ウィキペディアの生真面目ユーザーたちが久慈郡の項目をおカタく解説しています。 |
郡域は、茨城県のうち、久慈川より東、阿武隈高地より西。元々の中心都市は常陸太田市。
かつては常陸太田市の全域と日立市多賀地区など南端・西端、常陸大宮市の久慈川以東も属していた。
平安時代に河内源氏が進出した。源頼義の孫、源義業が久慈郡を本拠地とし、子孫が郡内の地名を苗字として「佐竹氏」を称し、同じ河内源氏ながら源頼朝と対抗した。室町期以降、常陸を代表する大名として、安土桃山時代に居城を水戸に移すまでの500年間、佐竹氏の本拠地であったが、関ヶ原の戦いで西軍側に付いたため、幕藩体制下では出羽国北部に減封された。
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