にゴールデンタイムの2時間特番の中で放送。ちなみに、紅白予想で浜田が負けたのは初。

松本のおかんとタイタニック(1998年夏) 浜田雅功[編集]

ゴルフ対決(1998年5月24日放送)に負けた浜田に対する罰ゲーム。ハリウッドに行き、松本の母・秋子と『タイタニック』の一場面を演じた。罰ゲームの模様は8月23日放送。あまりにもきつ過ぎる映像に松本は始まった瞬間に「これはアカンで!!これはキツいで!うわぁ~アカンアカン!!」と絶叫し、どちらの罰ゲームなのか判らない状態に。終にはキスシーンまであった。一方、松本の父・譲一氏はこの企画を見て若干本気で嫉妬し機嫌を損ねていたらしい。なお、撮影は映画で使われたセットではなくロサンゼルスにある別の豪華客船(「クイーン・メリー号」)で行われた。これは「実際に映画の撮影で使われたタイタニックのセットは撮影終了後に解体したので、既に無い」と20世紀フォックスの担当者から言われたため。

罰ゲームを見た直後のフリートークでは浜田が秋子は「撮影前はかなりのノリノリだった」というが、撮影が終わった後の夕食では「食べてるか食べていないか分からないほど疲れ切っており、終始下を向いて不機嫌だった」と裏話を明かした。また、父はその横で「紹興酒を飲みながらゲラゲラ笑いまくっていた」という。松本は父が撮影に同行したのを知らなかったようで、その話を聞いた途端に「おとんも(一緒に)行ってたんかい!?」とびっくりしていた。この罰ゲーム放送回の翌週の放送では、松本と浜田が秋子が現地で購入した全く同じイラストのTシャツを着てフリートークを行った。

24時間浜田雅功営業中(1999年春)浜田雅功[編集]

ゴルフ対決(1998年10月18日放送)に再び負けた浜田に対する罰ゲーム。1999年4月19日に当時の日本テレビのスポットCMだった「日テレ営業中」を毎回コスチュームを変えながら全部で32回、24時間生放送で行った(放送は関東地方のみ、マイスタの中や外の歩道、Vスタジオなどで行った。)[1]。コスチュームの内容としては、SM嬢バレリーナタモリ篠原ともえなど)。『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』、『おもいッきりテレビ』などにも生出演[1]。『おもいッきりテレビ』では『がきデカ』の扮装で出演したが、スタジオ内は終始静かでみのもんたが大笑いしてその場をフォローした。コスチュームの内容は全て松本がFAXで指示。1999年4月25日と5月2日の2週に渡って放送した。罰ゲーム執行前、松本は浜田に電話をかけ「『がんばんびー』と言え!」と指令。

ちなみに罰ゲームに当たっては大規模な記者会見も催され、桜田和之CPの「これ社運がかかってます!浜田君には是非頑張って、日本国民を感動させてもらいたい!!」との激励に浜田は「なら止めたらええがな!!」と激怒。また会見の場で浜田は「ゴルフで負けたって言うてもね、あんな(松本チームは4人全員打って、初めて1打、グリーンのみ1打ずつ)ルールどうですか!?皆さん!!」と対決をした際、明らかに自身に不利であったルールに対しても激怒していた。

なお、浜田は取材に来た本物の記者達をエキストラだと思っていたようで松本に「ちゃんとした社会人たちです」とつっこまれた。

山崎が松本の勝負どころで「これはもう、ダウンタウン対決ですよ!」と励ますが、松本は「ダウンタウン対決って…ダウンタウン対決で勝てへんからこんなルールになってるんちゃうん?」と弱音を吐いた。

余談だが罰ゲームVTR中当日の午後7時29分の松本から駄目出しされ敢行した二度目のタモリ後のオンエアワイプに後に『絶対に笑ってはいけない名探偵24時』で携わる事になる、よみうりテレビ制作のアニメ番組「名探偵コナン」のオープニングが数秒流れた[注 6]

24時間耐久鬼ごっこ(2000年春)浜田チーム(浜田・山崎・遠藤・田中)[編集]

