みのもんた

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みのもんた
プロフィール
本名御法川 法男
(みのりかわ のりお)
出身地日本国旗.png日本東京都世田谷区
生年月日1944年8月22日(76歳)
血液型A型[1]
最終学歴立教大学経済学部
所属事務所ニッコク
職歴文化放送アナウンサー
活動期間1967年 -
配偶者御法川靖子(スタイリスト)(2012年没)
著名な家族父・御法川正男(2005年没)
出演番組・活動
出演中朝からみのもんた
出演経歴セイ!ヤング
プロ野球ニュース
なるほど!ザ・ワールド
午後は○○おもいッきりテレビ
どうぶつ奇想天外!
クイズ$ミリオネア
みのもんたの朝ズバッ!
みのもんたのサタデーずばッと
秘密のケンミンSHOW』など
その他株式会社ニッコク代表取締役社長

みの もんた1944年昭和19年〉8月22日[2] - )は、日本アナウンサー(文化放送→フリーアナウンサー[2]タレント[2]司会者[2]ニュースキャスター実業家[2]。本名、御法川 法男(みのりかわ のりお)[2]愛称は、みのさんみのちゃんなど。

東京都世田谷区出身[2]神奈川県鎌倉市鎌倉山在住(旧山椒洞)[3]。自身の個人事務所である株式会社ニッコク代表取締役社長

来歴[編集]

幼少時、伯父が森繁久彌と一緒に芝居をしていた関係で、世田谷区の自宅の離れに森繁が下宿していた事があり[4]、森繁の出演する映画のチケットを貰って、よく見に行っていたため、小学校に入学した頃には、映画や芝居に興味を持っていたという[4]。『柔道一代』などの映画の撮影を御法川家で行っていたこともよくあった[5]

世田谷区立祖師谷小学校[6]立教中学校(現:立教池袋中学校 進学の理由は当時立教大学硬式野球部で活躍していた長嶋茂雄杉浦忠本屋敷錦吾の「立教三羽烏」への憧れから[7])、立教高等学校(現:立教新座高等学校)を経て[8]立教大学経済学部へ進学。大学では放送研究会に所属し、ラジオドラマをやっていた。みのは、4年先輩の徳光和夫から「アナウンサーはいいよ」「これからはテレビの時代だよ」などと言われ、スタジオ見学などに連れて行ってもらっていたと述べている[9]

立教大学経済学部を卒業後、1967年(昭和42年)、文化放送に入社。就職先の第一志望はTBS(東京放送[10])だったが、採用試験で不合格となり[11]、TBSに同年、入社した久米宏を長年に渡り、常に意識していたと再三語っている[9]。父親の御法川正男宮城県栗原郡鶯沢村(現:栗原市)出身である[12]

文化放送時代[編集]

文化放送ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動した。同期には落合恵子などがいる。

初めの2年弱は研修として、同じフジサンケイグループ産業経済新聞社(産経新聞社)に通っていた[13]。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしたが全く駄目で「ニュースには向かない」と言われた[14]と当時、アナウンス部長だった土屋恵が後に語っている。

文化放送での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。その後、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』、TBSラジオの『パックインミュージック』で深夜放送ブームに火が点き、遅れて始まった文化放送の『セイ!ヤング』の初代パーソナリティ1969年〈昭和44年〉6月 - 1973年〈昭和48年〉3月まで担当)に抜擢される[15][16]

ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特の節まわしでリスナーの関心を惹きつけた[17](高橋小枝子とDJを担当)。

プロ野球中継でもベンチ リポーターを務め、後楽園球場読売ジャイアンツ戦やオールスターゲームなどを担当していたこともある。

後に、『みのもんたのワイドNo1』、『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』等を担当し、文化放送と同じく、フジサンケイグループに所属するフジテレビの番組にも出演。『オールスター水泳大会』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される[18]

1979年(昭和54年)9月に文化放送を退社[19]

文化放送退社後[編集]

父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社し、10年間全国を営業で回った[20]

