八幡田辺線
八幡田辺線(やわたたなべせん)とは、京都府南西部の京阪バスのバス路線。
概要[編集]
京都府の八幡市の京阪八幡と京田辺市のJR京田辺・近鉄新田辺・京田辺市役所の間の路線を核とする京阪バスの路線バスの路線名である。
内里経由の内、現在の74号経路は80年以上の歴史を誇っている路線である。
本ページでは関連する系統である、内里西岩田循環線(旧・京阪宇治交通時代の正式路線名。京阪バス合併後は八幡田辺線に統合)及び宇治車庫からの入出庫を目的として設定され、そのため八幡田辺線の関連系統であった、既に廃止された八幡宇治線とその後継系統の八幡大久保線(宇治車庫/近鉄大久保〜京阪八幡系統)、また八幡田辺線が1996年まで草内直通系統が設定されていた[1]ことと、新田辺〜草内小学校間の路線免許も八幡田辺線と同時に京阪バスから京阪宇治交通に譲受しているため、同じく関連系統として田辺線の内、草内までの路線に付いても記述する。
なお京阪バスは本路線開設当時より1972年までは京阪自動車が正式社名であったが、当時より京阪バスの呼称を使用していたことから本項の同社の表記は「京阪バス」で統一する。
沿革[編集]
男山バス→京阪バス(淀→枚方)時代[編集]
運営バス事業者は男山バス→京阪バス(淀→枚方)→京阪宇治交通→京阪バス(男山/京田辺)と路線を運営する会社が変遷していった。男山バス[2]時代の1931年6月に開業し、当時は中距離に分類されるバス路線であったが、1938年11月に京阪バスが男山バスより免許を譲渡されて同社に引き継がれ、戦時中も休止せずに運行を行っていた。この当時は淀営業所が路線を管轄していた[3]。
1967年6月9日、国道1号線の八幡戸津交差点には当時交通信号機が未設置であったため、当時八幡 - 中学校前 - 志水 - 戸津 - 蜻蛉尻 - 上津屋 - 野尻 - 岩田で運行していた八幡志水線の大部分を西戸津折返しとした[4]際に、その代替として当時宇治淀線や淀桂山崎線[5]、八幡志水線と車両を共通運用していた八幡田辺線の八幡 - 川口 - 下奈良 - 上奈良 - 野尻 - 岩田の系統を新設した。その後1969年5月9日に淀営業所が廃止された際に八幡田辺線は八幡志水線とともに翌5月10日以降は枚方営業所に移管された[6][7]。
京阪宇治交通時代[編集]
1969年6月、京阪宇治交通が大阪府枚方市の楠葉地区に路線を開設する際にその連絡等を目的として同年3月3日路線譲渡を申し入れ、京阪バスも了承の上4月1日に内里経由・岩田経由の廃止許可申請を行い、同年5月10日に淀営業所から枚方営業所への移管を実施後、同年10月29日より京阪バスより京阪宇治交通に路線が引き継がれた。同時に同じく枚方営業所が管轄していた国鉄田辺駅前 - 新田辺 - 草内小学校(現・草内。草内のバス停留所の位置や経路は譲渡当時と現在とで一部が異なる)の路線も引き継ぐ[8]。この関係で八幡田辺線は一部が草内小学校発着となった。また引き継ぎ後の一時期は京阪八幡より山城大橋を超えて国立病院への路線も存在)。この際、宇治営業所からの入出庫を目的として宇治車庫〜近鉄大久保〜京阪八幡の路線も開設された(八幡田辺線は宇治営業所の管轄となる。この当時は八幡田辺線は途中経路地の違いで2系統あった(他に前述の岩田での途中折り返しの系統も含む。これは現在に至るまで基本的に変更がない)。[9]基本的には岩山〜新田辺(田辺線[10]。当時の路線名)と共通運用を組んでいたが、一部に回送で出入庫していた便もあった。
1971年5月にくずは営業所が開設されたがこの路線は担当していなかった。その直前となる同年4月6日、八幡小学校を新設。同年7月29日に運行区間は河原住宅前(田辺高校北側の団地に乗り入れを開始した。この時に新田辺〜草内の折返し系統は一旦廃止された。1972年7月20日より工業高校前(現・田辺高校)〜東と草内口〜草内が国道307号の新道に路線載替を行った。尚この間、京阪八幡の乗り場を京阪鋼索線駅舎前より現在のバスターミナル付近へと移動している。