100メートル走対決(1999年10月17日放送)に負けた浜田チーム(浜田・山崎・遠藤・田中)に対する罰ゲーム。東京品川区にある日産スポーツプラザ(現・コナミスポーツクラブ本店)でロケが行われ、対決の勝者となった松本は罰ゲームの指揮者として出演。24時間を体育館の中で過ごし、メンバーは中心に設置された四畳半の畳とこたつが置かれた場所で待機する。不定期に現れる黒タイツを着た鬼が登場したら鬼ごっこスタート。鬼に捕まると、胸に書かれた様々な罰ゲーム(タイキック、ビンタ、チ○コマシーン、ひしゃく、バレーボールマシーン、ロウ責め、紙しばい[注 7]・おしり[注 8]ワンタンメン・はり手等)を受ける(罰ゲームには『卒業証書授与』も存在するが、不発に終わる)。一定時間鬼から逃げ切る事ができれば、罰を受けなくてもよい。ちなみに、罰ゲームの種類によって鬼が1人、又は2、3人以上(その他子供や松本が鬼になる場合もある)が現れる。鬼は基本的に体育館内に設置された黒いステージから大音量の炭酸ガスとともに登場するが、稀に体育館のステージや体育館入口、映画(浜田主演の「昭和鉄風伝 日本海」)を観ている際にスクリーンを破って出てきたりもした。また、鬼に捕まらないよう守ってくれる白タイツを着た「おたすけマン」も登場するが、実は中に黒タイツを着た鬼(ジャイアントスイング)である。1999年9月12日放送のオープニングとして行われた企画「激走!泣く子も黙る恐怖の鬼ごっこ大会」が、この罰ゲームの元となっている(この時は、浜田チームの4人以外にも松本・雨上がり決死隊リットン調査団が参加。ひしゃく、顔面ねりわさび、チ○コ薬、博多ラーメン、ケツコットンの罰が行われた)。

罰ゲームの進行役として藤原寛マネージャー(当時。現吉本興業株式会社代表取締役副社長)が初めて同伴する。

精神的・肉体的にも番組史上最も過酷な罰ゲームとの呼び声が高い。特に鬼が登場する際に勢いよく、しかも何の前触れもなく大音量を伴った炭酸ガスが噴射される為、ゲーム中は些細な音でもとても鋭敏に反応するようになり、藤原が登場する出囃子や浜田のすかしっ屁でも尋常でない程のビビリ様を見せた。後日談で山崎・ココリコは、罰ゲーム中に浜田が怒って罰ゲームが途中で終了になるのを何度も願っていたと語る程。一方の浜田はこの罰ゲームによる疲労が甚大だった為、終了後しばらく仕事ができなかったと語っている(2001年5月27日放送分のトークにて)。なお、4人にとってこの罰ゲームは施行から10年以上経った現在でもトラウマとなっている様子が度々見られる。罰ゲームの模様は2000年3月26日から4月9日までレギュラー放送内で3週に渡って放送され20世紀最後の罰ゲームとなった。

またここでもヘイポーのヘタレキャラが炸裂。鬼のはずが登場後に舞台から転げ落ちたり、メンバーによってたかってシバかれたり、持っているパイを奪われ逆にパイを食らう、終盤では浜田に座布団でシバかれている間に持っていたひしゃくを遠藤に奪われひしゃくでシバかれるなどの返り討ちに遭い、浜田チームはもちろんの事、ヘイポーも散々だった。なおこの罰ゲームで唯一パイを食らったのは山崎で、1人でトイレに行ったところを一気に3人の鬼にパイ3連発を食らってしまった。DVD・Blu-ray共に第1巻として発売されており、ガキ使シリーズのDVDでは売上第3位にランクインしている。

罰ゲーム中浜田は、松本からの差し入れ(カップラーメン・ソーセージ)を不当に分けられたり(肉まんに至っては最後に食べた山崎が浜田の分一口も残さなかった)、就寝時の布団も小さく汚いものを宛がわれる等終始扱いが悪かった。後々の「笑ってはいけないシリーズ」の浜田に対する不当な扱いの発端となっている。

また、2010年大晦日の「絶対に笑ってはいけないスパイ」と、2013年大晦日の「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍」以降、これが下地となった「捕まってはいけない」というゲームも行われた。特にスパイでは、鬼が登場する舞台が現れるなり、松本以外の4人は口々に痛めつけられた事を思い出していた。なお、松本は、何れの回も鬼ごっこには参加していない(スパイでは、手術後間もない事から逃走するのが困難だった為。地球防衛軍以降は、人質となり別の罰を受けた為)。

ひとりぼっちの廃旅館一泊二日の旅(2001年夏)松本人志[編集]

水泳対決(2001年2月11日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。対決の勝者となった浜田チーム(浜田・山崎・遠藤・田中)は罰ゲームの指揮者として出演。廃旅館[注 9]で一泊し、次々と起こる心霊現象に絶叫し続けた。大型の罰ゲームとしては、1人であること(2人以上で受ける罰と違い、1人で全ての罰を受けなければならない)・何かをしたら罰を受けるという形になっていないという特徴がある。8月5日・12日・19日・26日と4週に渡り放送され21世紀最初の罰ゲームとなった。DVD・Blu-ray共に第2巻として発売されている。つのだじろうが見せた写真など、本放送とDVDでは一部内容が異なる。ガキ使のDVDでは第2位にランクインしている。

