金策市
金策市(きむちぇく-し/김책시)は朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)北部に位置する街。日本海に面しており、旧称である城津(ソンジン)の方が日本では知られている。
位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル | 김책시 |
漢字: | 金策市 |
日本語読み仮名: | きんさく-し |
片仮名転写: | キムチェク-シ |
ローマ字転写 (RR): | Gimchaek-Si |
ローマ字転写 (MR): | Kimchaek-Si |
英語表記: | Kimchaek-City |
統計(2008年) | |
面積: | 850 km2 |
総人口: | 207,299 人 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 咸鏡北道 |
概要[編集]
朝鮮民主主義人民共和国の北東部に位置する咸鏡北道。その南部に位置している。日本統治時代は城津府、戦後すぐは城津市であったが、1951年に当地で生まれた偉大な領袖金日成主席の抗日戦闘時代の戦友で、朝鮮人民軍司令官であった金策が死去したことを受けて、1953年に現在の金策市へと改称された。
地理[編集]
市の東南側は日本海に面し、西と南西を咸鏡南道、いや朝鮮随一の鉱山町である端川市、北側を吉州郡と花台郡に接している。中心市街は、半円を描く城津湾の西に面している。気候は海に面しているために内陸ほどは寒くない。夏は比較的涼しい。
金策市は海岸地域であることを除けば大部分の地域が山地である。南西部・端川市との境界には白頭山脈が走っており、ソバンドク山・トクマン山・リョンヨン山など1500〜2000m級の険しい山がある。
一方河川と地形では北部一帯から北東・南西方向に流れる臨溟川とその支流のカルパ川があり、沿岸部には臨溟平野と鶴東平野をはじめとする平野部が形成されている。東北部・花台郡との境界には南大川が流れている。
基盤となっている地質は摩天嶺山脈と同じ片麻岩・結晶片岩・花崗岩であり、土壌は褐色山林土である。
海岸線部には隆起した複雑な海岸段丘が突出している。ただし、南部は城津湾を形成し、比較的穏やかな海なため良港としての立地条件をクリアしている。
気候は年平均気温8.4℃、1月の平均気温-5.1℃、8月の平均気温22℃であり、初霜は10月20日頃である。平均年間降水量は700㎜である。
森林は、市全体の面積の76%を占め、カラマツ・チョウセンゴヨウ・トドマツ・オーク・マンシュウグルミ・ポプラなどが育っている。咸鏡北道ではあまり育ちにくい栗も生えている。
歴史[編集]
詳細は「金策郡」を参照
- 金策郡の詳細は上から
近代以前[編集]
古代は高句麗と渤海の地であり、女真族の活動した時期を経て、13世紀に元の領土となった。14世紀後半、元の滅亡にともなってこの地は高麗の統治下に入り、吉州の都護府の管轄下となった。1398年朝鮮王朝によって城津鎮が設置されたことにより本格的な入植が始まった。
近代[編集]
- 1898年 - 咸鏡北道吉州郡の城津鎮周辺および咸鏡南道端川郡の一部をあわせ、城津郡が設置された。
- 1899年4月 - 開港にともない城津府が置かれたが、その後吉州郡に統合され、行政区域としては統廃合を繰り返していた。
- 1903年 - 吉州郡から城津郡が分割・再設置
- 1906年 - 城津府に再度昇格
- 1910年10月1日 - 城津郡に降格
- 1910年時点で、鶴上面・鶴南面・鶴中面・鶴西面・鶴東面の5面が存在
