日本労働会館

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日本労働会館(にほんろうどうかいかん)は、

  1. 戦前、東京市芝区三田四国町2-6(現・東京都港区芝2-20-12)にあった総同盟本部会館。
  2. 一般財団法人日本労働会館の略称。1931年に総同盟が上記の日本労働会館を維持・管理・運営するため、財団法人日本労働会館を設立した。2013年に一般財団法人に移行した[1]。東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階に事務所を置く[2]。「労働者の社会的、文化的、経済的地位の向上に寄与すること」を目的とし[3]友愛労働歴史館労使関係研究協会ホテル三田会館を運営している[4]

設立[編集]

1894年に米国ユニテリアン協会東京市芝区三田四国町にユニテリアン教会・惟一館ジョサイア・コンドル設計)を建設した。ここで1912年にユニテリアン教会職員の鈴木文治らが友愛会を結成し、1919年に大日本労働総同盟友愛会、1921年に日本労働総同盟(総同盟)に改称した。1923年に関東大震災や会員減少などが理由でユニテリアン協会が撤退したため、1928年に総同盟は活動拠点にしていた惟一館を買い取って日本労働会館を建設する計画を立てた[5]

1930年8月に会員の募金と後援会(安部磯雄賀川豊彦新渡戸稲造・鈴木文治・吉野作造が発起人)が集めた寄付金で総同盟が惟一館の土地建物を買収し、1931年8月に惟一館を改装して日本労働会館とした[5][6]。当時、労働運動団体は不動産の所有ができなかったため、財団法人日本労働会館が設立された[5]。1931年8月17日付で財団法人に認可され、初代理事長に総同盟関東労働同盟会長だった松岡駒吉が就任した[6]

戦前の事業[編集]

1940年7月に総同盟は産業報国会への合流に反対して自主解散に追い込まれたが、財団法人日本労働会館は解散を免れた。総同盟の解散により労働学校、共済事業は終了、11の分館のうち7つの分館を処分した。総同盟解散後の事業は、第一・第二友愛病院、第一・第二青雲荘、大井友愛館、神楽坂食堂の経営に限られた[7]

青雲荘友愛病院

1936年6月日本労働会館の北隣に青雲荘アパート・友愛病院(山口文像設計)を建設した。建物は鉄筋コンクリート造3階建、一部が木造2階建で、鉄筋1階が友愛病院、その他が青雲荘。日本で最初の労働組合によるアパート・病院であった[8]。青雲荘は労働者に快適で安易な住宅を供給するとともに、家賃収入で資金を調達することも意図していた[5]。友愛病院は1936年7月開院。歯科を除く総合病院で、院長は中川鉄治郎、医師は安田徳太郎ら。準戦時体制に向かう中で労働過重による健康問題が起き、労働者や低所得者が低額な費用で診療を受けられる医療体制が必要になってきたことを背景にして設置された[8]。1939年川崎市に第二友愛病院・第二青雲荘を開設した[5]

大井友愛会館

1924年開館[9]

神楽坂食堂

牛込区(現・新宿区)にあった東京市設食堂「神楽坂食堂」を1938年に東京市から引き継ぎ営業を開始した[5][9]

戦後の事業[編集]

1945年4月14日の川崎大空襲で第二友愛病院・第二青雲荘が焼失。さらに5月23日深夜から24日未明の東京山の手大空襲で日本労働会館本館、青雲荘・友愛病院、牛込区の神楽坂食堂が焼失した[9]。1946年に一部焼け残った友愛病院を修復し、神楽坂食堂の外食券食堂営業の権利を利用して芝園橋食堂を開店した。芝園橋食堂は1963年まで営業を続け[7]、翌年の友愛会館建設後に解体されて駐車場となった[5]

1949年7月日本労働会館跡地に総同盟会館・全繊同盟会館(山口文像設計)が建設され、総同盟及び傘下の産別本部として利用された[7]。1964年12月総同盟会館・全繊同盟会館が取り壊され、地上9階地下2階建の友愛会館(大阪建築事務所設計)が建設された[5]同盟及び傘下の産別本部が入居し[10]、会議室・ホテル・結婚式場・レストランなども設けられた[5]。会館の運営は株式会社友愛会館が行い[11]、オフィスと会議室以外の運営は財団法人日本労働会館が行ったと思われる。ブログ「友愛労働歴史館の解説員便り」は、株式会社友愛会館と財団法人日本労働会館に分かれている理由を次のように説明している。

ところでなぜ営利を目的とする株式会社・友愛会館と、公益を追求する社団法人・日本労働会館という二本立ての経営が行われてきたのか、今でははっきりしません。しかし、友愛会館も三田会館も、その役員は何れもJAMを中心とする労働組合出身者が占めていますので、実態は同じようなものといえます。経営上の問題から営利事業と公益事業を使い分けてきたのでしょう。 — 「日本労働会館物語」第2回 友愛労働歴史館の解説員便り(2010年3月16日)

1977年3月友愛会館北側の駐車場跡地にホテル三田会館大建設計設計)を開業[5][10]。1982年「民主的な労使関係の確立を通して、産業・企業の発展をはかる」ことを目的として労使関係研究協会(労使研)を設立[12]。2006年友愛会館6階に友愛労働歴史館を開館[13]。2012年1月友愛会館とホテル三田会館の跡地に地上16階地下2階建の友愛会館安井建築設計事務所設計)が建設され[14]、ホテル三田会館、友愛労働歴史館を新装オープンした。

友誼団体[編集]

出典[編集]

  1. 労使研『情報』第50号PDF労使関係研究協会(2016年1月)
  2. ご案内 日本労働会館
  3. 一般財団法人日本労働会館定款PDF日本労働会館(2013年4月1日)
  4. プロフィール 日本労働会館
  5. a b c d e f g h i j 伊達美徳「日本労働運動の拠点の120年:J.コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い」まちもり通信YB版
  6. a b トップページ 日本労働会館
  7. a b c 渡辺悦次『財団法人日本労働会館60年史』日本労働会館、1991年。伊達美徳「1949総同盟会館・全繊同盟会館」まちもり通信YB版 から閲覧。
  8. a b 渡辺悦次『財団法人日本労働会館60年史』日本労働会館、1991年。伊達美徳「1936年 青雲荘アパート・友愛病院診療所」まちもり通信YB版 から閲覧。
  9. a b c 東京山の手大空襲で日本労働会館・友愛病院(現友愛会館)が焼失、5月23日! 日本労働会館(2019年5月23日)
  10. a b ユニテリアン教会・惟一館、日本労働会館について 友愛労働歴史館の解説員便り(2008年1月24日)
  11. 「日本労働会館物語」第2回 友愛労働歴史館の解説員便り(2010年3月16日)
  12. トップページ 労使関係研究協会
  13. 「労働友愛歴史館」が建て替えのため休館-2012年8月再開予定 品川経済新聞(2009年8月18日)
  14. 友愛会館・三田会館 安井建築設計事務所
  15. 2017年度労使関係研究協会事業計画PDF日本労働会館
  16. 2018年度労使関係研究協会事業計画PDF日本労働会館
  17. 2020年度労使関係研究協会事業計画PDF日本労働会館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]