同年5月20日に男山営業所が開設(同年5月27日営業開始)。同年9月16日改正で宇治管轄便を男山管轄に移管した(八幡宇治線のみは宇治管轄便が残ったためこの日以降八幡大久保線になった後の1999年1月11日まで宇治と男山の共同管轄であった。男山便のみ八幡田辺線と共通運用[11]。また61系統は1989年頃まで田辺線の間合い運用で宇治管轄便が残っていた[12]。なお61系統を除く田辺線は1974年9月16日以降は宇治と男山との共管となり、その後1989年4月より田辺管轄便が設定され、当時の京阪宇治交通全営業所が管轄する路線となったが、1992年9月11日改正で男山管轄便は撤退した)[13]。
尚系統番号が1974年9月16日改正で同線を含む各路線/経由地別に付番された。
- 1974年9月16日改正当時の系統番号を以下に記す。
- 京阪八幡〜内里〜新田辺〜国立病院 70系統
- 京阪八幡〜佐山〜林〜近鉄大久保〜宇治車庫 72系統
- 京阪八幡〜内里〜新田辺〜河原住宅前〜草内 73系統
- 京阪八幡〜内里〜新田辺〜河原住宅前 74系統
- 京阪八幡〜岩田〜新田辺〜河原住宅前 75系統
- 京阪八幡〜岩田 76系統
- 京阪八幡〜岩田〜新田辺 78系統
- 京阪八幡〜内里〜三野 79系統
- 停留所名は、JR京田辺及び新田辺は、1997年7月26日以降はそれぞれ正式の「JR京田辺」(同日JR田辺駅より改称)、「近鉄新田辺」表記となった。京阪バスとの合併で一旦同社の停留所名である「京田辺駅」「新田辺」に統一したが、2008年10月19日改正で再度「近鉄新田辺」に戻した。同日京田辺駅も「JR京田辺」に戻した。
1979年5月26日、森〜川口間に小西を新設。1981年1月7日、河原住宅前発着便は新田辺駅付近の新道完成に伴い新田辺駅発着に変更し新田辺〜河原住宅前間を廃止。同時に新田辺〜草内の61系統を再設定した。乗客の少なくなった70系統京阪八幡〜国立病院の系統を廃止し、同時に初代75系統は78系統に統合され2代目の75系統となり、京阪八幡〜岩田〜新田辺で運行されるようになった。この時、京阪八幡〜岩田〜新田辺〜草内の75B系統が設定された。また73系統は京阪八幡発の片道のみの運行に変更された。これにより一部に京阪八幡~草内がある(草内発は75B系統のみ)他は基本的に京阪八幡~新田辺で運行されることになった。尚1982年5月13日に京阪八幡〜岩田の76系統は岩田南の新設により岩田〜岩田南間を延長し、以後は京阪八幡~岩田南間の運行となる[14]。同日、川口〜下奈良間に小宮が新設された。
1983年には八幡市駅前バスターミナル完成により八幡小学校(2006年4月1日より京阪バスの停留所名である「八幡小学校前」に統一) - 京阪八幡間の経路変更を実施。これにより同区間の山柴町(やましばちょう)を廃止し旦所(だんしょ)を新設。
また八幡宇治線も数度経路変更を繰り返した。1976年4月13日以降は市田に立ち寄りを開始。その際に近鉄大久保経由を取り止め、下津屋口以降は市田・安田・北山住宅の住宅街を通り近鉄小倉経由となった。その後1981年3月13日以降は高等学校の通学圏の変更などによる改正で経路変更を行い、市田・安田経由を廃止[15]し、工業団地[16]・久御山団地・名木・緑ヶ原経由に変更した[17]。
その後1989年に田辺営業所(当時)の開設により一部の便が田辺の管轄となり、順次田辺管轄便を増強した。同時に73系統は再び草内発が設定され往復運行に戻った。正確な時期は不明だが、1988年-1989年頃に草内口〜草内間に美禅(びぜん)が新設された。
1991年より一部が新設された池嶋(いけじま)に立ち寄る系統を新設する(75C系統)。また同時に76系統のごく一部がラッシュ時に池嶋まで延長され76B系統となった(京阪八幡〜池嶋)。
1990年代前半頃に草内を目前とした美禅折返しの61A系統と東田辺経由で新田辺〜草内を結ぶ路線の61B系統も新設された。
1996年4月17日のダイヤ改正で草内系統は新田辺で系統分割を実施したためこれ以降八幡田辺線は全便が京阪八幡〜新田辺(と新田辺〜草内)の運行となった。
