清洲町
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清洲町(きよすちょう)は、愛知県名古屋市北西の西春日井郡に存在した町である。平成17年(2005年)7月7日に、西枇杷島町、新川町と合併して清須市となったため消滅した。織田信長の居城である清洲城があった場所としても知られている。
概要[編集]
この町は古くから開けた場所であり、弥生時代の遺跡である朝日貝塚群が町内大字朝日から春日町にかけてあるのがそれを物語っている。歴史的な記録としてこの地が有名になるのは、室町時代前期の応永12年(1405年)に尾張守護に任命された斯波義重が清洲城を築城してからである。以後、この地は尾張支配の中心地として政治・交通・商業の要衝として大いに栄えた。戦国時代には織田信長が居城を置いたことでも知られている。
慶長13年(1608年)に徳川家康の9男で尾張藩主の徳川義直が居城を名古屋城に移す「清洲越し」を行なったことにより、尾張の中心地は名古屋に移ることになり、清洲城は廃城とされて政治的要衝としての地位を失う。しかし美濃路の宿駅として旅籠・茶屋・商家などが立ち並んでなおも繁栄は続いた。
明治22年(1889年)に清洲町として成立し、明治39年(1906年)に朝田村・一場村を合併する。さらにこの際に市田村・白鷹村の一部を編入した。明治42年(1909年)に大里村の一部を編入し、明治43年(1910年)に甚目寺町の一部を編入する。昭和18年(1943年)に甚目寺町の一部をさらに編入した。この町は中央を五条川が南に流れており、ほぼ中央部に清洲城跡を整備した清洲公園がある。
平成17年(2005年)7月7日に、西枇杷島町、新川町と合併して清須市となったため消滅した。
清洲町の見どころ[編集]
- 清洲城跡(清洲公園)
- 愛知県清洲貝殻山貝塚資料館
清洲町の特産品[編集]
- 野菜類
人口・面積[編集]
- 人口は1万8641人。
- 面積は5.25平方キロメートル。