宇佐美忠信
宇佐美 忠信(うさみ ただのぶ、1925年10月31日 - 2011年11月10日)は、労働運動家[1]。元・ゼンセン同盟会長、全日本労働総同盟(同盟)会長。
経歴[編集]
東京都出身。1944年高千穂経済専門学校(現・高千穂大学)に入学。6月に陸軍特別操縦見習士官として入隊[2]。熊谷陸軍飛行学校の特攻隊要員となり[3]、訓練中に終戦[4]。1945年10月高千穂経済専門学校卒業。1946年1月富士紡績株式会社に入社[2]、労務係を担当[5][6]。社命で労働組合準備会に派遣出向、松岡駒吉に師事[7][注 1]。関西の金正米吉、西尾末廣[5]、世界民主研究所の鍋山貞親からも労働運動を学ぶ[6][8]。
1946年7月全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)の結成に参加、常任書記[4]。同年8月日本労働組合総同盟(総同盟)の結成に参加[1]。1947年富士紡績を退社。1948年全繊同盟主事[7]、1951年中央執行委員[9]。1954年の近江絹糸争議では富士宮署に連行される。1955年全繊同盟副書記長、1961年書記長、1971年会長(1987年まで)。1980年1月全日本労働総同盟(同盟)会長[4]。
1980年9月に労働戦線統一推進会のメンバー、1981年12月に労働戦線統一準備会幹事、1982年12月に全日本民間労働組合協議会(全民労協)幹事、1985年11月に全民労協副議長となり、民間先行の労働戦線統一を推進した[3][10]。また1981年3月に第二次臨時行政調査会(第二臨調)参与、行政改革推進国民運動会議(行革推進会議)代表、1983年6月に第一次臨時行政改革推進審議会(行革審)委員となり、行政改革を推進した[11][12]。
1987年10月友愛会議初代議長(1990年まで)[13]。同年11月同盟を解散、12月全日本民間労働組合連合会(民間連合)会長代理[14]、「民社党と語る会」代表世話人[15]。インドシナ難民共済委員会(現・アジア連帯委員会)顧問[16]、社会経済国民会議副議長[17]、国際繊維被服皮革労働組合同盟(ITGLWF)副会長、国際自由労連(ICFTU)アジア太平洋地域組織会長、国際自由労連副会長なども歴任[4]。
1989年5月国際労働財団(JILAF)初代理事長(1995年まで)[18][7]。同年11月日本労働組合総連合会(連合)顧問[14]。1995年富士社会教育センター理事長[4]。学校法人高千穂学園理事長[19]、UIゼンセン同盟顧問[20]、民社人権会議代表幹事なども歴任[21]。1988年藍綬褒章、1995年勲一等瑞宝章を受章[7]。
2011年11月10日、肺炎のため死去、86歳[22]。同日にゼンセン同盟会長や連合会長を務めた芦田甚之助も死去した。同年12月9日、政府は芦田や宇佐美らを従三位に叙すことを決定した[23]。
人物[編集]
1949年に民同右派や社会党右派が結成した独立青年同盟(独青)の中心的指導者の1人であった[24]。
1959年に民社党結成に先立つ民主社会主義新党準備会に参加、綱領・規約起草委員会の幹事に就任。1960年1月に民社党が結成されると、全労は執行委員の重枝琢巳と宇佐美忠信を同党執行委員に送り込んだ[25]。
教科書正常化国民会議役員[26]。日本会議代表委員[27]。「昭和の日」推進国民ネットワーク代表委員[28]。「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)副会長[29]。「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者[29]。「八木秀次さんとともに日本の教育再生を考える夕べ」の発起人[30]。
著書[編集]
- 『全労と総評――新しい労働運動の進む道』(述、労働文化研究所[労働文化シリーズ]、1959年)
- 『和して同ぜず――私と労働運動』(富士社会教育センター、1998年)
- 『志に生きる――足は職場に、胸には祖国を、眼は世界へ』(富士社会教育センター、発売:扶桑社、2003年)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑
- 角間隆『ドキュメント日本の支配階級 労働界篇』(1981年)によると、1946年1月に退社し、総同盟結成準備会に入る。
