全国金属産業労働組合同盟
全国金属産業労働組合同盟(ぜんこくきんぞくさんぎょうろうどうくみあいどうめい)は、1946年に結成された金属産業の産業別労働組合。略称は全金同盟(ぜんきんどうめい)。総同盟加盟の最大組織。1950年に分裂・解散し、左派は全国金属労働組合(全国金属)、右派は全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)を結成した。
概要[編集]
1946年1月20日に総同盟の最初の地方金属組織として関東金属労働組合が結成された。高野実の指導によって結成され、会長に荒畑寒村、主事に高野、顧問に加藤勘十が就くなど旧全評系の色彩が強かった。旧総同盟系は関東金属に対抗し、1946年5月20日に神奈川金属労働組合を結成するなど、総同盟および全金同盟は正式に結成される前から潜在的な対立要素を抱えていた[1]。1946年8月1日に総同盟が正式に結成された。1946年9月23日に総同盟の大産業別整理の方針にもとづき、一般機器、鉄鋼、造船、電機、車輌など金属産業全体を包含する大産業別組織として全金同盟が結成された。初代会長は荒畑寒村、主事は井堀繁雄、副主事は高野実。関東金属など地方金属10、傘下組合830、組合員約28万人を擁する大産業別組織として発足したが、1947年2月に電機部会、同年9月に造船連合会、同年11月に鉄鋼連合会が全金同盟内部に業種別組織として結成されたため、1949年6月の総同盟中央委員会で一般機器、鉄鋼、造船、電機、自動車の5単産に再編成することが決定された。この間、1947年11月の全金同盟第2回大会で高野実が主事に選出、1948年10月の総同盟第3回大会で高野が現職の原虎一を破って総主事に選出、高野派の北川義行が副主事に選出されるなど、左派が総同盟および全金同盟の指導権を掌握した。1950年5月の総同盟中央委員会で左派が右派の反対をおしきり、中産業別整理、総同盟解体、単産ごとに総評に加盟するという方針を決定。1950年10月6日の全金同盟第5回大会で総評発足に伴う総同盟解体方針や役員選挙をめぐって左右両派が対立し、右派の退場により組織が事実上分裂した。左派は全金同盟を解散し、10月9日に鉄鋼・造船部門を分離した機械金属産業の中産業別組織として全国金属労働組合(全国金属)を結成した。委員長は空席、書記長は北川義行。一方、右派は1951年3月18日に全金同盟再建大会を開催し、全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)を結成した。初代会長は前田種男、主事は天池清次。組合員約5万人。以後、総評に加盟する全国金属と総同盟・同盟に加盟する全金同盟の対立が続いた。全金同盟から分離した鉄鋼部門は鉄鋼労連、造船部門は造船総連・造船重機労連へと発展した。
関連項目[編集]
出典[編集]
- ↑ 楠精一郎「二・一ゼネストと総同盟の対応」『高崎経済大学論集』第26巻第3号(通巻82号)、1983年