1997年7月26日改正で八幡宇治線は経路変更及び京阪八幡〜近鉄大久保に短縮の上八幡大久保線と改称し(系統番号は不変)、平日1日2.5往復のみの運行となる。近鉄大久保発の片道1本のみ男山管轄(八幡田辺線とその関連系統で運用)の他は宇治管轄であった。この時、八幡田辺線に八幡市民体育館停留所が新設された。その後1998年1月21日改正で片道1本の減便により男山が撤退した。
1999年1月11日より八幡大久保線の宇治管轄分は田辺管轄に移管された[18]。これ以降八幡大久保線は平日2往復が田辺管轄での運行となる(同時に八幡田辺線との共通運用ではなくなり、大久保線(久御山団地〜近鉄大久保の26系統を主軸とする系統の総称。現在でも使用されている)及び宮ノ谷線(近鉄大久保〜宮ノ谷で運行する58A系統)との共通運用となる)。
2000年4月に八幡市内を走行する循環路線の73系統(内里西岩田循環左回り)と途中の内里南まで運行する73A系統が設定された。ただしこの時点では両方とも1本ずつ(73Aは片道の内里南行きのみ)であったため内里〜西岩田間の路線免許取得のための開設であった。
2000年7月1日改正以降は八幡田辺線では2系統合わせて昼間時30分間隔のダイヤから同40分間隔に大きく減便を行い、2経路合わせて80分間隔とした。なお、京阪八幡〜上奈良間は途中折り返しの76系統及び循環系統の73/73C系統が運行され20分間隔、上奈良〜西岩田及び上奈良〜内里は20ないし40分間隔となる。また、この改正で73系統(内里西岩田循環右回り)が設定され、73C系統も増発された。逆に昼間時の73/73Cは76系統の立替であったため西岩田〜岩田南間は大幅な減便となった[19]。尚後年に農協前は有都小学校に停留所名が改称されている。
京阪バス(男山/京田辺)時代[編集]
2006年4月1日、京阪宇治交通は関連会社の京阪宇治交通田辺と共に京阪バスに合併された。これに伴い37年振りに八幡田辺線は京阪バスが運行することになった。ただし1969年以前と異なり、営業所の管轄は京阪宇治交通時代に引き続き男山と田辺(当時)の管轄となった。
尚系統番号に付いては京阪宇治交通時代の呼称であった「XX系統」より京阪バスの正式呼称である「XX号経路」に変更されたが系統番号の変更はなかった。またこの合併の際のダイヤ修正により田辺管轄便が大幅に増え、男山管轄便は激減した[20]。また合併前の2004年 - 2006年頃に75号経路は75C号経路と統合された。これは池嶋の移設により全便停車可能となったからである。なお八幡~池嶋の76B号経路は現在でも存続しているが、バス回転場の使用停止により工場の外周道路を使用して回転している。
2007年11月9日で乗客減とエリア調整を理由に八幡大久保線は廃止された[21]。
2008年5月10日より田辺営業所の移転により営業所名が京田辺営業所となったが、この路線に対してのダイヤは変更されていなかった。同年10月1日より同路線のでPiTaPaの利用が可能となった。なお同年10月19日のダイヤ改正で松下前はバス停の名称を「大住浜」に改称した[22]。京田辺駅/新田辺も京阪宇治交通時代末期の正式名称である「JR京田辺」「近鉄新田辺」に戻した[23]。
2010年4月1日より61B号経路は廃止となったが、同日八幡田辺線の本線に久方振りに新経路の74A/74B号経路が設定された。同路線としては14年振りに近鉄新田辺で折り返さずに直通する経路が設定されることになった。なお74A号経路は74号経路を延長する形で運行することとなり、これは平日・土曜のみ、74B号経路は休日のみの設定となる。これによりその分の74号経路は減便された。同時に近鉄新田辺〜田辺高校〜草内口〜東田辺〜京田辺市役所間は田辺線から八幡田辺線の区間となった。74A/74B号経路は全便京田辺管轄で設定された。このため近鉄新田辺〜京田辺市役所間には男山営業所所属車両の運行は行われていない。