その間、フジテレビに声を掛けられ、『プロ野球ニュース』の週末版で、雨が降って野球が中止になると、MLBのビデオを流し、それに「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、これが当たり『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』に発展し2019年(平成31年・令和元年)現在も不定期に放送されている。また『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーターや、『オールナイトフジ』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当し、コミカル系サブ司会者(コメディ・リリーフ的存在)として認知される様になる。

1989年(平成元年)4月から『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当[21]。番組が高視聴率を取るようになり、一気に人気司会者の地位を築くに至った。

1999年(平成11年)10月、父親が経営する「日国工業」を受け継ぎ(それまでの自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。

芸能活動[編集]

  • 大学卒業時、TBSに入社を希望していた経緯もあり、同局(TBSテレビ)との関係を強化。
  • 民放キー局5社全てでレギュラー番組を持った一方、NHKではレギュラー番組を持った経験はない[22][23]
  • しかしながら、61歳だった2005年(平成17年)には『第56回NHK紅白歌合戦』で司会を担当[24]、これがNHK地上波での初司会となったほか、『NHK紅白歌合戦』における男性司会者の最年長記録且つ史上初の60代男性による司会となった。
  • 同紅白において、リハーサル時からみのとスタッフの間で進行の方針を巡って対立していたことが表沙汰となり、これらが原因で紅白での司会担当1度限りとなっている[25]

経営活動[編集]

  • 1999年(平成11年)10月から株式会社ニッコクの代表取締役社長を務めており、過密スケジュールの合間を縫って毎日出社し、業務を行っているとされる。入社試験の面接でみのが現れると驚く人もいるという。世間では副業ではないかといわれているが、会社経営のほうが本業だと語っている[26]
  • 同社は、父親から受け継いだ水道メーターの会社「日国工業株式会社」に、自分の事務所「オフィスモンタ」を吸収合併したものである[26]
  • 自身経営の水道メーター会社のライバル社「愛知時計電機」の株式を本名の「御法川法男」個人名義として発行済株式総数5,140万株中、365万3千株(7.11%)を所有(2014年9月30日現在)する第2位の株主[27][28]

セクハラ疑惑騒動・次男の逮捕[編集]

2013年(平成25年)8月30日に放送されたTBSテレビみのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つTBSアナウンサーの吉田明世の腰付近に手を伸ばし、吉田がその手を振り払ったように見える映像が一瞬流れた。これに対して、TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう『番組担当者』に口頭で注意した」と公式に発表している[29]。みの本人への注意には、触れられていない。

同年9月9日より、みのは9月16日までの「夏休み」を理由にテレビ出演を休止した。みのはこの年の8月9日から16日にも夏休みをとっており、情報番組のメインキャスターが1年に2度も「夏休み」で番組を休むのは異例のことである[30]

9月13日には、同月11日に当時日本テレビ社員の次男が、泥酔し道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕されていたことが判明[31]。次男は同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となった[32]

なお、みのは次男の日テレ入社経緯について、採用試験が難しすぎて名前と住所しか書けなかったため、当時社長の氏家齊一郎に依頼したコネ入社であったことを明かしている[33]。ただし日本テレビ社長の大久保好男は定例会見で「正規の手続きで入社している。名前しか書けない人は会社どころか大学にも入れない」と述べ、みのの発言内容について否定している[34]

『朝ズバッ!』・『サタデーずばッと』降板[編集]

「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表[35]。その後、10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された[36]。『秘密のケンミンSHOW』とラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演は従来通り続けた[37]

記者会見

10月26日午後、記者会見を行う。その冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した上で、「辞めなければ収まらない風潮を感じた」「(報道は憧れであり)忸怩たる思い」と語った[38]。前述のセクハラ疑惑に対して記者から質問され、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰をたたいた。セクハラなどということは全くありません」と述べ、否定した[39]

その後

2014年(平成26年)3月24日、文化放送『みのもんたの ニッポンdiscover again』の初回収録後に緊急会見を行い、「放送界の先輩」が鎌倉の自宅まで駆けつけ、「ファンやスタッフに申し訳ないと言ったか!!」と一喝され、目が覚めたことを明かし、「ドキッとしました。情けなかった。オレは言い訳ばっかりして自分のことばかり考えていた」と目を潤ませ反省の弁を述べた。同時に今後、各方面に“謝罪行脚”をすることも明かした[40]