山崎は対決・罰ゲームシリーズで珍しく罰を与える側に回った。最初の登場では松本を驚かせたがその後はスタッフの陰謀でトイレの女幽霊にはめられた挙句、旅館の中で迷子になってしまった。山崎に限らず、仕掛け人サイドも色々な仕掛けに恐怖した。

早朝松本レンジャイショー(2002年夏)松本人志[編集]

走り幅跳び対決(2002年5月5日放送)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本の母(秋子)・父(譲一)・姉(直美)・兄の松本隆博と共に日本テレビ麹町分室(当時の日テレ本社屋)の駐車場でヒーロー戦隊ショーを演じた。数年ぶりに親子5人が一堂に会した打ち合わせ風景が見物で松本は家族と会えて結構楽しんでおり、ある意味罰ゲームらしくない終始和やかでアットホームな雰囲気であった。その様子を見て山崎は「罰ゲームとちゃいますやん!」とボヤいていた。7月26日早朝4時25分 - 4時30分の5分間生放送された。8月4日と11日の2週に渡り放送。DVD第7巻に収録。なお当初の罰ゲーム予定日には台風が接近しており、交通機関が麻痺したため松本家が上京できず結局当初の予定日より2週間延期して企画は行われた。DVDには放送当時のテロップと時刻表示がそのまま収録されている。

実はこの罰ゲームは1993年の紅白予想対決の罰ゲームとして企画されていたのだが著作権の許可が降りず断念し、「早朝親子寄席」に至る運びとなった事が当時のトークで話されている。約8年の歳月を経て実現した罰ゲームである。松本は後日談で、日テレの駐車場(松本レンジャイ収録場所)に来るたびに松本レンジャイを思い出して嫌な気分になると話している。父は仮眠を取った後、台詞や振り付けを全部忘れていて挙句は落とした鈴が見つけられないというグダグダっぷりだった。

ノーリアクションパイ地獄(2002年秋)松本人志[編集]

2002年日本シリーズ勝敗予想対決(2002年10月27日放送のトークにて)に負けた松本に対する罰ゲーム。松本は普通に家の中で過ごし黒子に扮した浜田・山崎・ココリコがひたすらパイを投げ続ける[注 10]中、全くリアクションせずに日常生活を送らなくてはならない。罰ゲームの模様は11月17日放送。DVD第7巻に収録。

絶対笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅(2003年夏)松本チーム(松本・山崎・遠藤・田中)[編集]

史上空前4対1変則ボウリング対決(2003年5月18日放送)で敗れた松本チーム(松本・山崎・遠藤・田中)に対する罰ゲーム。ルールは通常のボウリングと同じだが松本チームに対しては4人同時に投げなければならないというルールが追加された。

山梨県東八代郡石和町(現:笛吹市)にある石和温泉ホテル平安内でロケが行われ、対決の勝者となった浜田は罰ゲームの指揮者として出演。罰ゲームの模様は同年7月27日から8月17日までレギュラー放送内で4週に渡り放送。

笑ってはいけないシリーズ」の記念すべき1作目で松本チームの4人は温泉旅館で一泊二日過ごし、その間は笑うことを禁じられ、笑ってしまうとその場で問答無用で「お尻に吹き矢を刺される」という過酷な罰が執行される。

笑った時の罰は旅館の番頭と仲居により体を押さえつけられ、お尻に吹き矢を刺されるが現在とは異なり、執行者は覆面をしておらず、現在はその過酷さやコンプライアンス等々の問題で実現は不可能となっている。松本は「この収録が終わった後には下着が真っ赤に染まっていた」と後日語っている。そのためこの罰ゲームの映像がダイジェストや総集編などで使用される場合は吹き矢のシーンはカットされ、タイキックのシーンが使用される。

詳細は「絶対に笑ってはいけない温泉旅館一泊二日の旅」を参照

ウラジオストクのウラジオストク中学校の体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる!!(2003年年末)浜田雅功[編集]

