Eテレ

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NHK教育テレビジョンから転送)
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Eテレ(いーてれ、英: NHK Educational TV)は日本放送協会(通称NHK)の放送サービス「教育テレビジョン」の愛称であり、近年は教育テレビジョンそのものを指す言葉としても一般に使われる(後述)。

概要[編集]

2011年6月から「教育テレビジョン」の愛称(略称)が「ETV」から「Eテレ」に変更された。NHKによれば原則として「Eテレ」を使用するが、文面によって「NHK Eテレ」も使用するとされる。
キャッチコピーには「みつかる Eテレ」が頻繁に使用されている[1]
「Eテレ」(登録5451753)、「NHK Eテレ」(登録5451753)は商標登録されているから単なる通称とはいえない。「教育テレビジョン」「NHK 教育テレビジョン」の方は商標登録されていない。

リモコンキーIDは全国一律で2である[注 1]
放送対象区域が日本全国扱いのため、広域圏では札幌、東京、名古屋、大阪が親局扱いで一部で中継局立地がない[注 2]

歴史[編集]

教育番組は、NHKのテレビ放送開始時は総合テレビで放送されたが、教育放送を専門に扱うテレビジョン放送局が構想され、1959年に、東京放送局で1月10日、大阪放送局は4月1日に「教育テレビジョン」の放送(東京:JOAB-TV、大阪JOBB-TV)を開始した。
郵政省は放送局の免許条件として、教育専門局に教育50%以上、教養30%以上の番組編成を義務づけた。

その前の時点では第2テレビジョン局の開設についてNHK内部に時期尚早論があった。背景として1956年度当時はラジオ放送の普及がピークに達する時期で、ラジオ放送受信契約は1,397万件に対してテレビ放送受信契約は42万件と2桁異なっており、テレビ放送の赤字をラジオ放送の黒字で補う財政状況だったからである。しかし、当時会長であった永田清は慎重論を抑え教育テレビ局の開設を推進した。1957年(昭和32年)3月7日の国会で、永田清は公共放送の任務は、健全娯楽と正確な報道、そして教育、教養、という三つの支柱で支えられていると語る。そして将来テレビはかなり教育に使われるようになり、各国でもその方向へ進んでいて、日本では公共放送によって教育効果を上げる段階に進むことは重要であると指摘している。加えて、当時の過剰人口の解決策として、単純労働を減らすため、放送に技術教育を充実させる研究も必要との考え方を示した(第26回国会 参議院逓信委員会第5号)[注 3]

当初の放送は平日昼の部が午前11時から午後1時40分までとし、午前中55分間は小中学校向け、午後22分間に中学校向け番組を組んだ。夜は6時から10時までとし、7時から1時間半が青少年向け学習番組、その後1時間が一般教養、最後の30分が高校生講座であった。早朝、および日中のうち午後の時間帯は放送は休止し、放送設備点検のためのテストパターン画像送信とレコード音楽を流していた。

東京、大阪の開局後、NHKは約4年という短期間で沖縄県や遠隔離島を除く[注 4]全国での教育テレビの放送網を完成させた。
1960年2月18日には、東京と大阪でカラー放送が始まった[注 5]。このころ東京、大阪でカラーテレビで番組を見ることができたのはNHK教育のほかは、総合だけであった。

草創期は総合テレビ同様、VHF波による放送で、1964年以降にUHF波の中継局が設置され、1968年の徳島放送局を皮切りに大出力のUHF局も登場した。

番組の特色[編集]

総合テレビジョンでは幅広い視聴者層を対象にした番組を編成しているが、当初の教育テレビジョンでは視聴者を特定し、テーマを限定した「専門番組」中心に編成していた。学校教育番組、生涯学習番組(語学番組,趣味・実用番組)、子ども・少年少女・若者番組を基軸としていた。1982年になると、学校教育番組の比率が減り、生涯学習番組の比率が上昇した。1990年には子ども・少年少女・若者番組が顕著に増加した。1990年度には「教育テレビは生涯学習チャンネル」と規定された。2008年度時点では生涯学習番組が28.6%、子ども・少年少女・若者番組が26.0%、学校教育番組が22.6%であった。

NHK杯テレビ囲碁トーナメントは1962年度の第10回から教育テレビビジョンで放送されるようになった。それ以前は、NHKラジオ第2放送によるラジオ放送であった。

1977年(昭和52年)頃には、『みんなのせかい』、『中学生日記』などが放送されていた。

1990年代以降、聴覚障がい者向け「手話ニュース」など、障がい者支援番組にも力を入れている。

通称の変更アナウンス[編集]

2011年11月28日5時のNHKラジオニュースで「教育テレビジョン」の名称を2011年6月1日から「Eテレ」に変更するとアナウンスされた[2]。「E」には「Educational」と「Ecology」の意味が込められているという。2011年5月以前に教育テレビ放送の中で、「(ETV)ピッ、(E〒V)ピッ、Eテレ」放送され、予告されていた。
なお、愛称だけを「Eテレ」と改称したのみで、放送免許上の公式名称は、引き続き「教育テレビジョン」(「NHK教育テレビジョン」ではない)のままである。
NHKの歴史2011年の個所には、『NHK「教育テレビ」が「Eテレ」として新たにスタート』[3]と記載されている。2011年6月1日以降は放送免許の名称である「教育テレビ」の名称は公文書等に限定して用いられる[2]

商標登録[編集]

「Eテレ」は2012年(平成24年)4月20日に日本放送協会により商標登録されている。登録番号は第5488789号(出願日:2011年(平成23年)11月9日)、商品及び役務の区分は9、16、38、41である。存続期間満了日は2022年(平成34年)4月20日である。「NHK Eテレ」も商標登録されており、登録日は2011年(平成23年)11月18日、登録番号は第5451753号である(出願日:平成23年(2011年)5月26日)。商品及び役務の区分は9、16、38、41である。

児童の時制理解に対する教育放送の役割[編集]

茨城大学の村野井均は児童の時制理解が小学校低学年で起こることに着目し、その基礎をアニメ「サザエさん」が作ったとしている。しかし、サザエさんでは複雑な時制を扱えないことも指摘した。小学校3年生向けの「さわやか3組」が複雑な時制を教えるために効果があったことを実証した。

民間放送ではできず、NHKではできた理由を次のように述べている。アニメ「サザエさん」は児童が家庭で兄弟等とみることが前提となっており、児童に分からないものは放送できない。これに対して「さわやか3組」は学校の授業中に視聴するものとの前提で視聴される。教師がそばにいて、児童に質問を投げかけたり、児童同士が教えあったり、児童の理解不足を教師が説明できるという教育的効果があることを述べている[4]

脚注[編集]

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  1. アナログテレビ放送時代は、名古屋、長野のVHF9chや大阪のVHF12chのように数字の大きいVHFチャンネルの地域もあった。
  2. 岐阜、渡島など。
  3. この考え方は1964年開局の東京12チャンネルで工業教育放送を実施することで実現した。
  4. 沖縄県でのNHK教育テレビ開始は本島周辺が沖縄返還後の1972年先島諸島1976年であり、小笠原諸島では1996年大東諸島では1998年にようやく教育テレビの全番組が見れるようになった。
  5. 教育テレビ自体は白黒放送による番組が1977年3月まで残った。

参考文献[編集]

  1. みつかる EテレNHK
  2. a b NHK教育テレビが「Eテレ」に名称変更IT Media Newws、2011年05月30日
  3. NHK Online ヒストリー
  4. 村野井均(2018)『児童の時制理解にNHK教育テレビが果たした役割』茨城大学教育学部紀要, 教育科学 Vol.67 pp.605 -617