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡北道城津郡に以下の面が成立。(6面)
- 鶴上面・鶴南面・鶴中面・鶴西面・鶴東面・鶴城面
- 1920年 - 鶴城面が城津面に改称。(6面)
- 1930年代後半以降 - 重工業化の強力な推進方針
- 1931年4月1日 - 城津面が城津邑に昇格。(1邑5面)
- 1937年 - 日本高周波重工業城津製鉄所操業開始
- 1939年
- 城津面が邑に昇格
- 城津邑の一部が鶴上面・鶴南面に分割編入。(1邑5面)
- 1941年
第二次世界大戦後[編集]
- 1945年(光復直後) - 城津府が城津市に改称。
- 1951年 - 鶴城郡が金策郡に改称。(5面)
- 1952年 - 行政区画再編により
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡北道金策郡鶴東面・鶴中面・鶴西面および鶴城面の一部地域をもって、金策郡を設置。金策郡に以下の邑・里が成立。(1邑23里)
- 金策邑・放鶴里・徳満里・源津里・炭素里・松中里・興坪里・水洞里・湖通里・松興里・業億里・細川里・東興里・鶴東里・龍湖里・城上里・臨溟里・玉泉里・院坪里・徳仁里・塔下里・水使里・王徳里・春洞里
- 1953年 (1邑23里)
- 金策郡金策邑が金策郡鶴城里に降格。
- 金策郡臨溟里が金策郡金策邑に昇格。
- 金策郡放鶴里の一部が金策郡松興里に編入。
- 1954年 (1邑24里)
- 金策邑が臨溟里に降格。
- 金策郡鶴城里および松中里・湖通里の各一部が合併し、金策邑が発足。
- 金策郡興坪里の一部が金策郡炭素里に編入。
- 金策郡源津里が金策郡石湖里に改称。
- 金策郡松興里の一部が分立し、金策郡上坪里が発足。
- 1955年 (10洞6里)
- 青鶴里が青鶴洞に昇格。
- 水源里が水源洞に昇格。
- 城南里が城南洞に昇格。
- 双岩里が双岩洞に昇格。
- 双化里が双化洞に昇格。
- 1956年
- 金策市龍沼里が晩春里に編入。(10洞5里)
- 金策郡水使里が玉泉里に編入。
- 金策郡徳満里の一部が分立し、金策郡青鶴里が発足。
- 1957年 (10洞5里)
- 松岩洞・城南洞の境界線を調整。
- 双化洞の一部が双浦洞・双岩洞に分割編入。
- 双浦洞の一部が双化洞に編入。
- 1961年 (14洞3里)
- 初頭に改編。
- 双浦洞の一部が分立し、双浦一洞・双浦二洞が発足。
- 双浦洞の残部・双化洞の一部が合併し、松嶺洞が発足。
- 錦川里が錦川洞に昇格。
- 将峴里が将峴洞に昇格。
- 2月の改編 - 金策郡金策邑・放鶴里・石湖里・炭素里・松中里・興坪里・水洞里・湖通里・松興里・上坪里・業億里・細川里・東興里・鶴東里・龍湖里・城上里・臨溟里・玉泉里・院坪里・徳仁里・塔下里・王徳里・春洞里を編入。(17洞23里)
- 金策邑が鶴城洞に昇格。
- 炭素里が炭素洞に昇格。
- 業億里が業億洞に昇格。
- 金策郡青鶴里・徳満里が細川里に編入。(1邑22里)
- 初頭に改編。
- 1965年 (19洞23里)
- 青鶴洞の一部が分立し、駅前洞が発足。
- 漢泉洞の一部が分立し、海岸洞が発足。
- 1972年11月 - 松嶺洞が分割され、松嶺一洞・松嶺二洞が発足。(20洞23里)
- 1981年 - 王徳里が豊年里に改称。(20洞23里)
- 1985年 (20洞23里)
- 双浦一洞が製鋼一洞に改称。
- 双浦二洞が製鋼二洞に改称。
- 1988年7月 - 達利里および恩湖里の一部が合併し、双龍洞が発足。(21洞22里)
- 1993年12月 - 双岩洞が分割され、双岩一洞・双岩二洞が発足。(22洞22里)
下位行政区画[編集]