2010年9月5日にはダイヤ修正が行われ、時刻自体に変更はなかったものの、京田辺管轄便の一部が男山管轄便に変更された。これは京田辺車が樟葉長尾線などでも運用されるための運用変更が目的であった。なお2009年11月1日の改正より京田辺車は枚方尊延寺線でも運用されるようになったが、この改正の際には本路線の管轄変更は行っていない。
2011年8月1日より田辺本町の近鉄新田辺方面行き停留所は廃止された[24]が、京阪八幡方面行きは従来通り停車している。2013年3月16日の改定で森〜小西間に八幡東浦が新設された。
2017年3月18日より74A号経路と74B号経路の全便が男山営業所に移管され、京田辺営業所は草内口〜東田辺〜京田辺市役所間から撤退した。同時に大幅なダイヤ改正が実施され、八幡田辺線の京阪八幡〜近鉄新田辺の全線通し経路の全系統と内里西岩田循環線の大幅な減便、これによる76号経路の再終日運転化を実施した(76B号経路のみほぼ現状を維持)。また、一部便で京田辺営業所と男山営業所との間で運用の持ち替えが実施され、前者の管轄便が減少し、逆に後者の管轄便が再び増加した。同日、上津屋を上津屋流れ橋に改称した。
2019年4月1日より、運賃制度の変更が実施され、初乗り運賃は160円から230円(2021年3月31日までは暫定的に200円)と、短距離乗車では大幅に値上げとなる一方、京阪八幡〜近鉄新田辺・京田辺市役所間の全線乗車では430円から280円へと150円も値下げされるなど、長距離乗車では大幅に値下げされることとなった[25]。しかし、同年10月1日より消費税率引上げによる運賃改定で280円区間は290円に値上げされる[26]が、300円を切る現在の運賃水準は1970年代後半頃の本路線全線の運賃水準に匹敵するものである。
現在の運行区間[編集]
2018年3月17日改正現在の八幡田辺線は、本経路は以下の3路線10経路が、関連系統を含めると4路線12経路が運行されている。
本経路[編集]
- 73号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜上津屋流れ橋(こうづやながればし)〜八幡市民体育館〜西岩田〜岩田北〜内里南〜内里(うちさと)〜上奈良〜京阪八幡
- 2000年設定。内里西岩田循環の右回り経路。基本的には朝ラッシュ・夕方ラッシュ時の運行。
- 73A号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜上津屋流れ橋〜八幡市民体育館〜西岩田〜岩田北〜内里南
- 2000年設定。上記の途中折返し経路。本数はわずか。
- 73C号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜内里〜内里南〜岩田北〜西岩田〜八幡市民体育館〜上津屋流れ橋〜上奈良〜小西〜京阪八幡
- 2000年設定。内里西岩田循環の左回り経路。基本的には朝ラッシュ・夕方ラッシュ時の運行。
- 74号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜内里〜美濃山口〜松井〜八小路(はっこうじ)〜岡村〜三野(さんの)〜一休寺道〜田辺本町〜京田辺駅〜近鉄新田辺
- 1931年設定。八幡田辺線の最古の経路。
- 74A・74B号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜内里〜美濃山口〜松井〜八小路〜(館(たて・1回目)〜宝生苑〜館(2回目)(74A))〜岡村〜三野〜一休寺道〜田辺本町〜京田辺駅(1回目)〜近鉄新田辺〜京田辺駅(2回目)〜田辺高校〜草内口〜東田辺〜京田辺市役所
- 基本的には昼間時の運行。
- 75C号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜上津屋流れ橋〜八幡市民体育館〜岩田〜池嶋〜中島橋〜三野〜一休寺道〜田辺本町〜京田辺駅〜近鉄新田辺
- 1991年設定。2017年までは徐々に本数を減少させながらも終日運行していたが、現在は基本的には朝夕ラッシュ時のみの運行。府道上に池嶋を移設して全便が停車可能になった際に八幡田辺線の老舗経路であった75系統を、本系統が存続系統とする形で統合した。
