円谷英二
円谷 英二(つぶらや えいじ、1901年(明治34年)7月7日 - 1970年(昭和45年)1月25日)は、日本の特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家。
プロフィール[編集]
- 出身地 - 福島県須賀川町(現・須賀川市)
- 所属 - 株式会社円谷特技プロダクション(現:円谷プロダクション)初代社長
概要[編集]
本名は圓谷 英一(つむらや えいいち)。旧ペンネームは円谷 英一。
須賀川町立尋常高等小学校尋常科を経て、神田電機学校(現:東京電機大学)卒業。
天然色活動写真、国活巣鴨撮影所、小笠原プロダクション、衣笠映画聯盟、日活太秦撮影所、東宝映画株式会社などを経て、株式会社円谷特技プロダクション(現:円谷プロダクション)初代社長。
1920年にデビュー。
時代映画の監督時代は、「台車の円谷」「スモークの円谷」と言われており、『ジョーズ』や『エイリアン』『ブレードランナー』などに強く影響を与えている。とくに『ジョーズ』は昭和二十九年の『ゴジラ』のオマージュ作品といえ、オープニングからエンディングまで丁寧に見比べてみると感動ものである。
主な代表作はハワイ・マレー沖海戦、ゴジラ、ウルトラマンなど。
作品歴[編集]
教材映画[編集]
- 国防と防火(1939年、東宝)
- 農民と生活(1939年、東宝)
- 鉄道と信号(1939年、東宝) - 「着色フィルム動画(染料で、フィルムに直接色をつけたもの)」である。円谷の指導のもと、鷺巣富雄が着色を行う。
- 飛行理論(1939年 - 1940年、東宝) - 演出・脚本を担当。航空兵への教材映画。空中撮影も担当。
- 飛行機は何故飛ぶか(1939年、東宝) - 脚本・演出を担当。公開は1940年2月21日。
- グライダー(1939年、東宝) - 演出・脚本
- 九九式軽機関銃(1939年、東宝) - 陸軍兵への教材映画。
- 水平爆撃理論編(1940年、東宝)
- 鈴鹿海軍航空隊の教材映画。真珠湾攻撃のマニュアルとなる。鷺巣富雄の考案した「スチールアニメーション」を初使用。「実践編」と二部編成。
- 皇道日本(1940年、東京国策映画) - 撮影・編集を担当。
- 水平爆撃実践編(1940年、東宝) - 「水平爆撃理論編」の第二部。
- 浜松重爆撃機(1941年、東宝)
※上記の作品は動画、線画が主体である。「教材映画」のほとんどは、敗戦直後にGHQを怖れて焼却され、現存するものはわずかである。
戦争映画[編集]
- 海軍爆撃隊(1940年、東宝)
- 燃ゆる大空(1940年、東宝)
- 南海の花束(1942年、東宝)
- 翼の凱歌(1942年、東宝)
- ハワイ・マレー沖海戦(1942年、東宝)
- 円谷英二が特撮の手腕を大きく振るった作品の一つ。太平洋戦争緒戦の真珠湾攻撃とマレー沖海戦を描く。海軍省の指示で、海戦の記録映像などを使うことはいっさい禁じられていたが、円谷の演出能力はそれをものともせず、手渡された小さな資料写真の波から実物の軍艦の大きさを正確に割り出し、独自製作したミニチュアによる特撮のみで見事に真珠湾奇襲シーンを再現した。そのあまりの完成度の高さに、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)がカメラを実際に戦場に持ち込んで撮影した「実録」だと思い込んだという伝説的作品。しかし、これが円谷の公職追放の原因ともなってしまう。「トラベリング・マット合成」を日本初使用。なお、ハワイの戦争記念館で上映している記録映画の中に、この作品からの数カットが「当時の記録映像」として使用されている。
- 加藤隼戦闘隊(1944年、東宝)
- 雷撃隊出動(1944年、東宝)
- 太平洋の鷲(1953年、東宝)
- さらばラバウル(1954年、東宝)
- 潜水艦イ-57降伏せず(1959年、東宝)
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、東宝) - 本作の特撮のために東宝撮影所内に「特撮大プール」が作られた。
- 紅の海(1961年、東宝)
- 紅の空(1962年、東宝)
- 太平洋の翼(1963年、東宝)
- 青島要塞爆撃命令(1963年、東宝)
- 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年、東宝)
- 勇者のみ(1965年、東京映画・シナトラエンタープライズ)
- ゼロ・ファイター 大空戦(1966年、東宝)
- 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年、東宝)
- 日本海大海戦(1969年、東宝) - 特技監督として実質的に関わった最後の作品。
