鳥取駅
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鳥取駅 | |
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鳥取駅の画像 | |
とっとり Tottori | |
所在地 | 鳥取県鳥取市東品治町111-1 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
電報略号 | トリ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- | 3,896人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 1908年(明治41年)4月5日[1] |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | A 山陰本線 |
キロ程 | 230.3km(京都起点) |
◄*福部 (11.2km) (4.2km) 湖山► | |
所属路線 | Bs 因美線 |
キロ程 | 0.0km(鳥取起点) |
(4.3km) 津ノ井► | |
備考 | 直営駅[2] みどりの窓口 有 |
* この間に滝山信号場有り(当駅から5.3km先)。 | |
鳥取駅(とっとりえき)とは、鳥取県の県庁所在地の鳥取市にある山陰本線・因美線の鉄道駅(旅客駅)である。西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄である。
概要[編集]
沿革[編集]
倉吉を中心とした中部地区では、この地方特産の稲扱千刃などの農機具・木綿がすりの県外移出を盛んにするために、岡山 - 津山 - 米子 - 境港をつなぐ鉄道建設が必要であるとして、明治24年(1891年)2月、貴族院議長・伊藤博文に請願した。請願者は倉吉町の武信克三外119名であった。
請願理由は、
- 山陰道は交通不便であったため、産業が興らず、知識の発達が遅れ、欧米文明恩沢に浴していない点を改善する。
- 山陰地方の米、棉を中心とする農産物、漁類、材木等を輸送するため、山陽・山陰を連絡する鉄道が必要となる。
- ロシアへの防衛のため鉄道が必要となる、
という3点であった[3]。
明治26年2月の鉄道会議で、姫路-鳥取-境間の開設が可決された。
1907年(明治40年)に山陰線の境駅 - 米子駅 - 鳥取駅間が開通して駅が開設された。鉄道が明治・大正の地域経済に与えたインパクトは大きく、鉄道敷設を期に内航海運と鉄道の移出入額が逆転した。出入の総額に占める鉄道の割合は1913年(大正2年)には、移出で71%、移入で52%に鉄道比率が急増した。内航海運による移出は73%から20%、移入は78%から43%に激減した。物流の主役が内航海運から鉄道に置き換わった。
1987年4月1日国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。1994年12月の智頭急行線の開業以降、関西地域との鉄道旅客の流動は智頭急行経由に移行している。
鳥取駅周辺再生基本計画[編集]
鳥取市では多極型のコンパクトなまちづくりのため、鳥取駅周辺再生基本計画を策定している。計画のポイントは次の通りである[4]。
- 駅南側歩行者動線の確保
- 駅北側歩行者動線の拡充
- 駅南の自動車交通アクセスの改善
- 公共駐車場・駐輪場の整備
周囲の施設[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 鳥取駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
山陰本線の駅一覧 |
B 因美線の駅一覧 |