- 芦村庸介『大企業労使の喧曄祭り』(1982年)によると、社命で松岡駒吉の門に入り、それがもとで退社。
- 政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクトによると、富士紡績から全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)準備会に派遣。
- 宇佐美忠信『志に生きる』(2003年)著者紹介によると、富士紡績入社後、総同盟結成に派遣される。
出典[編集]
- ↑ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 コトバンク
- ↑ a b 角間隆『ドキュメント日本の支配階級 労働界篇』PHP研究所、1981年
- ↑ a b 矢加部勝美編著『全民労協の研究』日本生産性本部、1985年
- ↑ a b c d e 宇佐美 忠信 政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト
- ↑ a b 芦村庸介『大企業労使の喧曄祭り――みこしを先導する若衆頭たち』日本労働協会、1982年
- ↑ a b 青木慧『タカ派知識人――組織と人脈五〇〇人』汐文社、1983年
- ↑ a b c d ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅸ 政策推進労組会議の成立から統一準備会へ』教育文化協会、2000年
- ↑ 金杉秀信、伊藤隆、梅崎修、黒沢博道、南雲智映『金杉秀信 (元造船重機労連中央執行委員長) オーラル・ヒストリー』政策研究大学院大学、2004年
- ↑ 日外アソシエーツ編『現代日本人名録 第1巻』日外アソシエーツ、1987年
- ↑ 全民労協編『全民労協運動史』全民労協運動史刊行委員会、1992年
- ↑ 総務庁編『行政の管理と総合調整――総務庁年次報告書 平成6年版』大蔵省印刷局、1994年
- ↑ 民社党史編集委員会編『民社党史 本篇』民社党史刊行委員会、1994年
- ↑ 民社党史編集委員会編『民社党史 資料篇』民社党史刊行委員会、1994年
- ↑ a b 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第60集 1990年版』労働旬報社、1990年
- ↑ 『日本労働年鑑 第58集 1988年版』(PDF) 法政大学大原社会問題研究所
- ↑ インドシナ難民共済委員会のスタート アジア連帯委員会
- ↑ ゼンセン同盟史編集委員会編『ゼンセン同盟史 第9巻 1981~1985』ゼンセン同盟、1986年
- ↑ 国際労働財団(JILAF)[労]1989.5.24『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ 落合清四「宇佐美さんへの追悼の言葉(PDF)」UAゼンセン
- ↑ 宇佐美忠信『志に生きる 足は職場に、胸には祖国を、眼は世界へ』HMV&BOOKS online
- ↑ 友好団体の紹介 民社協会
- ↑ (おくやみ)宇佐美忠信氏が死去 元ゼンセン同盟会長 日本経済新聞(1987年11月11日)
- ↑ 故芦田元連合会長らに従三位 日本経済新聞(2011年12月10日)
- ↑ 高島喜久男『戦後労働運動私史 第1巻 1945-1949』第三書館、1991年
- ↑ 石幡信夫『日本の労働組合――歴史と組織』日本労働研究機構、1990年
- ↑ 青木慧『ドキュメント臨教審解体――教育支配の構造』あけび書房、1986年
- ↑ 各界より 日本会議
- ↑ 役員一覧 特定非営利活動法人「昭和の日」ネットワーク
- ↑ a b 上杉聰「日本における「宗教右翼」の台頭と「つくる会」「日本会議」」『戦争責任研究』第39号、2003年
- ↑ 具裕珍「「新しい歴史教科書をつくる会」のExit, Voice, Loyalty ――東アジア国際関係への含意を中心に――」『相関社会科学』第19号、2009年
関連文献[編集]
- 朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』(朝日新聞社、1990年)
- 日本労働研究機構編『戦後労働組合運動の歴史――分裂と統一 第3集』(日本労働研究機構、2003年)
- 高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』(明石書店、2015年)