2014年(平成26年)4月6日に次男の事件後初めてのラジオ番組のレギュラーとなったみのもんたの ニッポンdiscover again文化放送)が放送開始(こちらは2017年〈平成29年〉3月26日に終了)。テレビ番組では2017年(平成29年)1月16日から放送が始まった結婚したら人生劇変!○○の妻たちTBS系列)でもMCを務めたが、8か月ほどで終了。次男の事件以降は仕事は激減し、レギュラー番組は秘密のケンミンSHOW読売テレビ系列)のみとなった。

約4ヶ月間のテレビ活動休止[編集]

2020年(令和2年)1月23日、読売テレビはみのもんたが『秘密のケンミンSHOW』を3月をもって降板することを明らかにした。みのもんたはその後『FRYDAY』の取材に応じ、「75歳になって、若いタレントや芸人のテンポについていけなくなった」「『完全に潮時だな』と思った」と加齢による体力の衰えを理由に自らテレビ局と話し合って引退を決めたことを明かした[41]。また、文藝春秋の取材にも応じ、「本当の喋りには『間と緩急』というものが必要」と最近のタレントとの感覚の隔たりを感じていたことも明かした[42]

『ケンミンSHOW』の降板によりみのはテレビ番組から完全に姿を消したが、同年8月9日から関西ローカルで新たな冠番組『朝からみのもんた』が放送開始され、引退宣言を撤回して半年ぶりにテレビ番組に復帰した。

キャスターとしての評価[編集]

肯定的評価[編集]

  • テリー伊藤はみのが『朝ズバッ!』『サタデーずばッと』を降板することが発表された際に「テレビを見てる一視聴者として僕は、ちょっと残念だなという気持ちがある。みのさんはコメントする時いつも、弱者の味方なんですよね。年金の問題、福祉の問題、福島の問題…彼はキャスターで一番福島に行ってるんじゃないかな。毎月11日は必ず(『朝ズバッ!』で)特集しますよね。色々あるだろうけど残念だなと思います。またいつかどこかの場所でみの節が出るようなことができるといいなと思います」とキャスターとしてのみのについてコメントした[43]

否定的評価[編集]

  • 自身の番組で頻繁に政・官・業の不適切な関係を厳しく追及しているが、みの自身も、同様の関係を保持していると指摘されている。
  • 株式会社ニッコクは談合独占禁止法違反)で、何度も刑事告発をされていて、2003年(平成15年)に、追徴金7500万円、和解金3900万円を支払い、翌2004年(平成16年)には、再び他のメーカーとの談合で刑事告発された。さらに別口の談合で家宅捜査を受け、2005年(平成17年)2月には、追徴金400万円を支払っている。
  • 2004年(平成16年)7月15日に、ニッコクと愛知時計電機は他17社とともに2003年(平成15年)7月から2004年(平成16年)7月までの間に行われた東京都水道局発注の水道メータ買入れに係る競争入札に、いわゆる談合を行っていたとして公正取引委員会から排除勧告を受けた[44]。また、各社に対し審決に応じて東京都は損害賠償請求をしている[45]
  • 談合事件に関して社長としての責任を問われて、「名ばかり」のお飾り社長で実務は分からないと釈明しているが、上記来歴の通り実務には精通しており、自身の番組などでは「名ばかり」のお飾り社長を痛烈に批判したこともある。
  • その東京都水道局の広報誌「水道ニュース」2007年5月号Icons-mini-file acrobat.gif PDFでは、司会者みのもんたとして水道局長の御園良彦との特別対談が掲載されている。また同年10月には、同様にみのもんた名義として東京都から東京五輪招致大使に任命され、水道メーターの納入業者の社長と東京都との関係、報道を扱う番組の司会者と行政との関係に公正性が担保されるのか疑問が持たれている。
  • 後述する次男逮捕後のインタビューにおいて、上記談合事件は上場2社の主導であり、従わざるを得なかった旨を主張している[46]。なお、この上場2社のうち一社は上述のみの自身が第2位の株主である愛知時計電機である。