2003年日本シリーズ優勝予想対決(2003年10月19日放送のトークにて)に敗れた浜田が「裏を読めない男」の烙印を押され[注 11]、「ウラジオストクウラジオストク中学校の体育館で、番長で殴られてくる」罰ゲームを科される。概要としては、浜田を「ウラ」のつくものづくしで責め立てるというもの。松本の指示で浜田は返しのタキシードに着替え出発、2泊3日に渡りまず東京駅[注 12]の新幹線ホームで元読売ジャイアンツ壽夫選手が現れるや否やこれが新潟空港まで続くこととなる。JR上越新幹線新潟駅へ行き[注 13]、航空便の出発まで新潟市内観光も行い、新潟空港から飛行機[注 14][注 15]ウラジオストクへ向かう。現地到着後もウラジオストク中学校に向かう途中様々なを見せられた後、ウラジオストク中学校に門から入らされ、番長のウラジミール君により罰が執行された。道中の案内人は島太郎に変装した田島雄一(元ダウンタウン チーフマネージャー)。罰ゲーム中は終始返しにされた料理が出され続けた他、BGMも山本リンダの「狙いうち」(「うらら〜うらら〜」の部分、目覚まし時計の音声にも使われた)、甲斐バンドの「切りの街角」や中島みゆきの「うらみ・ます」が使われるという徹底振りであった[注 16]罰ゲームの模様は12月14日と21日の2週に渡り放送。DVD第7巻に収録。

笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅in湯河原(2004年年末)浜田・山崎・田中[編集]

わさび寿司ロシアンルーレット対決(2004年9月19日放送)で敗れた浜田・山崎・田中に対する罰ゲーム。100個の寿司の中からくじ引きの順番に一人一つずつ食べていきわさびが入っていなければSAFE、4個あるわさび寿司を食べたら罰ゲームというルールで実施された。

「笑ってはいけないシリーズ」の2作目であり神奈川県湯河原町(湯河原温泉ふきや)でロケが行われ、対決の勝者となった松本と遠藤は罰ゲームの指揮者として出演。

前作(2003年)同様、浜田・山崎・田中の3人は温泉旅館で一泊二日過ごし、その間は笑うことを禁じられ笑ってしまった場合はSM隊に尻を競走馬用のムチでシバかれる[注 17]。罰ゲームの模様は同年12月28日にゴールデンタイムで2時間に渡り放送された。

詳細は「笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅in湯河原」を参照

絶対に笑ってはいけない高校(2005年秋)松本・山崎・遠藤・田中[編集]

ビリビリコンセントロシアンルーレット対決(2005年6月26日放送)で敗れた松本・山崎・遠藤・田中に対する罰ゲーム。100個のコンセントの中からくじ引きの順番に一人一つずつ選んでいき電流が流れなければSAFE、4個あるビリビリコンセントを選んだら罰ゲームというルールで実施された。

「笑ってはいけないシリーズ」の3作目であり、「私立くちびる西高校」として、栃木県那須塩原市(旧:塩原町)にある、旧塩原町立上塩原小学校で収録が行われ、対決の勝者となった浜田は罰ゲームの指揮者として出演。生徒となった松本・山崎・遠藤・田中の4人はこの高校で24時間過ごし、笑ってしまった場合は他校の不良生徒によりその場で尻を竹刀でシバかれる。罰ゲームの模様は同年10月4日にゴールデンタイムで2時間半に渡り放送。

この回から舞台に合った衣装に着替えて過ごすという設定が導入され、以後の「笑ってはいけないシリーズ」でお馴染みとなる、衣装トラップ、引き出しトラップ、ジミー大西のVTR等が初めて登場した。また、本作のお仕置き隊は黒色・白色のマスクをしているが、後年のシリーズと異なり完全な覆面ではなく、本篇終了時の出演者一覧にも表示されている。また収録が9月7日~翌8日にかけて行われたため松本はこの罰ゲーム収録時に42歳の誕生日を迎えた。この模様は後日レギュラー放送内で未公開シーンで放送された。

詳細は「絶対に笑ってはいけない高校」を参照

絶対に笑ってはいけない警察24時(2006年年末)浜田・山崎・遠藤[編集]

タライアンルーレット対決(2006年10月8日放送)で敗れた浜田・山崎・遠藤に対する罰ゲーム。50個のタライの中からくじ引きの順番に一人一本ずつタライに繋がれたヒモを切っていきタライが落下しなければSAFE、4個ある落下するタライに繋がれたヒモを切ってしまったら罰ゲームというルールで実施された。タライは通常のものをはじめ、巨大サイズのものや落花生の飾りが付けられたものなど様々なタイプのタライが用意された。

「笑ってはいけないシリーズ」の4作目であり、「しゃくれ警察署」として、静岡県御殿場市にあった富士フェニックス短期大学で収録が行われ、対決の勝者となった松本と田中は罰ゲームの指揮者として出演。罰ゲームの模様は同年12月31日に『大晦日年越しスペシャル』として3時間15分に渡り放送。