SF映画[編集]
- 透明人間現わる(1949年、大映京都)
- 虹男(1949年、大映)
- 透明人間(1954年、東宝)
- 地球防衛軍(1957年、東宝)
- 変身人間シリーズ(東宝)
- 宇宙大戦争(1959年、東宝)
- 世界大戦争(1961年、東宝)
- 妖星ゴラス(1962年、東宝) - 日本初のフィルム6重合成を行う。
- 海底軍艦(1963年、東宝)
- 緯度0大作戦(1969年、東宝・ドン=シャーププロ)
怪獣映画[編集]
1954年公開のシリーズ第1作『ゴジラ』でのクレジットは「特殊技術 圓谷英二」。『ゴジラの逆襲』で初めて「特技監督 円谷英二」としてクレジットされた。
ゴジラ映画では、第7作の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)まで特技担当するが、この作品では、実質的に弟子の有川貞昌が特技監督を任じている。次回作である第8作の『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)からは監修に回り、特技監督を正式に有川にバトンタッチした。
有川によると、この「特技監修」とは、「絵コンテ作成とフィルム編集以外を任される」ということである。「円谷特技プロ」においても、フィルム編集は円谷自身が立ち会っている。
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』、『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』の2作に円谷は一切関わっておらず、スタッフの円谷に対する敬意として名義を使用したものである。
※すべでは東宝配給作品
- ゴジラシリーズ
- ゴジラ(1954年)
- ゴジラの逆襲(1955年)
- キングコング対ゴジラ(1962年)
- モスラ対ゴジラ(1964年)
- 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
- 怪獣大戦争(1965年)
- ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年)
- 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年) - 特技監修
- 怪獣総進撃(1968年) - 特技監修
- ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年) - 監修(名義のみ)
- 獣人雪男(1955年)
- 空の大怪獣ラドン(1956年)
- 大怪獣バラン(1958年)
- モスラ(1961年) - 日本初の全世界同時封切り映画。
- 宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)
- フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年)
- フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966年)
- キングコングの逆襲(1967年)
- ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(1970年) - 監修(名義のみ、ノンクレジット)
その他の映画[編集]
- 狂つた一頁(1926年、新感覚派映画連盟、ナショナルフィルムアート、衣笠映画連盟)- 撮影補助、円谷英一名義。
- かぐや姫(1935年、JO) - 人形アニメの演出、撮影。アニメートは政岡憲三。
- 新しき土(1937年、JO・東和商事)
- 日本初の海外(ナチス・ドイツ)との合作映画。スクリーン・プロセスの技術をアーノルド・ファンク監督から絶賛される。
- エノケンの孫悟空前・後篇(1940年、東宝) - マット画合成法を日本初使用。作画は鷺巣富雄。
- 愛の世界 山猫とみの話(1943年、東宝)
- 兵六夢物語(1943年、東宝)
- 音楽大進軍(1943年、東宝)
- 勝利の日まで(1945年、東宝)
- 民衆の敵(1946年、東宝)
- 花くらべ狸御殿(1949年、大映京都)
- 紅蓮菩薩(1949年、大映京都)
- 港へ来た男(1952年、東宝)
- 公職追放後の、正式な東宝復帰作品。本多猪四郎との初のコンビ作品。本多監督はこの作品で、円谷監督からスクリーン・プロセスの指導を受けている。
- 飛び出した日曜日(1953年、東宝) - 日本初の「トービジョン映画(立体映画)」。2台のキャメラを回し、立体映像を撮った。
- 私は狙われている(1953年、東宝)
