ゴジラ

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ゴジラは、東宝が手掛けた特撮映画

概要[編集]

1954年(昭和29年)公開の白黒映画。監督は本多猪四郎。特撮監督は円谷英二。出演は宝田明河内桃子
大戸島近海で核実験により目覚めた怪獣ゴジラは日本に上陸して破壊の限りを尽くす。自衛隊の戦闘機F86Fセイバーや高圧電力も役に立たないスーパーモンスターの狼藉ぶりに業を煮やした芹沢博士が秘密兵器「オキシジェン・デストロイヤー」でゴジラを葬り去る。
日本の怪獣映画はゴジラから始まったので、たいていの怪獣映画がゴジラを真似るようになってしまったのは仕方のないことかもしれない。なおゴジラが血を流さないのは円谷英二がクリスチャンだったからであるという説もある。

命名[編集]

二つの説がある。

  • 本多猪四郎監督が、命名にあたって東宝の宣伝部の部長に「巨大で凶暴なイメージ」と言ったら「そりゃあ、ゴリラかクジラでしょう」と答えたという説。
  • 東宝の俳優養成所に「グジラ」というあだ名の容貌魁偉なオッサンがいて、そこから命名されたという説。

じつは同一人物である。「ゴジラ」「七人の侍」がヒットして東宝が潤ったのはいいが、労働争議で大部屋俳優から文句が出てストになり、ほぼキャストが二人だけという南方戦線を舞台にした戦争映画に出演することになって、慌てて養成所に駆け込んで演技指導を受けたというのが実話である。本人は「ゴジラの網さん」として有名だったが、「ゴジラ」と呼ばれるのが照れくさかったために、後に「アミゴン」と通称された。立教大学出身の敬虔なクリスチャンであり、ラグビー部のOBであって偶然テレビでお見掛けしたこともある。(競技スキーではない)一般スキーの指導員としても知られている。息子さんはこのあたりにエピソードを知らなかったそうだが、スキー仲間の間では有名だった。猪谷千春さんあたりに伺えばご存じだと思う。