- 76号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜上津屋流れ橋〜八幡市民体育館〜岩田〜岩田南
- 1967年設定。八幡田辺線の途中折り返し系統。2000年以降2017年までは本数は少なく、昼間時の設定はなかったが、2017年より再度終日運転となった。
- 76B号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜上津屋流れ橋〜八幡市民体育館〜岩田〜池嶋(いけじま)
- 1991年設定。八幡田辺線の途中折り返し系統。ラッシュ時のみ運行
- 79号経路 京阪八幡〜小西〜上奈良〜内里〜美濃山口〜松井〜岡村〜三野
- 設定時期不明。八幡田辺線の途中折り返し系統。本数はわずか。
岩田経由便は路線の大半が、その他の系統は途中区間の上奈良〜三野間と田辺本町〜近鉄新田辺〜京田辺市役所間、及び内里〜西岩田間を除き京都府道22号八幡木津線を走行している。
関連経路[編集]
- 61号経路 近鉄新田辺〜田辺高校〜草内
- 61A号経路 近鉄新田辺〜田辺高校〜美禅
- 新田辺から草内方面に運行される経路。
運用車両[編集]
男山/京田辺の両営業所に配属されている車両の内、小型車/中型短尺車を除く車両が運用されている。狭隘路線の区間が(その区間内である岡村界隈には2か所にほぼ直角の曲がり角も)あるものの大型車両の運行も問題がない。ただし、旧・京阪宇治交通車両の大半は2008年内までに新車または転属車によって一斉に置き換えが行われた[27][28]。
特記事項[編集]
- 内里経由の74/74A/74B/79号経路は途中有都小学校〜新田、美濃山口〜松井東、八小路〜大住、岡村〜三野間等に狭隘区間があるが、住宅の多い地区を走行するので昼間時の利用が多い。なお狭隘区間内で両方向のバスがすれ違いを行う際はバス無線を利用して対向バスの現在位置の確認とすれ違い可能かの確認を行っている。
- 上記に対して岩田経由の75C号経路は途中区間に上津屋工業団地及び岩田工業団地と後者に隣接する京田辺市大住地区の工場地帯を走行するので朝夕ラッシュ時の乗客数が多い。沿線には日本ルナ(上津屋)や恩地食品(岩田南)、大日本印刷(池嶋)、明治京都工場/住江工業(バス部品メーカー。以上中島橋)、ニチダイ(茶屋前。この停留所は74/74A/74B号経路も経由)などといった著名なものも立地している。
- 75C系統の内、大住浜には近鉄新田辺行きのみ停車する(京阪八幡行き乗車の場合は1つ京阪八幡寄りの池嶋ないし1つ近鉄新田辺寄りの中島橋乗車となる)。[29]
参考文献・出典[編集]
- 京阪宇治交通 路線図 1978年4月1日現在
- 京阪宇治交通 社史「地域とともに六十年」 京阪宇治交通 1983年10月1日
- 京阪宇治交通 「~地域愛をのせて~」 三浦理司 1993年11月20日(自費出版による発行)
- 京都府ホームページ(八幡大久保線の休止関連等。同文書では社史記述の公式発表と違い、1976年4月13日以降の小倉経由への経路変更を開始日としている)
- 京都府ホームページ(2010年4月1日実施の宝生苑経由路線の設定関連の概要図)
- 駅前探検倶楽部時刻表 2009年9月12日改正分(京田辺・男山両営業所担当に分かれて掲載されている)
- 京阪電気鉄道 京阪時刻表 1985、1987、1989、1991、1993、1995、1997、2000、2003、2006年
- その他 京阪宇治交通・京阪バス配布の無料時刻表・運賃表
- 電気車研究会「鉄道ピクトリアル」 2000年12月臨時増刊号
脚注[編集]
- ↑ 14年後の2010年4月1日に74A/74B号経路の設定により草内口までに関しては実質的に復活している。
- ↑ 男山バスは男山鉄道の一部門であり、又京阪グループであった。現在はこの会社は存在していない。
