天池清次
天池 清次(あまいけ せいじ、1914年3月31日 - 2012年10月4日)は、労働運動家。元・全日本労働総同盟(同盟)会長、全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)組合長。
経歴[編集]
東京市(現・東京都)生まれ[1]。1927年川崎市宮前尋常高等小学校(現・川崎市立宮前小学校)中退後、市内の直喜鉄工所に施盤見習工として入社[2]。同社が日本労働総同盟(総同盟)の締付工場(ユニオン・ショップ制)であったため[3]、1928年総同盟神奈川鉄工組合第一支部に加入[2]。神奈川労働学校に入校し、講師の松岡駒吉、片山哲、石橋湛山らから指導を受ける[1]。1929年総同盟神奈川県連合会執行委員。1930年の川崎武装メーデーに参加した経験などから反共・労働組合主義の立場に立ち、松岡駒吉に師事[4]。1932年日本鋼管鶴見製鉄所に入社、総同盟日本鋼管鶴見製鉄所支部に加入。1935年から1940年の総同盟解散まで神奈川県連執行委員・青年部長[2]。
復員後、日本労働組合総同盟(総同盟)神奈川県連合会の再建に従事[2]、1946年2月神奈川県連結成とともに副主事[5]。1947年神奈川県連主事[6]。1948年総同盟中央委員。1949年全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)神奈川金属労働組合長[2]。1950年の総評結成に伴う全金同盟の分裂、1951年の総同盟解体では右派の指導者として活躍し、1951年3月に全金同盟(のちのゼンキン連合)を再建し主事、同年6月に総同盟を再建し会計に就任[7]。1959年古賀専にかわって総同盟総主事[4]。1962年4月総同盟・全労会議・全官公の連絡機関である全日本労働総同盟組合会議(同盟会議)の結成に参加、事務局長。1964年11月全日本労働総同盟(同盟)の結成に参加、初代書記長。1967年全金同盟組合長。1968年同盟副会長。1972年全金同盟会長、同盟会長。1980年同盟顧問[1]。1982年労使関係研究協会を設立し会長。1983年財団法人日本労働会館理事長。1985年11月勲一等瑞宝章を受章[6]。
民主社会主義連盟(民社連)評議員[8]、神奈川県友愛労働信用組合(1983年より友愛信用組合)初代理事長[5]、社会経済国民会議初代副議長[6]、総合研究開発機構(NIRA)設立発起人[9]、富士社会教育センター理事[10]、行政改革推進国民運動会議(行革推進会議)発起人[11]、中央教育審議会委員、日本生産性本部理事なども歴任[12]。
2012年10月4日、心不全のため死去、98歳[13]。
人物[編集]
労働関係[編集]
- 戦後京浜地区で共済事業や会館運営に取り組み、1954年8月に労働組合では全国初の火災共済を全金同盟に発足させた[4][6]。
- 1959年に民社党結成に先立つ民主社会主義新党準備会に参加し、結成大会準備委員会の幹事に就任した。1965年民社党顧問[14]。
- 1970年11月に宮田義二(鉄鋼労連委員長)、原口幸隆(全鉱委員長)、前川一男(電労連会長)、清田晋亮(電機労連委員長)、小方鉄蔵(全機金委員長)とともに労働戦線統一世話人会のメンバーとなり[15]、民間主導の労働戦線統一を推進した[4]。ただし後年に行われたインタビューでは連合の現状について批判的に語っている[3]。
- 1986年6月に槙枝元文(元総評議長)、竪山利文(元中立労連議長)、中川豊(元総評副議長)、岩田照良(元労働省総務審議官)、工藤幸男(日本ILO協会常務理事)とともに日中勤労者交流センターの設立に向けた「発起人会」を発足させ、1986年9月に財団法人日中勤労者交流センターの初代副理事長に就任した[16]。
- 友愛信用組合理事長を務めていたが、多額の不良債権で経営が悪化したため、1995年2月2日付で辞任した[17]。同年7月に友愛信用組合は神奈川県労働金庫に事業譲渡した。
保守運動関係[編集]
- 1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」の発起人の1人[18]。同年10月に開催された総決起大会では同盟が元号法制化に賛成であることを表明し、「歴史を尊重しない民族は滅びる」などと発言した[19]。のちに「昭和の日」推進国民ネットワーク副会長[20]、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)顧問[21]、明治の日推進協議会代表委員を歴任し[22]、「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者にもなっている[21]。
