友愛連絡会
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友愛連絡会(ゆうあいれんらくかい)は、同盟が連合に継承できない政治運動や国民運動を継承するために結成した組織[1]。
概要[編集]
1987年10月22日に同盟が(1)民社党支持の政治活動、(2)エネルギー政策・安全保障・行革推進などの政策活動、(3)北方領土返還運動・核禁会議・護憲運動などの国民運動、(4)韓国・台湾などとの国際交流など、民間連合には継承できない運動に取り組むことを目的として、友愛会議を設立した[2][3][4]。加盟団体はゼンセン同盟、ゼンキン連合、造船重機労連、電力労連など[5]、29単産225万人[3]。書記局員は10人、財政規模は年2億円[2]。なお総評は総評センター、中立労連は中立労組連絡会を設立して連合に継承できない政治運動や国民運動を行った。
1994年1月26日に友愛会議は解散し、友愛会に移行した。加盟団体は19単産200万人[3]。1999年5月24日に友愛会は解散し、友愛連絡会に移行した。加盟団体は18単産[3]。1998年4月に新・民主党が結成、1999年10月に連合政治センターが設立され、連合内の旧総評系労組と旧同盟系労組の政治活動が一本化された[3]。その後も友愛連絡会は旧民社党議員・政策研究フォーラム(旧民主社会主義研究会議)・論憲会議(旧新護憲連合)などと改憲団体である創憲会議を構成したり[6]、核兵器反対運動や北方領土返還運動、北朝鮮による拉致被害者救援活動に取り組んだりしていたが[7]、2007年8月31日をもって解散した[3]。本部解散後も地方友愛連絡会は活動を継続しており、例えば新潟県の柏崎地区同盟(1964年)は、柏崎地区同盟友愛会議(1991年)、柏崎地区友愛連絡会(1999年)を経て[8]、柏崎地区労働組合会議となっている。
歴代代表[編集]
- 友愛会議議長
- 友愛会会長
- 友愛連絡会会長
友好団体[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c 友好団体の紹介 民社協会
- ↑ a b 友愛会議[労]1987.10.22 『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ a b c d e f 中北浩爾「比較労働運動研究(11)連合と政治(PDF)」『生活経済政策』No.137、2008年6月
- ↑ メールレポート 「友愛労働歴史館たより」 第83号・2014.08.02(PDF)日本労働会館
- ↑ 友愛会[労]1994.1.26 『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ 核兵器保有の余地残す/民主・旧民社系改憲案/永田町でも話題の異常突出 しんぶん赤旗、2005年2月18日
- ↑ 友愛連絡会議 門脇文良Web、2004年11月26日
- ↑ 友愛会議解散し「連絡会」に 柏崎日報 Online、1999年7月30日
- ↑ 「友愛会議・友愛会12年の主な足績」『改革者』第40巻第6号(通巻467号)、1999年6月
- ↑ 「労働チャンネル」『改革者』第40巻第7号(通巻468号)、1999年7月
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第60集 1990年版』労働旬報社、1990年
- ↑ 設立趣旨・沿革 政策研究フォーラム