- 「トービジョン映画」第二弾。立体映写の特別な設備が必要なため、『飛び出した日曜日』と併せて全国4劇場(日劇、浅草宝塚劇場、大阪劇場、名古屋名宝会館)のみの上映となった。本社の方針で2本限りとなり、円谷は残念がったという。
- アナタハン(1953年、東宝)
- 君の名は(1953年、松竹)
- 白夫人の妖恋(1956年、東宝) - 日本初の総天然色特撮映画。ブルーバック合成を日本初使用。
- 日本誕生(1959年、東宝)
- 「東宝映画1,000本製作記念作品」。バーサタイル・プロセス合成法を日本初使用。「オックスベリー社」の新型オプチカル・プリンターによって、日本初のフィルム4重合成を実現。
- 孫悟空(1959年、東宝)
- ゲンと不動明王(1961年、東宝)
- 大坂城物語(1961年、東宝)
- 大沈清伝(1962年) - 日韓合作映画。
- 大盗賊(1963年、東宝)
- 士魂魔道 大龍巻(1964年、東宝・宝塚映画)
- 大冒険(1965年、東宝・渡辺プロ)
- 奇巌城の冒険(1966年、東宝)
その他[編集]
- アイヌ恋歌(日本劇場、昭和33年2月15日 - 3月3日) - 背景映像の特撮を担当。
- 春・夏・秋のおどり(日本劇場、昭和33年 - 昭和39年)
- 昭和33年7月11日からの『夏のおどり』興行から、背景映像の特撮を担当。昭和39年3月1日からの『春のおどり』では、「円谷特技プロダクション」名義で担当。
- 水中バレエ 竜宮城(よみうりランド、1964年開場)
- 風と共に去りぬ(帝国劇場、1966年)
- 東宝製作の舞台演劇の背景映像を担当。アトランタ市街の炎上、爆発シーンの特撮を演出。
- ウルトラマン・ウルトラセブン モーレツ大怪獣戦(後楽園ゆうえんち、1969年)
- 後楽園ゆうえんちのサークロラマ劇場用に製作された映画。円谷が関わったウルトラシリーズ最後の作品。
- 日本の自然と日本人の夢(日本万国博覧会、1970年)
テレビ作品[編集]
- 鉄腕アトム(1959年、毎日放送・松崎プロ・円谷特技研究所) - 特技監督(ノンクレジット)
- 東宝プロデューサーだった松崎啓次のオファーを受け、この作品を坦当するが、クレジットはされていない。
- ウルトラシリーズ(TBS・円谷特技プロ) - 監修
- 快獣ブースカ(1966年、日本テレビ・円谷特技プロ・東宝) - 監修
- マイティジャック(1968年、フジテレビ・円谷特技プロ) - 監修・演出・編集
- 戦え!マイティジャック(1968年、フジテレビ・円谷プロ) - 監修・演出・編集
- 怪奇大作戦(1968年、TBS・円谷プロ) - 監修
- 恐怖劇場アンバランス(1973年、フジテレビ・円谷プロ) - 監修
- 製作は生前の1969年。
- チビラくん(1970年、日本テレビ・円谷プロ) - 監修
- 独身のスキャット(1970年、TBS・円谷プロ) - 監修
著作[編集]
- 『定本 円谷英二随筆評論集成』竹内博編、ワイズ出版、2010年
円谷英二を題材とした作品[編集]
- 『現代の主役 ウルトラQのおやじ』(TBS、1966年)
- 実相寺昭雄が演出したドキュメンタリー番組。M1号とラゴンが円谷の元を訪問し、インタビューするという内容である。『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の特撮を演出中の円谷など、貴重な映像が見られる。
- 『ジュニア文化シリーズ ゴジラ誕生 人間の記録 円谷英二』(NHK教育、1980年)
- 没後10年を迎え、円谷皐、高野宏一、中野昭慶らが往時を振り返る。
- 鈴木聡司『小説 円谷英二 天に向かって翔たけ』上・下(新風舎、2003年)
- 上 ISBN 4797420707、下 ISBN 4797420715
- 『夢宙人(むちゅうじん)ゴジラを造った男 -円谷英二-』(漫画)
- 原作:市川森一 / 作画:幸野武史
- 『週刊漫画サンデー』2006年35号から2007年5号まで連載。
- 『先人たちの底力 知恵泉 制約を最大効果に変えろ! 〜円谷英二 前編・後篇〜』(NHK Eテレ、2014年4月15日・22日)
- 『ゴジラ生誕60年 日本の特撮驚異の技』(2014年8月10日、NHKBSプレミアム)
- 『熱中スタジアム』"ウルトラ怪獣" 特集! (2011年10月10日・17日、NHKBS)
円谷英二を演じた俳優[編集]
- 西村晃 - ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟
- 鈴木清順 - 私が愛したウルトラセブン
- 滝田裕介 - ウルトラマンティガ
- 佐野史郎 - ニッポン人が好きな100人の偉人
- 毒蝮三太夫 - おしゃべり人物伝
- 徳光和夫 - 円谷英二〜大空を愛したウルトラマン〜