大島清 (農業経済)

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大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 1984年5月15日)は、マルクス経済学者。法政大学名誉教授。専攻は農業経済学。

同姓同名で生年と出身大学も同じマルクス経済学者がいる(大島清。1913年12月9日 - 1994年10月8日。北海道出身。東京教育大学教授。金融論専攻)。

経歴[編集]

新潟市生まれ。旧制新潟高等学校時代に全学ストを指導して退学処分。中央大学専門部を経て[1]宇野弘蔵から『資本論』を学ぶため1937年東北帝国大学に入学。当時は講座派の理論に傾倒していた[2]。1938年に宇野弘蔵が人民戦線事件に連座して検挙されたことに伴い、斎藤晴造内藤知周らとともに検挙され、一年間停学[3][4]。1941年3月東北帝国大学法文学部経済学科卒業[1]。大学卒業後は満鉄調査部に勤務し[4]長春で敗戦を迎えた[1]。1947年農業復興会議調査部。1949年法政大学経済学部助教授[5]。同年9月大原社会問題研究所に入所[6]。1952年法政大学経済学部教授[5]。1960年「農産物価格と価値法則に関する研究」で経済学博士(法政大学)[5][7]。この間、法政大学大原社会問題研究所所長(1968-1970年、1974-1976年、1978-1980年)[6]経済理論学会代表幹事(1979年4月-1981年3月)を務めた[8]

1983年法政大学を定年退職し、同大学名誉教授[5]。法政大学大原社会問題研究所理事、兼担研究員を退任し、同研究所名誉研究員[6]。1984年5月15日、癌性腹膜炎のため死去、71歳[1]

人物[編集]

栗原百寿斎藤晴造は学生時代以来の共通の友人で生前もっとも交友が深かった[9]東北帝国大学法文学部経済学科の同年の入学者には内藤知周一柳茂次浅野正明鎌田正三中野正志賀金吾、同姓同名の大島清(小樽高商卒業)らがおり[3]、内藤、一柳、鎌田、中野、2人の大島らは傍系入学者(旧制高等学校卒業生ではない入学者)だった。傍系入学者の中に大島清が2人いたため、学生や教員は小樽高商卒業の大島を「北海道大島」、新潟高校中退の大島を「新潟大島」と呼んで区別したが、しばしば両者は間違われた[4]

大島清(新潟高校中退)によると、1937年に内藤ほか数人で半年ほど資本論研究会を開いた[3]。大島清(小樽高商卒業)によると、斎藤晴造、2人の大島清、鎌田正三、一柳茂次、志賀金吾、大友福夫、内藤知周らは下宿に集まって資本論について議論をする仲間だった[10]

1937年に有沢広巳が統計学の非常勤講師として集中講義に来たとき、向坂逸郎大森義太郎も仙台を訪れたため、宇野弘蔵との座談会を学生が主催したが、特高警察から革命運動に関係あるものとされ、宇野や斎藤晴造、内藤知周らとともに検挙された。停学処分を受けたが、不起訴となり復学した[4]。特高は学生間に共産党細胞を結成する準備活動をしていたと主張していた[3]

満鉄引揚げ組の岡崎次郎とともに久留間鮫造と宇野弘蔵を担ぎ『資本論辞典』(青木書店、1961年)を企画した[11]。60年代末から久留間鮫造の『マルクス経済学レキシコン』(大月書店、1968-85年)の編集に協力した[6]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『農業政策――文部省認可・通信教育1』(法政大学通信教育部、1950年)
  • 『農業問題序説』(時潮社、1952年、改訂第二版1953年、改訂版1955年)
  • 『米の経済学――食糧不安からの解放』(法政大学出版局[生活の経済学新書]、1953年)
  • 『日本の農業(上・下)』(理論社[私の大学・社会科学講座・日本の今日と明日]、1956年)
  • 『農地改革と農業問題』(日本評論新社、1958年)
  • 『日本農業問題概論』(時潮社、1960年、改訂版1965年)
  • 『資本と土地所有』(青木書店、1962年)
  • 『西方からの手紙――ヨーロッパ経済紀行』(御茶の水書房、1964年)
  • 『高野岩三郎伝』(大内兵衛森戸辰男久留間鮫造監修、岩波書店、1968年)
  • 『米と牛乳の経済学』(岩波書店[岩波新書]、1970年)
  • 『日本経済と農業問題――日本農業はこれでよいのか』(農山漁村文化協会、1972年)
  • 『大寨に学ぶもの――実感的中国レポート』(御茶の水書房、1974年)
  • 『人に志あり』(岩波書店、1974年)
  • 『農業論――農業政策』(法政大学出版局、1976年)
  • 『食糧と農業を考える』(岩波書店[岩波新書]、1981年)
  • 『標的を撃つ』(木村経済研究所、1983年)