- 錦川洞(クムチョンドン)
- 蓮湖洞(リョノドン)
- 城南洞(ソンナムドン)
- 松嶺一洞(ソンニョンイルトン)
- 松嶺二洞(ソンニョンイドン)
- 松岩洞(ソンアムドン)
- 水源洞(スウォンドン)
- 新坪洞(シンピョンドン)
- 双龍洞(サンニョンドン)
- 双岩一洞(サンアミルトン)
- 双岩二洞(サンアミドン)
- 双化洞(サンファドン)
- 業億洞(オボクトン)
- 駅前洞(ヨクチョンドン)
- 将峴洞(チャンヒョンドン)
- 製鋼一洞(チェガンイルトン)
- 製鋼二洞(チェガンイドン)
- 青鶴洞(チョンハクトン)
- 炭素洞(タンソドン)
- 鶴城洞(ハクソンドン)
- 漢泉洞(ハンチョンドン)
- 海岸洞(ヘアンドン)
- 徳仁里(トギンニ)
- 東興里(トンフンニ)
- 龍湖里(リョンホリ)
- 臨溟里(リンミョンニ)
- 晩春里(マンチュンニ)
- 放鶴里(パンハンニ)
- 上坪里(サンピョンニ)
- 石湖里(ソコリ)
- 城上里(ソンサンニ)
- 細川里(セチョンニ)
- 松中里(ソンジュンニ)
- 松興里(ソンフンニ)
- 水洞里(スドンニ)
- 玉泉里(オクチョンニ)
- 院坪里(ウォンピョンニ)
- 恩湖里(ウノリ)
- 春洞里(チュンドンニ)
- 塔下里(タパリ)
- 豊年里(プンニョンニ)
- 鶴東里(ハクトンニ)
- 湖通里(ホトンニ)
- 興坪里(フンピョンニ)
交通[編集]
鉄道[編集]
道路交通[編集]
主要幹線道路として、釜山から慶尚南道・蔚山・慶尚北道・江原道・咸鏡南道・咸鏡北道を通り中朝国境地帯の穏城郡へと抜ける大韓民国国道第7号線(朝鮮側の名称は不明)が走っている。
産業[編集]
主要産業は豊富な地下資源に基づく鉱工業と、豊かな日本海齎す水産業である。耕地面積は市の全体面積の17%に当たる、約144㎢。そのうちのほとんどは畑である。当地自体が寒冷な気候な為、米作には不向きなためである。主要な作物はトウモロコシ・豆・米などの穀類とじゃがいもなどの野菜類である。米は臨溟平野と鶴東平野が主要な産地である。放鶴里・院坪里・恩湖里を中心に、梨・りんごなどの果樹栽培が行われており、咸鏡北道内では化成郡・吉州郡に続き生産量が多い。徳仁里・細川里・玉泉里では、葉タバコを多く生産しており、この地域の生産量が市全体の生産量のうち20%を占める市内一大産地である。
主要な地下資源は鉄・燐灰石・大理石・雲母・黒鉛などが豊富であり鶴東炭鉱・チミョン炭鉱と業億鉱山・金策鉱山・双龍鉱山はどで採掘されている。また、それらの豊富な地下資源があるため、日本統治時代から製鋼業・製鉄業・鉄鋼業などが盛んになっており、城津製鋼連合企業所を形成し、国内の一大製鋼工場としてその名を馳せている。
城津製鋼連合企業所・城津製鋼所・城津耐火物工場・城津工具工場・城津機械工場・城津旋盤工場・城津船舶修理工場・城津探査機械工場・城津農機具工場・城津製鉄製品工場などがある。特に、城津大理石工場には白頭山脈一帯の豊富で美しい大理石資源を基礎とする建材用大理石に大理石工芸品が生産されており、美しい朝鮮の祖国河山を表しているようである。
地方工業としては、鉄製日用品と水産物加工品が大きな比重を占めるおり、咸鏡北道に於ける主要な鉄製日用品生産基地を有している、一つの町である。豊かな鉱山資源と水産物に恵まれたこの町は水産品でも名を国内に轟かせており、水揚げ量は朝鮮東海沿岸にある主要な水産業の町である江原道元山市や咸鏡南道咸興市・新浦市、同じ咸鏡北道の清津市や羅先市を凌いで、一番とも言われている。
教育[編集]
- 金策空軍大学
- 城津工業大学
- 金策工場大学
- 金策農業高等専門学校
- 南坪高等中学校
- 城津高等中学校