人物[編集]

愛称[編集]

愛称は「みの」、「みのさん」、「みのちゃん」。

芸名の由来[編集]

  • 芸名の名付け親は野末陳平。由来は当時、御法川を略して「みの」と呼ばれていて、申年生まれ(monkey)であることと、当時人気だった競走馬「モンタサン」に掛けて、「もんた」とした[47]

睡眠時間[編集]

  • 午後は○○おもいッきりテレビ』『みのもんたの朝ズバッ!』の2本の平日の帯番組及び、夜のレギュラー番組を抱えていた当時、睡眠時間は2-3時間だという。基本的にテレビ局が用意してくれたホテルに宿泊。時間に余裕がある場合は、自宅から通う(本人談。午前12時頃〜午前3時30分頃)[48]

家族・縁戚[編集]

  • 父は日国工業創業者・御法川正男。みのは3人兄弟の二男であるが、兄・正昭はみのが生まれる前月(1944年〈昭和19年〉7月21日)に3歳で死亡している[49]
  • 妻・御法川靖子は自身の専属スタイリストだった。子供は2男1女がいる。長男はTBSに勤務しており、長男の結婚披露宴には民放各局トップや大手芸能プロのトップのほか、自民党の石原伸晃二階俊博、下川俊樹(自民党和歌山県連幹事長)、徳光和夫古舘伊知郎高田純次加藤晴彦ら約360人が列席した。司会は『みのもんたの朝ズバッ!』の裏番組だった『ズームインSUPER』(日本テレビ)の司会・羽鳥慎一(当時日本テレビアナウンサー)が務め、局の枠を超えた式となった。次男[31]は日本テレビに勤務していたが、前述通り不祥事を起こしたため日本テレビを解雇となる。2人の兄弟の姉にあたる長女は母である靖子が亡くなってからは、父の専属スタイリストに転身した。
    • 妻は癌のため2012年(平成24年)5月22日に亡くなった(66歳没)。その通夜では、野田佳彦内閣総理大臣(当時)からも供花があった。
    • 次男は日本テレビ解雇後、みのの計らいでニッコクに再就職した[50]。事件発覚当初、みの自身は次男のニッコクへの再就職について明確に否定していた[46]。しかし、実際には、日本テレビ解雇直後から、社会保険と年金のためと称して、ニッコクに所属させていた。給料は支払っていないとみのは主張している[51]

交友関係[編集]

  • 交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも私生活で交流のある人物が多いのが特徴である。特に政界では遠縁に自民党所属の議員がいる事などから自民党関係者が多い。
  • 石原慎太郎と親密であるとされる。2007年(平成19年)には石原の要請を受け「東京五輪招致大使」に任命された[52]
  • 安倍晋三との交流も深く、1次政権時代は秘書官の井上義行と逗子市の居酒屋で情報交換を繰り返し[53]、首相退陣の日には安倍自らがみのに電話している[54]
  • 二階俊博との親交は有名で、二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ[55]、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも、芸能関係者に混じりお祝いのスピーチをした。2007年(平成19年)12月8日には、二階を団長とした経団連などを中心とした訪中団にみのも招かれていた[56]。東海地方で「ニッコク」を興したみのの父親が、二階俊博が秘書を務めていた遠藤三郎の後援者だった縁によるもので、20年来懇意にしており、大下英治著『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』には、みのが推薦文を寄せている[57]
  • 芸能界の友人は梅沢富美男高田純次[58]

その他・エピソード[編集]

出演[編集]

出演番組[編集]

映画[編集]

劇場アニメ[編集]

CM出演[編集]

後述のコマーシャルに起用されている。報道を扱う番組(『みのもんたの朝ズバッ!』、『みのもんたのサタデーずばッと』、『午後は○○おもいッきりテレビ』内「情報特急便」、『おもいッきりイイ!!テレビ』内「Newsエスプレッソ」など)のメインキャスターがコマーシャルに出演するという事例は、日本以外の先進国では通常はほぼない[67]。これは報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、過去にはTBSの報道番組『イブニング・ファイブ』に出演していたラサール石井が保険会社のコマーシャルに起用されていた事例もある。

