関東大震災

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関東大震災(かんとうだいしんさい)とは、大正12年(1923年9月1日午前11時58分に日本首都である東京を襲った大地震であり、関東地方に壊滅的な打撃を与えた。死者・行方不明者はおよそ10万5000人に上り、建築物の全壊はおよそ10万9000棟、火事による全焼(これは全半壊後の焼失を含む)がおよそ21万2000棟、被災した民衆は190万人に上ったという。

概要[編集]

震源地は相模湾沖であった。この大震災で建物が倒壊し、建設中だった丸の内の内外ビルディングが崩壊し、作業員300名余りが圧死した。神奈川県横浜でも官公庁グランドホテルオリエンタルホテルが倒壊して多くの死者を出した。

ただし、死傷者の大半は火災によるものである。能登半島付近に台風が接近しており、強風に煽られて火災が拡大したことが被害を拡大したのである。現在の墨田区にあった本所区被服廠跡では2万430坪の敷地の中で避難してきた4万人前後が死亡している。

この地震により政府・報道機能が麻痺した。首相加藤友三郎8月24日に病死していて震災の最中においては首相不在だったことも大きかった。このため、様々なデマが飛び交って「朝鮮人が暴徒化している」「井戸に毒を入れている」というデマにより、自警団に軍や警察も関与する形で数千人に上る朝鮮人・中国人が虐殺された。また、この混乱を利用してアナキスト大杉栄伊藤野枝と大杉のわずか6歳のなどが、憲兵隊に殺害されるという甘粕事件も発生するなど、政治的・社会的に大きな影響を与えた。

このため、9月1日は日本災害史上最大級の被害であり、歴史に残る大震災・関東大震災が発生した日として、防災の日に指定されている。

義援金など[編集]

関東大震災が起こると、日本には各国から支援金や支援物資が送られている。東京市1930年に編纂した『帝都復興事業図表』によると、義援金や支援物資は約4157万円(2021年の価値で1000億円以上)に上っている。欧米では街頭募金運動も行われた。義援金が最も多かったのはアメリカで、全体の4分の3弱を占めている。次いでイギリス、そして中華民国であった。中華民国は義援金だけでなく、大量の食糧支援もしており、奉天軍閥の張作霖などが物資を送っている。

影響[編集]

この関東大震災を教訓にして、以後の東京では高さ31メートル以上の建物を建てることは禁止された(百尺規制)。しかしこの規制のため、東京では9階建て以上のビルを建てることが出来なくなり、戦後高度経済成長を経た昭和37年(1962年8月建築基準法が改正されて百尺規制が撤廃されるまで続いている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]