共著[編集]

  • 『統一的労働運動の展望』(遠藤湘吉、舟橋尚道、大友福夫藤田若雄共著、労働法律旬報社、1952年)
  • 『牛乳の経済学』(柴山健太郎共著、法政大学出版局[生活の経済学新書]、1962年)
  • 『それでも農民は生きる――山下惣一との往復書簡集』(山下惣一共著、家の光協会、1977年)
  • 『土に立つ者は強し――山陰農民運動碑建設十周年記念誌』(足鹿覚共著、山陰農民運動碑建設十周年記念行事実行委員会、1982年)

編著[編集]

  • 『日本資本主義研究入門(全3巻)』(有沢広巳、宇佐美誠次郎、渡辺佐平共編、日本評論新社、1957年)
  • 『資本論講座(全7冊)』(遊部久蔵、大内力杉本俊朗玉野井芳郎、三宅義夫共編、青木書店、1963-64年)
  • 『講座現代日本の農業 第1巻 景気変動と農業』(編、御茶の水書房、1965年)
  • 『栗原百寿――その人と憶い出』(松井保男共編、栗原百寿追憶文集刊行会、1966年)
  • 『経済学の方法――末永茂喜教授還暦記念論文集』(玉野井芳郎、中野正、田中菊次共編、日本評論社、1968年)
  • 『現代婦人問題講座 3 農村婦人』(丸岡秀子共編、亜紀書房、1969年)
  • 『河上肇より櫛田民蔵への手紙』(河上肇著、大内兵衛共編、法政大学出版局、1974年)
  • 『米の生産調整――日本農業への衝撃』(編著、御茶の水書房、1975年)
  • 『日本農業年報 第26集 農業破壊への抵抗――農民運動の現状と問題点』(編集担当、御茶の水書房、1978年)
  • 『日本農業年報 第30集 基本法農政の総点検――二十年の総括』(編集担当、御茶の水書房、1980年)

訳書[編集]

  • マルクスエンゲルス著、R.L.ミーク編著『マルクス=エンゲルス マルサス批判』(時永淑共訳、法政大学出版局、1955年)
  • カール・マルクス『剰余価値学説史――『資本論』第4巻(全5巻)』(時永淑共訳、大月書店[国民文庫]、1963-66年)
  • J・ダンマン『経済発展と農業――資本主義と社会主義』(監訳、御茶の水書房、1978年)
  • 高野房太郎『明治日本労働通信――労働組合の誕生』(二村一夫共編訳、岩波書店[岩波文庫]、1997年)

監修[編集]

  • 農民運動史研究会編『日本農民運動史』(竹村奈良一、一柳茂次、山口武彦、遊上孝一共監修、東洋経済新報社、1961年)

出典[編集]

  1. a b c d 「大島清・森戸辰男両先生の死を悼む」『研究資料月報』308号、1984年7月
  2. 大島清「人間・宇野弘蔵」、宇野マリア編『思い草――宇野弘蔵追悼文集』宇野マリア、1979年
  3. a b c d 大島清「「老実」無比のダルマさん――学生時代の内藤知周」、労働運動研究所編『内藤知周著作集――日本社会主義革命の探求』亜紀書房、1977年
  4. a b c d 鎌田正三「回想・畏友 大島清君」『帝京経済学研究』28巻1号(通巻34号)、1994年12月
  5. a b c d 20世紀日本人名事典「大島 清」の解説 コトバンク
  6. a b c d 二村一夫、早川征一郎「大原社会問題研究所の80年PDF」『大原社会問題研究所雑誌』No.494・495、2000年2月
  7. CiNii 博士論文
  8. 歴代代表幹事 経済理論学会
  9. 栗原百寿著作集編集委員会編『栗原百寿著作集 10 哲学・思想・歴史論論集』校倉書房、1988年
  10. 大島清「斎藤君の想い出」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
  11. 杉原四郎「[資料紹介] 続 経済学者の追悼文集(七)」『關西大學經済論集』第45巻第1号、1995年5月

関連文献[編集]

  • 大島卓編『人生は旅 人は旅人――大島清追悼文集』(大島卓、1985年)
  • 日本歴史学会編『日本史研究者辞典』(吉川弘文館、1999年)
  • 大金義昭『風のなかのアリア――戦後農村女性史』(ドメス出版、2005年)