金日成
金日成 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김일성 |
漢字: | 金日成 |
発音: | キム・イルソン キミルソン |
日本語読み: | きん にっせい |
英語表記: | Kim Il-Sung Kim Il-Seong |
偉大なる首領金 日成同志(キム・イルソン、日本語読:きん にっせい、朝鮮語:김일성、1912年4月15日 - 1994年7月8日)は、北朝鮮の政治家及び軍人。朝鮮民主主義人民共和国を建国した人物。本名は金 成柱や金 聖柱、金 誠柱ともいわれている(ただし、いずれも読みは全てキム・ソンジュ)。また、読みは同じ「キム・イルソン」だが、「金一星」と呼ばれていた時期もあった。『星では足りない、太陽とならなければならない」ということで「日成」と呼ぶようになったらしいけど、すごくどうでもいい。
経歴[編集]
1948年から死までの間、常に最高指導者の座に就いていた。以後、偉大な領導者金正日将軍様・敬愛する金正恩元帥様と後継者選びは世襲制であり、事実上の独裁国家(金王朝)を造り上げたことになる。
1945年、日本の敗戦によりソ連より帰国。朝鮮共産党責任書記に就任する。1948年朝鮮民主主義人民共和国が建国されると首相に就任。1949年に妻の金正淑が死去。
1950年6月25日、「国土完整」を旗印に南側に侵攻し朝鮮戦争が勃発。1951年には金聖愛と再婚する。戦争指導を中国が行うようになると権力基盤を磐石とするため、南朝鮮出身の南労派をアメリカのスパイとして粛清する。1956年にはソ連でのスターリン批判に影響された、ライバルのソ連派・延安派が金日成を批判したことから粛清する。
1967年にかつては同盟関係にあった甲山派を金正日の主導により粛清。以後北朝鮮は金日成の唯一体系とされ、敬称が首領となる。1972年に国家主席となる。1990年には自由民主党の金丸信副総裁・日本社会党の田辺誠と会談。1992年には息子の金正日を朝鮮人民軍最高司令官に推戴する。1994年6月にジミー・カーターアメリカ元大統領と会談し、南北首脳会談に同意する。同年7月8日に心臓病で死去。82歳没。
最高指導者であった期間は46年であり、ヨシフ・スターリンの29年、毛沢東の31年を遥かに凌ぐ。世襲王制を除けばフィデル・カストロに次ぐ世界歴代2位の長さである。半世紀の統治の間に主に自国民160万人を殺害したとされる[1]。これはポル・ポトの犠牲者、200万人に匹敵する数値である。とは言え、金日成の統治期間は先述の通り46年と長い一方、ポル・ポトの統治期間は僅か4年足らずであるため、ポル・ポトの方が圧倒的に惨い、ともいえる。
死後、長男の金正日が後継者となって金日成の死から3年後の1997年に総書記に就任。2011年に孫の金正恩に引き継がれたが、金日成が希求した「国土完整」による南北統一は実現していない。
略歴[編集]
- 1912年4月15日-金亨稷と康盤石の間に生まれる。
- 1919年-満州に移住。
- 1927年-吉林省の毓文中学校に編入。
- 1932年-中国の抗日部隊に加入。
- 1937年-咸鏡南道普天堡を襲撃。普天堡戦闘
- 1940年-金正淑と結婚。日本の関東軍より追われソ連に逃亡。
- 1941年2月16日-長男金正日誕生。
- 1944年-次男金万一誕生。
- 1945年-日本の敗戦を受け、朝鮮に帰国。朝鮮共産党責任書記に就任。
- 1946年-北朝鮮臨時人民委員会委員長に就任。
- 1946年-北朝鮮労働党中央委員会副委員長に就任。
- 1946年5月30日-長女金敬姫誕生。
- 1948年9月9日-朝鮮民主主義人民共和国建国。首相に就任。
- 1949年-朝鮮労働党中央委員会委員長に就任。
- 1949年-妻、金正淑が死去。
- 1950年6月25日-南朝鮮(大韓民国)に侵攻。朝鮮戦争勃発。
- 1951年-金聖愛と再婚。
- 1953年7月27日-朝鮮戦争休戦。
- 1953年-朴憲永をリーダーとする南朝鮮一派(南労派)を粛清する。
- 1954年-三男金平一誕生。
- 1956年-ソ連とヨーロッパの衛星国・モンゴルを歴訪。
- 1956年-朴昌玉副首相ら一派のソ連派・金枓奉最高人民会議常任委員長ら一派の延安派を粛清する。8月宗派事件
- 1967年-朴金喆ら一派の甲山派を粛清する。
- 1972年12月28日-国家首席に就任。
- 1974年-金正日を後継者に決定。
- 1977年-国家理念として主体思想を発表。
- 1980年-南側全斗煥に、高麗民主連邦共和国設立を提案。
- 1984年-ドイツ民主共和国を訪問し、エーリッヒ・ホーネッカーと会談。
- 1990年-日本の金丸信自民党副総裁・田辺誠社会党副委員長と会談。
- 1991年-中華人民共和国を訪問し、鄧小平と会談。
- 1991年-統一教会教祖文鮮明と会談。
- 1991年-金正日が朝鮮人民軍最高司令官に推戴される。
- 1994年-ジミー・カーターアメリカ元大統領と会談。
- 1994年7月8日-心臓病により死去。