  • この他に、日本酒造組合中央会の新聞広告に起用されたことがある。

作品[編集]

シングル[編集]

  • 元気イキイキ!おもいッきり(2003年
    • 自身が司会を務める「おもいッきりテレビ」放送15周年の企画曲。「イキイキふれんず」名義。カップリングは『健康!ピンピコピン』(「みのさん&かよちゃん」名義)。
  • 夜の虫/花と小父さん(作詞・作曲:浜口庫之助/編曲:竜崎孝路2006年11月22日
    • 1967年(昭和42年)に浜口自身の歌唱で発売した曲のカバーであり、これがソロ歌手デビューとなった。同じくB面も浜口作詞作曲の作品で、伊東きよ子植木等のカバーである。
    • 10月19日に行なわれたレコーディングでは、「シラフじゃ歌えない」とブランデー片手に歌を歌い、2時間後にはすでに曲も本人も出来上がっていた。「紅白のオファーは(司会としても歌手としても)当然来るでしょう」「もしかしたらレコ大の司会オファーもあるかも」と発言している。結局は取り下げられてしまい、「よく分かりました。紅白の出演は年枠にします。」と発言。
    • 2006年11月10日 - 16日のUSENの総合チャートで、浜崎あゆみの『JEWEL』に次ぐ2位、演歌チャートで1位を獲得した。オリコンシングルチャート初登場で演歌チャート6位、総合チャート90位。
  • 口説きながら麻布十番 duet with みの もんた

書籍[編集]

著書等[編集]

  • みのもんたの七転び八起き(ワニブックス、1976年)
  • こころの案内図(朝日出版、1995年7月発行)
  • みのもんた十八番勝負 おもいッきり対談集(日本テレビ放送網、2002年9月発行)
  • それでも僕は立ち続ける(日本テレビ放送網、2006年4月発行)
  • 腰痛スッキリ! 角川oneテーマ21 C-113(角川書店、2006年7月発行)
  • 義理と人情 僕はなぜ働くのか(幻冬舎、2007年3月発行)
  • 死んではいけない いじめ緊急レポート 7600通を超えた悲鳴!(TBS「みのもんたの朝ズバッ!」制作スタッフ著、毎日新聞社、2007年1月発行)
  • 敗者の報道(TAC出版、2014年)

ものまね・パロディ[編集]

カギカッコ内は、キャラクターの名前である。

脚注[編集]

