スペインの歴史
アフリカはピレネーから始まる
スペインの歴史 (すぺいんのれきし)は、スペイン王国の辿った国家の歴史である。
概要[編集]
ヨーロッパ南西部のイベリア半島はピレネー山脈を隔てられたため、他のヨーロッパの国々とは異なる歴史を歩んだ。
古代[編集]
ローマ帝国の領土にもなったが、辺境であり、重要視されることはなかった。ローマ帝国が東西に分割したときは西ローマ帝国の領土となった。しかし、ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国は滅ぼされ、この地には西ゴート王国が成立した。その後、ローマ帝国の復活を掲げるビザンツ帝国によって西ゴート王国は滅ぼされ、地中海はビザンツ帝国の湖となった。さらに、イスラム勢力のウマイヤ朝がビザンツ帝国を破ってイベリア半島に侵入したが、ウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされたため、ウマイヤ朝の残党がイベリア半島に逃げ込み、後ウマイヤ朝を設立させた。一方、イベリア半島内のキリスト教徒はイスラム勢力をイベリア半島から駆逐しようと国土回復運動 (レコンキスタ)を開始、以後700年間に渡ってキリスト教徒とイスラム教徒の戦いが始まった。
中世[編集]
レコンキスタが続く中、イベリア半島内にはイスラム文化が浸透、建設された図書館には多くの書籍が収められ、ヨーロッパ各国から留学生が訪れた。やがてキリスト教徒は後ウマイヤ朝を滅ぼし、イベリア半島をスペイン王国とポルトガル王国によって統一した。イスラム勢力を追い落とした軍隊の勢いは止まらず、喜望峰周りでインドへの海路を発見し、さらにアメリカ大陸を発見してこれらに軍隊を送り、征服活動を始めた。
近世[編集]
1571年、オスマン帝国との間でレパントの海戦が発生してこれを破り、世界に敵なしの「太陽の沈まぬ国」となった。しかし、1588年に発生したアルマダ海戦でイギリスに破れ、以後、ヨーロッパの主要舞台から降りる形になった。また、カトリック教会や大地主の力が強く、議会の力も弱かったため、植民地からの利益はこれらの奢侈に使われ、国家の発展には使われず、国力は衰退していった。
19世紀[編集]
ナポレオン戦争によってフランス軍が侵入した。当初、スペイン人はフランス軍を解放者として歓迎したが、フランス軍がフランス中心の政治を行おうとしていることが知られ、ゲリラ戦でフランス軍を追放した。ウィーン会議によって戦前の国家制度に戻されたが国民の不満が募り、反乱が相次いだ。南アメリカ大陸の植民地が次々と独立し、スペインの植民地はキューバとフィリピン、プエルトリコだけとなった。しかしこれも米西戦争の敗北によってアメリカ合衆国の領土となった。
20世紀[編集]
第一次世界大戦では中立を守り、莫大な利益を上げたが、中立国だったため報道統制が厳しくなく、流行していたインフルエンザの名称はスペインかぜと言われた。終戦とともに不況が訪れた。国際連盟に加入し、国際協調の道を歩み始めたが、国民の不満は高まり、革命が起きて共和制となり、スペイン共和国が誕生した。やがて、カトリック教会と大地主によって支持されたフランコによってクーデターが起き、スペイン内戦が発生、アドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニはフランコの反乱軍側を支持して露骨な軍事介入を行った。その結果、フランコ側が勝利した。第二次世界大戦でも中立の立場に立ち、戦後は全体主義国家のまま西側の陣営に着いた。