この回からは、「職業」のシリーズとして、メンバーは「新人」の設定で行われ、新米警察官となった浜田・山崎・遠藤の3人はこの警察署で24時間過ごし笑ってしまった場合は屈強なアメリカンポリス(中盤からは日本人もアメリカンポリスの格好をして罰を執行)に警棒でお尻をシバかれる。笑ってはいけないシリーズで、罰隊に外国人が参加しているのは今回のみである。

この回で対決&罰ゲーム企画は一旦終了となり、翌年(2007年)の「病院24時」からは全員参加となった。

詳細は「絶対に笑ってはいけない警察24時」を参照

松本人志罰ゲーム(仮)(2023年内予定)松本人志[編集]

チョロQアンルーレット対決(2023年3月12日放送)に敗れた松本に対する罰ゲームであり、17年ぶりとなる罰ゲーム企画。100台あるチョロQの中から順番に一人一台ずつ選んでいきチョロQが走ったらSAFE、4台ある走らない細工が施されたチョロQを選んだら罰ゲームというルールで実施された。

メンバー5人によるロシアンルーレット形式の対決では初めて罰を受けるのが1人となった(松本は収録後もう1台走らない細工を当ててしまい1人で2台当てた)。また、5人参加型の対決&罰ゲームで松本が1人で罰を受けること及び方正が仕掛け人側に回るのは2001年夏の「ひとりぼっちの廃旅館1泊2日の旅」以来約22年ぶり[注 18]。現在は計画進行中であることのみ発表されており、放送時期や内容については2023年3月時点では未定である。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. a b 笑ってはいけないの成績を含む。
  2. 最多で4人が罰ゲームとなる。なお、ロシアンルーレット対決で4人罰ゲームになったのは2023年現在、2005年の「高校」(松本・山崎・遠藤・田中)のみ。
  3. 当初は前週の3月5日に放送予定だったが、同年2月22日に死去した笑福亭笑瓶の追悼企画を急遽放送したため、1週間延期となった。
  4. ただし現在当番組をネットしている局でも、放送当時未ネットであったり、放送局の都合などで一時期放送を休止していたネット局などがあるため、ネット局によっては放送されなかった企画もある。
  5. 現在当番組をネットしている秋田放送南海放送は松本の罰ゲーム出演当時『ズームイン!!朝!』は非ネットだった他(この2局では当時TBSHOTLINE』をネットしていた)、四国放送では自社制作番組である『おはようとくしま』を放送していたため『ズームイン!!朝!』は最後まで非ネットだった。ちなみに日テレ系新局開局前(松本の罰ゲーム出演当時)の地域における『ズームイン!!朝!』のネット状況は、長崎県では当時クロスネット局だったテレビ長崎で、鹿児島県では同じく当時クロスネット局だった鹿児島テレビで放送された。なお、2局は『夢で逢えたら』のネット局でもあった。石川県ではテレビ金沢の開局前だったため、『ズームイン!!朝!』は当時非ネットだった。
  6. 放送当時は月曜夜7時30分〜夜8時の間放送の為、当日放送分は「結婚前夜の密室事件(前編)」だった。
  7. 唯一罰ではない。ただし2回目には最後のページに『頭突き』と書かれており、執行された。
  8. 全裸の男児が尻を顔面騎乗していく。2回目は最後に松本も参加した。
  9. 設定上では廃旅館であるが、ロケ地は神奈川県相模原市緑区(旧藤野町)にある「陣渓園」という営業中(このロケのみ特別に貸切)のれっきとした旅館である。
  10. 一度だけ、配達員からパイをぶつけられた。
  11. この年の日本シリーズは全て裏の攻撃側(ホームチーム)が勝ったため。
  12. 都内から東京駅への道中、インターチェンジを経由。
  13. この時、浜田が座った座席は進行方向とは向きにされていた。
  14. ウラジオストク航空を利用。
  15. 当時、同航空会社は、新潟空港と関西空港でしか就航していなかったため
  16. ただし例外として、新潟市内観光を行った際は、美川憲一の「新潟ブルース」が使用された(新潟空港へ向かう途中、同曲にも登場する「万代橋」を通過したため)。
  17. 座禅修行時のみ住職から警策で背後から肩を一発叩かれる
  18. それ以外を含むと2002年秋の「ノーリアクションパイ地獄」以来21年ぶり。

出典[編集]

  1. a b 「AD Watching」、『広告批評』第227号、マドラ出版、1999年5月1日、 40 - 41頁、 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1852946/22。