- ↑ 京都新聞 1967年3月28日 山城版の面に記述。この記事では八幡志水線と八幡田辺線に開設予定の八幡市内折返路線となる岩田発着便の営業所が淀営業所である旨が記載されていることから、八幡田辺線が淀営業所の路線であったことが検証可能である。
- ↑ 岩田発着便は八幡田辺線移行後も朝夕ラッシュ時のみ八幡志水線の便を1往復ずつ残した。八幡戸津交差点の交通信号機は後に設置されたものの、設置後は八幡から岩田へのアクセスは八幡田辺線に順次移行させたため、後に八幡志水線は戸津 - 蜻蛉尻 - 上津屋 - 野尻 - 岩田間を廃止した。尚、1971年より1973年までの2年間は一部便を京阪宇治交通(宇治営業所)に移管し、八幡志水線を京阪バスと京阪宇治交通との共同で運行していたが、京阪宇治交通の徹底後は京阪バス単独運行に戻っている。京阪バスの社史「輝く明日へ」に掲載の1971年の年表部分に八幡志水線の一部を京阪宇治交通に移管としていることで検証できる。尚、廃止区間については、京阪宇治交通の社史「地域とともに六十年」に掲載の1973年の年表部分では「蜻蛉尻・八幡間 運行系統廃止許可」と記述されているが、この記述は京阪宇治交通単独での運行と既になっていた八幡田辺線の免許区間として存置した蜻蛉尻 - 岩田間を省略した記述=京阪宇治交通としての実質的な路線免許廃止区間との形で掲載したものである。一方、京阪バスの年表欄には八幡志水線の戸津 - 岩田間の路線廃止時期の記述がされていない。このため、この当時に八幡志水線が1973年以前に両社とも戸津 - 岩田間を廃止していたのか、或いは1973年時点若しくは1967年以降枚方移管後の1973年以前の間に実施したダイヤ改正で、既に京阪バスを含めて、八幡志水線の廃止区間である戸津 - 蜻蛉尻 - 上津屋 - 野尻 - 岩田間の内、蜻蛉尻 - 上津屋 - 野尻 - 岩田間のみを先行する形で部分的に廃止したのか、或いは戸津 - 蜻蛉尻 - 上津屋 - 野尻 - 岩田間を一挙に廃止したのかについても、廃止日を含めて詳細は不明である。
- ↑ 1996年2月25日より京都南部線に改称。
- ↑ 当時は京阪バス(枚方)は樟葉地区(現・男山地区)の路線を有しておらず(本路線が京阪宇治交通移管後の1972年に樟葉地区の路線を開設)、この区域は半ば飛び地エリアで運行していた。
- ↑ 京都新聞 1967年5月29日 山城版の面に記述。内訳は淀営業所によって八幡 - 志水 - 岩田発着便は25往復より2往復に大幅に減便し、残り23往復を西戸津までに短縮した。一方で八幡田辺線の岩田発着は15往復の設定に留まった。これは八幡田辺線の新田辺直通が別に設定されていたことでこれを含めるとほぼ同等の便数が確保されているからで有った。ほぼこの状態で1969年5月10日より八幡田辺線と共に枚方営業所に移管したが、その後岩田発着の2往復は西戸津の1つ東の戸津発着となったため、前述の通り戸津 - 蜻蛉尻 - 上津屋 - 野尻 - 岩田間が廃止されたことで、八幡志水線は一部戸津発着便が残された他は、残る全便が西戸津までにが短縮された。以後は2007年まで便数の減少が僅かに有った程度だったが、2007年には八幡志水線の男山営業所への再移管実施の際に、西戸津発着便とは別に朝夕ラッシュ時に一部設定されていた西戸津方面には向かわない八幡循環系統が廃止され、西戸津 - 戸津間も片道早朝1便のみとなった。
- ↑ この他にも茂ヶ谷 - 国鉄田辺駅前間の運行経路も引き継ぎ、近鉄新田辺に延長された。これが現在の京田辺69号経路である。尚、この2路線は同年5月10日より同年10月28日までの間は何れも枚方営業所の管轄であったが、同年5月9日以前の管轄営業所については、当時枚方市駅 - 新田辺の系統が一部に存在していた枚方尊延寺線の新田辺発着便での間合い運用による枚方営業所の管轄であったのか、八幡田辺線の間合い運用による淀営業所の管轄であったのか、或いは茂ヶ谷 - 国鉄田辺駅前系統と国鉄田辺駅前 - 草内小学校系統を1路線ずつ管轄営業所を違えて分担させたか、はたまた枚方と淀との共管だったのかまでは不明である。
- ↑ 社史記載の運行経路では、運行開始当初は宇治車庫や新田辺からの下奈良折返しも設定されていた。その逆に三野〜新田辺間の区間運転も存在していた模様である。
