鈴木清順

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鈴木 清順(すずき せいじゅん、大正12年(1923年5月24日 - 平成29年(2017年2月13日)は、映画監督である。「清順美学」と言われる美的なスタイル、独特の色彩感覚で人気がある。「カルト映画の神様」といわれ世界的に評価されている。

概要[編集]

大正12年(1923年)、東京生まれ。昭和18年(1943年)に学徒出陣フィリピンに出征。昭和23年(1948年)、旧制弘前高校を卒業し、同年、松竹大船撮影所に入社し助監督となる。昭和29年(1954年)、日活に移籍する。昭和31年(1956年)の『港の乾杯 勝利をわが手に』で監督デビュー。

昭和38年(1963年)、『野獣の青春』で才能を発揮し始める。同年『関東無宿』、昭和39年(1964年)、『肉体の門』、昭和41年(1966年)、『東京流れ者』、『けんかえれじい』で独特の「清順美学」の演出で人気を得る。

昭和42年(1967年)の『殺しの烙印』は当時では先端的な演出であったため、社長の逆鱗に触れ、日活を解雇される。昭和55年(1980年)の「ツィゴネルワイゼン」はベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞する。

平成29年(2017年)2月13日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。93歳没。