弥生時代
弥生時代とは、紀元前1000年頃から西暦250年頃まで続いたとされる日本の時代区分である。
概要[編集]
紀元前1000年頃に半島から水田稲作が伝わってきたことが発端である。平坦な土地に水田が作られていった。吉野ヶ里遺跡や池上曽根遺跡は平坦な土地に造られた村の遺跡である。
まずコメを作るには灌漑設備と、畦(あぜ)という水の氾濫を防止する盛土で作られた堤防を作るところから始まる。その後クワで田を耕す。耕した場所に川からの水を流し(ここまでの水路に畦がある)、水田を作った。更にそこに田下駄を使って稲を植えた。田植えである。
こうして秋まで待つ事で稲が生えて、秋には豊作になっているという原理なのだが、長期間雨が降り続かない時は銅鐸(どうたく)を使って雨を降らせる祈りをしたとされるほんとに雨が降るとは思えないが。
コメは高床式倉庫という倉庫内に納める。なぜ高床かというと、ネズミの害が防ぐためと考えられている。柱には「ねずみ返し」なるものがあり、米を狙って倉庫に登ってきたネズミを防ぐ装置活用されていた。
主な弥生時代の遺跡[編集]
弥生時代の文献[編集]
漢書、後漢書、魏志倭人伝が弥生時代の主な文献である。
弥生時代の日本国外[編集]
中国では、紀元前5世紀より周など各国が乱立する戦国時代で、紀元前3世紀に秦が統一した。その後、漢の時代が続いたが、3世紀に魏、呉、蜀に分裂、三国時代となっている。
インドでは、紀元前4世紀にマウリヤ朝が出現し、インド北部からアフガニスタンに至る領域を支配した。紀元前2世紀にはギリシャ系の王朝が、紀元前1世紀にはインド・スキタイ王国が進出した。1世紀にイラン系のクシャーナ朝の支配下に入る。
イラクでは、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王がアケメネス朝を滅ぼし、以降セレウコス朝の支配下となった。紀元前2世紀に、イランのパルティアに入り、以降パルティアの支配を受けるが、3世紀にサーサーン朝にとって代わられた。
トルコでは、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王がアケメネス朝を滅ぼし、以降トラキアの支配下となった後、紀元前3世紀に数々の小国に分裂した。紀元前1世紀にローマの支配下に入る。
エジプトでは、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が古代王朝を滅ぼし、以降プトレマイオス朝の支配下となった。紀元前1世紀にローマの支配下に入る。
イタリアでは、共和政ローマ、後に帝政ローマの時代であった。