- 1981年10月に結成された「スパイ防止法制定推進議員・有識者懇談会」(会長岸信介、顧問春日一幸ほか13名)のメンバー[23]。
- 2010年4月に結成された保守政党「たちあがれ日本」の公式サイトには「私は「民社党」解散以後、無党派です。しかし、今の日本の状況では駄目だと思っています。如何に再建するか、現実可能な道は、真正保守の再建であろうと思います。この意味において、「たちあがれ日本」への期待するところ大であります。」という天池からの応援メッセージが掲載されていた[24]。
- 2011年11月に開催された「アジアの民主化を促進する東京大集会」の発起人の1人。同集会では「アジア自由民主連帯協議会」の発足が発表された[25]。
著書[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c 天池 清次 C.O.E. オーラル・政策研究プロジェクト
- ↑ a b c d e ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅵ――安保と三池の決戦から同盟、JCの結成へ』教育文化協会、発売:第一書林、1999年
- ↑ a b 二村一夫「書評・天池清次著、伊藤隆監修『労働運動の証言──天池清次』」『二村一夫著作集』
- ↑ a b c d 山田宏二「天池清次」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、50-51頁
- ↑ a b 神奈川県労働部労政課編『神奈川県労働運動史通史(戦後)』神奈川県労働部労政課、1981年
- ↑ a b c d 天池清次『労働運動の証言――天池清次 同志とともに』日本労働会館、発売:青史出版、2002年
- ↑ 塩田庄兵衛編集代表『日本社会運動人名辞典』青木書店、1979年、25-26頁
- ↑ 日本労働年鑑 第25集 1953年版(PDF) 法政大学大原社会問題研究所
- ↑ 総合研究開発機構編『総合研究開発の步み――NIRA30年史』総合研究開発機構、2004年
- ↑ 「赤旗」日曜版特別取材班「密着レポート 富士政治大学校のすべて」『今日の民社党――大企業擁護・軍事ファシズムの先兵』日本共産党中央委員会出版局、1980年、118頁
- ↑ 青木慧『タカ派知識人――組織と人脈五〇〇人』汐文社、1983年
- ↑ 林雅行『天皇崇拝――教師と子どもたち』柘植書房新社、1990年
- ↑ (おくやみ)天池清次氏が死去 元全日本労働総同盟会長『日本経済新聞』2012/10/5付
- ↑ 楳本捨三『民社党二十五周年史』民社党二十五周年史頒布会、1984年
- ↑ 労戦統一世話人会[労]1970.11.11『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ 沿革 公益財団法人日中技能者交流センター
- ↑ 『週刊東洋経済』第5261号、1995年2月4日
- ↑ 歴史教育者協議会編『新版日の丸・君が代・天皇・神話』地歴社、1990年
- ↑ 藤生明「生きていた民社党、保守運動をオルグする」論座(2019年5月5日)
- ↑ 役員一覧 特定非営利活動法人「昭和の日」ネットワーク
- ↑ a b 上杉聰「日本における「宗教右翼」の台頭と「つくる会」「日本会議」」『戦争責任研究』第39号、2003年
- ↑ 明治の日推進協議会役員一覧 明治の日推進協議会
- ↑ 藤原彰、雨宮昭一『現代史と「国家秘密法」』未來社、1985年
- ↑ 私たちも「たちあがれ日本」を応援します。 たちあがれ日本
- ↑ 【パンフレット】第一回 「アジアの民主化を促進する東京大集会」 アジアの民主化を促進する東京集会
関連文献[編集]
- 上西正雄著、天池清次監修『労働組合主義の理論と実践』(日刊労働通信社、1980年)
- 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』(流動出版、1981年)
- 高梨昌編著『証言 戦後労働組合運動史』(東洋経済新報社、1985年)
- 朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』(朝日新聞社、1990年)
- 日本労働研究機構編『戦後労働組合運動の歴史――分裂と統一 第3集』(日本労働研究機構、2003年)
- 高木郁朗監修、教育文化協会編『日本労働運動史事典』(明石書店、2015年)