芳桂院殿
ナビゲーションに移動
検索に移動
芳桂院殿(ほうけいいんでん、弘治元年(1557年) - 天正8年5月30日(1580年7月11日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。下総の戦国大名・千葉邦胤の正室。兄弟姉妹に北条新九郎、北条氏直、太田源五郎、太田氏房、千葉直重、北条直定、源蔵、勝千代、竜寿院(里見義頼室)がいる。実名は不詳で芳桂院殿は法名である。
生涯[編集]
父は第4代当主・北条氏政[1]。母は武田信玄の娘・黄梅院[2]。氏直の姉であるとされることから(『千学集抜枠』)、弘治3年(1557年)末に生まれた氏政の長女と考えられている[2]。
後北条氏と千葉氏の婚姻は邦胤の父・胤富が後北条氏との関係強化を図って求めてきたものである[2]。しかし取次の遠山綱景が永禄7年(1564年)に国府台合戦(第2次)で戦死するなどして進まず、元亀2年(1571年)11月の邦胤の元服に伴って行なわれたと推測されている[2]。邦胤との間には天正2年(1574年)に長女が生まれており、この長女は芳桂院殿の実弟である千葉直重に嫁いでいる[2]。
芳桂院殿は夫に先立って天正8年(1580年)に24歳の若さで死去した[2]。法名は芳桂院殿貞室隆祥大禅定尼[2]。菩提寺として佐倉に宝慶院(のちの隆祥寺)が建立されている[2]。