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  1. 決定!これが日本のベスト「血液型ランキング」”. テレビ朝日. 2016年2月16日確認。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 知恵蔵. “みのもんた” (ja). コトバンク. 2020年9月22日(火)確認。
  3. “みのもんた 「みのもんたの朝ズバッ!」で“TV人生初”の遅刻”. スポーツニッポン. (2011年8月11日. http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/11/kiji/K20110811001387820.html 
  4. 4.0 4.1 『敗者の報道』p.125
  5. スポーツニッポン 2014年9月3日芸能面「我が道」
  6. スポーツニッポン 2014年9月4日芸能面「我が道」
  7. スポーツニッポン 2014年9月5日芸能面「我が道」
  8. 8.0 8.1 スポーツニッポン 2014年9月6日芸能面「我が道」
  9. 9.0 9.1 スポーツニッポン 2014年9月10日芸能面「我が道」
  10. 会社法人としては、現在の東京放送ホールディングス(2009年〈平成21年〉4月より同社名)。放送局としては、現在のTBSテレビ(2009年〈平成21年〉4月、旧東京放送よりテレビの放送免許を継承)・TBSラジオ(2001年〈平成13年〉10月、東京放送よりラジオの放送免許を継承)。
  11. ノーベル賞受賞者もみのもんたも就活で第一志望に落ちていた SAPIO 2011年3月9日号
  12. 『敗者の報道』p.124-125。
  13. 当時は採用は別々だったが、研修は文化放送、フジテレビニッポン放送、産経新聞社とグループ合同で行われていた。
  14. 『敗者の報道』p.60-61。
  15. みの本人は「組合に入っていなかったため、深夜労働が出来た」と語っている(『敗者の報道』p.57 より)。
  16. 当時、既に人気を博していた先輩アナウンサーの土居まさるも『セイ!ヤング』のパーソナリティだったが、みのが土居の口調・声質・抑揚など、全てを真似していたため、リスナーは聞き分けが付かない程だったという(セイ!ヤング&オールナイトニッポン 70年代深夜放送伝説(扶桑社)セイ!ヤング編p.56-57 より)。
  17. セイ!ヤング&オールナイトニッポン 70年代深夜放送伝説(扶桑社)セイ!ヤング編p.53
  18. 『敗者の報道』p.64-66
  19. 『敗者の報道』p.76
  20. スポーツニッポン 2014年9月10日芸能面「我が道」
  21. 当初は番組内のコーナー司会のみを担当していたが、司会の山本コウタロー参議院選挙出馬による降板のため、後に2代目司会に昇格した。
  22. みのの『第56回NHK紅白歌合戦』以前のNHK出演は1985年(昭和60年)8月20日・12月6日放送の『ひるのプレゼント』にゲストとしての出演(NHK番組表ヒストリー)、1997年(平成9年)3月21日放送のBS2『ウイークエンド・スペシャル』、1999年(平成11年)7月25日放送のBS2『いまさら聞けないあなたのためのNHK流行講座』、2002年(平成14年)10月放送の「わたしはあきらめない」のみ(『サンケイスポーツ』2005年11月18日付)。
  23. 『第56回NHK紅白歌合戦』の司会決定後、週刊誌でNHKがこれまでみのをほとんど起用しなかった理由は「黒い顔のイメージが局に合わない」と判断していたためと報じられた。
  24. 同回は「グループ司会制」となり、司会の役割は決められなかったが、事実上の総合司会を担った。
  25. 詳細は「第57回NHK紅白歌合戦」の項を参照。
  26. 26.0 26.1 『敗者の報道』pp.86-90,98-101。
  27. 四半期報告書 第92期第2四半期”. 愛知時計電機 (2014年9月30日). 2015年4月27日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2020年9月6日確認。 pp.7.、個人での株式取得数では第一位。
  28. 経営者が競合企業の株式を所有することは、まま見受けられることであり特別なことではない。
  29. みのもんたさん、セクハラ?女性アナ手振り払う アーカイブ 2013年10月29日 - ウェイバックマシン 読売新聞 2013年9月2日
  30. みのもんたが今年2度目の「夏休み」 「セクハラ謹慎では」といった憶測広がるJ-CASTニュース(2013年9月9日)
  31. 31.0 31.1 東京スポーツ2013年9月14日). “みの次男(○○容疑者)の主張に当局激怒!余罪追及へ”. 東京スポーツ. http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/183716/ 2020年9月6日閲覧。 
  32. 窃盗容疑のみのもんた次男、日テレを諭旨解雇処分J-CASTニュース 2013年10月9日
  33. 人気企業に親の七光りで「コネ入社」 法的に問題はないのか? Archived 2013年12月16日, at the Wayback Machine.弁護士ドットコム 2013年12月1日
  34. 日テレ社長、みの次男のコネ入社報道を否定 Archived 2014年4月3日, at the Wayback Machine.スポーツ報知 2013年12月3日
