シルクロード
シルクロードとは、中世の世界における国際交流を表す概念である。
概要[編集]
中世において、地中海世界(ヨーロッパ、イスラム)と極東世界(中華文明および周辺)を結ぶ交易路を呼ぶ言葉である。国際的な取り決めがなされてできた交易路では無いため、具体的にこの道がシルクルードという定義があるわけではない。なので、西域の物品がもたらされた日本にもシルクロードが達していると言うことも可能で、奈良市はしばしばシルクロードの東の終点として扱われている。
中国の絹織物が、この交易路を通して地中海世界にもたらされたことから、絹の道、すなわちシルクロードと呼ばれる。
地理[編集]
ルートは複数あるが、イラク、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、中国を通るルートが最も早く開かれた。このルートは、標高3000mを越える天山山脈を越えるルートで、決して楽な道とは言えない。
本ルート上の主要都市は次の通り。
その他、インド洋を通る海上ルートや、北方のシベリアを通るルートもシルクロードの一部とされることが多い。
歴史[編集]
かつては、誰も地球全体のことを知らず、ユーラシア大陸の東側と西側では接点が無かった。しかし、紀元前4世紀になると、大陸西側のギリシャにアレクサンドロス大王が登場、東へ東へと遠征し地中海から中央アジアに及ぶ大国を作り上げた。これにより、地中海世界と中央アジアの交易ルートが誕生した。
一方、大陸東側では、紀元前2世紀に漢が中央アジアに領土を広げ、極東アジアと中央アジアの交易ルートができた。これにより、極東と地中海との間で交易が可能となった。この交易路が、シルクロードと呼ばれることとなる。
13世紀のモンゴル帝国を除き、シルクロード全体を支配した国は無く、複数の国に分かれていた。実態は、隣国同士の交易の集合体であり、東から西まで一括した交易がおこなわれているわけでは無かった。