- ↑ 新田辺〜草内・宇治田原方面の路線の総称である。
- ↑ 男山の運用は1997年7月26日改正当時のダイヤでは片道1本のみの運行であり、内容は京阪八幡から76系統で岩田南まで運行し、岩田南から近鉄大久保まで回送して72系統で京阪八幡に戻る運用となっていた。
- ↑ 宇治による田辺線運用は、1989年改正迄に61系統から撤退した後も、休日ダイヤに限り1997年7月25日まで昼間時に1運用のみ設定され、61系統以外で系統で運用されていた。
- ↑ これにより基本的には、当時は木津川を境目に東側が宇治、西側が男山の管轄エリアとなった。
- ↑ 但し前面・側面の方向幕の表示は1996年4月17日改正までは「岩田」のままであった。
- ↑ 野村口〜新タマキ間がこの時一旦休止されている。なお同区間は1987年に久御山中学校〜宮ノ谷の58C系統新設(現在廃止)により再開し、2009年現在でも他系統が運行されている。
- ↑ 2010年4月1日より久御山工業団地に改称された。
- ↑ この内久御山団地〜宇治車庫間は同時に設定され、1997年7月25日の間に設定されていた36系統(久御山団地〜名木〜小倉〜宇治車庫)と同一の経路を走行していた。このため72系統は実質的な36系統の延長の位置付けとなった。なお、36系統は1989年より田辺営業所所属車両でも運行していた。
- ↑ これは宇治営業所の京阪宇治交サービス(当時)への分社化によるエリア調整で宇治営業所の八幡市内への乗り入れがなくなったことによるものである。
- ↑ 2010年9月5日改正の現行ダイヤでも基本的にこのダイヤは変更されていない。
- ↑ この時これとは逆に樟葉駅〜松井山手駅〜近鉄新田辺の系統からは田辺管轄が大幅に減少した(2007年11月10日改正より再び増加し、2010年9月5日より同路線は樟葉長尾線との共通運用を開始)。
- ↑ 同日田辺線(近鉄新田辺〜宇治田原工業団地など)も京阪宇治バスに移管されたため京阪バスが木津川を超える系統は一旦廃止された(木津川を超える系統自体は2009年11月1日に「ダイレクトエクスプレス直Q京都号」で再設定)。
- ↑ 読売新聞近畿版 2008年9月27日付記事「松下 変わるバス停 変わらぬ地名」にも掲載されていた。
- ↑ ただし2007年11月10日より乗り入れを開始した子会社の京阪宇治バスでは正式名称を当初「新田辺」としていたが、翌2008年に「近鉄新田辺」に統一した。
- ↑ 京阪バス公式HP「謹告 「田辺本町」(近鉄新田辺方面行き)停留所の廃止について」
- ↑ 枚方市(樟葉地区)、八幡市、京田辺市域の一般路線バス、並びに京都松井山手線、京都交野なんば線(直Q京都号)の運賃改定について - 京阪バス公式HP。2018年11月30日発信、同年12月1日閲覧。
- ↑ 消費税率引上げに伴う一般路線バスの上限運賃改定申請について - 京阪バス公式HP。2019年7月2日発信、同年同月4日閲覧。
- ↑ この理由は、男山/京田辺の両営業所車両の製造後12年を経過した車両が2009年1月1日以降大阪府の条例(俗に言う「大阪府流入車規制」)により、大阪府下乗り入れが出来なくなったことによるものである(両営業所とも近鉄新田辺より樟葉駅及びポエムノール北山への運用がある)。なお同路線での運行は京都府内のみであるため、大阪府の条例に適合していない車両であっても運用は可能である。
- ↑ この大量置き換え以降、旧・京阪宇治交通からの京阪バスへの引継車両は2002年3月1日以降に導入されたノンステップバスと一部ワンステップバスのみとなっている。この内いすゞ・エルガ5台は置き換えの過程(2007年11月1日実施)で京阪宇治バスに再度譲渡されている。
- ↑ 八幡・近鉄新田辺方面両方共、運賃は池嶋、大住浜、中島橋共に異なっている(京阪バスの運賃案内図より)。
外部リンク[編集]
- 京阪バス路線図・八幡・男山・くずは地区(PDF) - 八幡田辺線全経路及び全停留所が記載されている。