キルギス

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国旗
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キルギス共和国(キルギスきょうわこく、Kirghiz(KG))とは、中央アジア東部に存在する内陸国である。首都ビシュケク(ビシケク)。政体共和制。国土面積は19万9000平方キロ(日本の約半分ほど)。人口2011年の時点で558万7000人。人口密度は27.9人/㎢。国名の由来はモンゴル系民族キルギス人に由来する。語義は古トルコ語の「Kir(草原を意味する)Gyz(通貨を意味する)」からで「草原を遊牧する民族」を意味すると言われている。なお、キルギス本国では自国のことを「クルグズ」という。

概要[編集]

歴史[編集]

古くはシルクロードの天山北路の中継地として繁栄した土地であり、6世紀にトルコ系民族の突厥の支配下に置かれた。13世紀チンギス・ハーンの次男・チャガタイの支配下に置かれてチャガタイ・ハン国が建国される。17世紀から18世紀にかけてはジュンガル19世紀にはコーカンド・ハン国が建国され、1863年ロシア帝国に吸収されるように併合された。ロシア帝国崩壊後の1924年ロシア共和国内で自治州の地位を獲得し、1936年ソ連を構成する共和国の地位にまで昇格。

1990年にソ連が政情混乱すると、自国の主権を宣言。1991年8月31日キルギスタンの国名で独立を宣言した。同年12月にソ連が解体すると、それに伴う独立国家共同体CIS)の創設に参加する。

1992年、ロシアと友好協力相互援助条約を締結して親露路線をとり、1993年には新憲法を採択して国名をキルギスに変更する。1998年、中央アジアで初となる土地私有制の導入を果たす。さらに独立国家共同体(CIS)では初となる世界貿易機関(WTO)に加盟した。1999年には南西部で政府開発援助ODA)事業で派遣されていた日本人技術者らが、イスラム武装勢力に拉致される事件も発生している。2001年には対欧米安全保障組織といわれている上海協力機構SCO)に参加した。

2005年3月チューリップ革命と称される民衆デモにより、独裁政権だったアスカル・アカエフが失脚して政権は崩壊。2010年7月には中央アジアで初となる女性大統領であるローザ・オトゥンバエヴァが誕生した。

地理・経済[編集]

中央アジア南東部の内陸国で、国土の75パーセントが標高3000メートル以上のスィルトと呼ばれる高原で、国の平均高度は2750メートルに達している。気候は高度によって異なるが、一般的には大陸性で乾燥している。

首都・ビシケクの年平均気温は10.9度で、最高気温が7月の25度、最低気温は1月のマイナス3.6度であり、年間降水量は445ミリである。

天山山脈の北麓、ロシア中国イスラムの3大勢力の接点に位置するこの国は、その地政学的な位置から昔より要衝であった。またシルクロードという歴史ある交易路のため、自然や歴史的な遺産にも恵まれて観光業が盛んである。キルギス人の容姿は日本人と似ているため、独立後は日本との関係が特に強化され、日本からの企業進出が盛んに進められた。この国は中央アジアでは珍しい親日国であり、経済支援などを含めて最も信頼できる国としてこの国では日本がトップに挙げられることが多い。1995年には市場経済向けの人材育成を目的とするキルギス日本センターが首都・ビシケクに開設された。

文化面ではモンゴルとの共通点が色濃く、移動式組み立て住居のオエイはモンゴルのゲルと似ており、羊の頭の姿煮なども見られる。遊牧中心で祖霊信仰に重点を置く北部と、イスラム化が盛んで農業に重点を置く南部で南北対立も伝統的に存在している。

主要産業は羊毛と綿花である。ただ、この国は金や水銀、アンチモン、タングステンなどの埋蔵があるとされており、資源は豊富な模様である。

住民[編集]

言語[編集]

宗教[編集]

通貨単位[編集]

国内総生産[編集]

  • 1人当たり国内総生産は864米ドル(2010年

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
1月7日 クリスマス正教会
2月1日 犠牲祭 移動祝日
3月8日 国際女性デー
3月21日 ノールーズ
5月1日 メーデー
5月5日 憲法記念日
5月9日 戦勝記念日
6月1日 子供の日
8月31日 独立記念日
11月7日 同意と和解の日
11月25日 断食明けの日 移動記念日

キルギス出身の有名人[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]