古河市
概要[編集]
古河市は室町時代から江戸時代にかけて有名な武家が支配した所であるため、正定寺、雀神社、古河公方館跡などの旧跡や古社寺が多く存在する。他にも博物館や美術館もある。
経済に関しては観光以外では農業であり、米作りの他、ビニールハウスによる施設園芸が中心となっており、胡瓜やトマトなどが京浜市場に送られている。
地勢的に、茨城県内各市より、隣県の埼玉県や栃木県との繋がりが強い特殊なポジションにあり、公立高等学校も県内だけでなく、隣接県の高校の受験も可能である。
歴史[編集]
古河は昔、「古我」あるいは「許我」と記録された。この地は奥羽街道と日光街道の追分宿として、つまり交通の要衝として発展した。特に利根川と渡良瀬川の両方の河川を控えており、水陸交通の要衝でもあった。
この地が歴史上で有名になったのは室町時代中期である。永享の乱と結城合戦で鎌倉公方が滅亡した後、その生き残りである足利成氏は関東管領の上杉氏と対立し、鎌倉を捨てて古河に新たな館を構え、ここを拠点に古河公方と称して一時期は関東地方に大きな勢力を振るった。なお、足利氏の一族が拠点を構えたことから古河は軍事・経済・文化の3面において北関東最大の中枢にまで発展したが、後に古河公方は後北条氏に呑み込まれることになったが、豊臣秀吉によって喜連川家として再興した。
江戸時代になると江戸幕府も古河の重要性から、この地には古河藩を置いて親藩か譜代大名に統治させることで藩政の地盤を固めた。そのため藩主家がよく交代し、最終的には土井利勝で有名な譜代大名の土井氏が8万石で当地を支配し、城下町の拡大と発展が行なわれた。
昭和25年(1950年)、古河町は単独で市制を敷き、茨城県において第4番目の市[注 1]の誕生となった。昭和30年(1955年)に新郷村を編入した。
平成17年(2005年)9月12日、旧古河市と総和町・三和町が新設合併、現在の古河市となった。市役所は旧総和町役場を利用している。
交通[編集]
鉄道[編集]
JR古河駅が市内唯一の駅かつ中心駅である。市の南西部では栗橋駅の方が利便のよい地域がある。
- JR
- 東北本線(宇都宮線)が通じる一方、1985年に水戸線経由で水戸に直通する急行「つくばね」が廃止されて以降、県内他地域への直通列車が無い。
- 東武
- 鉄道路線はないが、東武日光線新古河駅の利用圏が市域内にある。
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- 注釈