  35. みのさん、報道番組自粛へ 次男逮捕「父として責任」 朝日新聞 2013年9月13日
  36. みのもんたさん:「朝ズバッ!」などの出演終了 TBS Archived 2013年10月27日, at the Wayback Machine. 毎日新聞 2013年10月25日閲覧
  37. 次男逮捕で「責任感じる」 みの、バラエティーは引き続き出演へ[リンク切れ] 楽天Women
  38. みのさん「辞めなければ収まらない風潮感じた」 アーカイブ 2013年10月29日 - ウェイバックマシン 2013年10月26日 読売新聞
  39. みのもんた、女子アナへのセクハラ疑惑は完全否定! シネマトゥデイ 2013年10月26日
  40. みのもんた緊急謝罪「言い訳ばかりで」,デイリースポーツ
  41. レギュラー番組ゼロ みのもんたの告白“司会引退を決意した理由””. FRIDAYデジタル2020年2月9日). 2020年9月6日確認。
  42. 「文藝春秋」編集部. “「最近のタレントさんは踊ったり騒いだりするだけ」みのもんた75歳が“テレビ引退”を決意した理由”. 文春オンライン. 2020年9月6日確認。
  43. 「みのさんは弱者の味方。降板は残念」 サンジャポの「甘口」擁護コメントに違和感J-castニュース
  44. 公正取引委員会 「東京都が発注する水道メーターの入札参加業者に対する勧告について[リンク切れ]」 平成15年7月15日
  45. 東京都水道局 「水道メータ談合事件に係る課徴金納付命令に伴う損害賠償請求(第二次請求)の実施について Archived 2007年4月29日, at the Wayback Machine.」 平成17年4月22日
  46. 46.0 46.1 みのもんた 経営の水道会社「倒産を覚悟した」週刊朝日 2013年11月15日号
  47. セイ!ヤング&オールナイトニッポン 70年代深夜放送伝説(扶桑社)セイ!ヤング編p.52
  48. 48.0 48.1 スポーツニッポン 2014年9月23日芸能面「我が道」
  49. みのもんた著『敗者の報道』(2014年、TAC出版)p.112
  50. 『女性自身』でのみののインタビューより
  51. スクープ・インタビュー120分! 次男の逮捕から1年 みのもんた「謹慎中に考えたこと、すべてお話しします」2014年09月09日 週刊現代
  52. みの東京五輪招致大使、石原都知事が依頼”. 日刊スポーツ2007年10月2日). 2020年9月6日確認。
  53. 上杉隆『官邸崩壊』
  54. フライデー (雑誌)』2007年10月2日号 みのに慰められた安倍は号泣したという。
  55. 二階俊博2005年7月22日). “郵政民営化特別委員会 109時間の審議、粛々と採決”. 和歌山新報. http://s01.megalodon.jp/2009-0502-1750-22/www.wakayamashimpo.co.jp/ganbattemasu/2005/07/post_236.html 2020年9月6日閲覧。 
  56. みのもんた 談合と政治家『週刊現代』2008年6月21日号
  57. 『週刊新潮』2009年3月26日号「続小沢ショック/二階ファン、信頼する友人と公言しちゃったみのと王」
  58. 週刊ポスト』2016年4月15日号みのもんた71歳「夜の部活」復活宣言
  59. みのもんた、松崎しげる、黒さの真相”. アメーバニュース2013年10月13日). 2020年9月6日確認。
  60. “みのもんた タモリと29年ぶり共演!かつては同時間帯のライバル”. スポーツニッポン. (2013年5月6日. http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/06/kiji/K20130506005748990.html 2020年9月6日閲覧。 
  61. 入学式に出席しただけで、現在ではウェブサイトからその名が削除されている。
  62. 役員(一覧)”. 日本火消し保存会. 2020年9月6日確認。
  63. みやぎ夢大使 Archived 2008年12月4日, at the Wayback Machine.(宮城県)
  64. 第6期みやぎ夢大使 みのさんら5人新任 Archived 2010年3月26日, at the Wayback Machine.(河北新報 2010年3月23日)
  65. <担当放送作家として語る>『みのもんたの朝ズバッ!』はこうして誕生し、こうして解体した②[全6回],BLOGS,2014年9月8日
  66. 実は「みのもんた」は三つ子だったと言う設定で、本人に相当する「みのもんいち」役や、三つ子の弟「みのもんじろう」「みのもんざぶろう」役も務めた。
  67. ビデオジャーナリストの神保哲生によれば、日本のテレビ界でも、かつてはキャスターどころかお天気キャスターでさえ、報道番組に携わる人間はコマーシャルには出るべきではないという不文律があったという。
  68. 公正取引委員会「タマホーム株式会社に対する排除命令について Archived 2008年10月29日, at the Wayback Machine.」 平成19年3月29日
  69. 2011年12月以降に登場している「もんたクロース」〜「休みのもんた」は山寺がそのパペットを使って声を演じている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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