杉本俊朗
杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日[1] - 2012年9月27日[2])は、マルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。専門は国際経済学、経済書誌学[3]。
経歴[編集]
神戸市生まれ。1934年武蔵高等学校高等科文科乙類卒業。東京帝国大学経済学部に入学[1]。大内兵衛ゼミで学ぶ。東京学生消費組合赤門支部の委員として活動[4]。1937年に大学を卒業し、東洋経済新報社編集局に勤務[1]。1940年に東洋経済記者の禰屋不二夫が石橋湛山主幹の京城支局への転勤命令を断り、9月9日付で退社。同僚若手記者らは石橋のワンマンぶりに反発し、杉本俊朗、細野宰男(のち細野武男に改名)、遊部久蔵、中野正の4名が9月13日付で退社した(のちに国松藤一も退社。連袂退社事件。)[5]。1940年日本経済聯盟会対外事務局独逸経済研究部研究員。1941年同会改組により財団法人世界経済調査会独逸経済研究部研究員[1]。1942年4月に高校・大学の同期の宇佐美誠次郎、宇佐美の友人の戸谷敏之、および村野孝とともに「お前たちはミニ・コム=アカデミーだ,講座派のセカンド・ゼネレーションだ,山田盛太郎なんかの二代目だ」「日本の変革の理論的準備をしていた」として検挙された[4]。同年12月に起訴猶予で釈放され、保護観察処分を受けた[4][6]。
1948年4月世界経済調査会非常勤研究員。同年5月東京大学経済学部研究室内社会科学辞典編集委員会編集主任、日本評論社嘱託。1949年東海大学経文学部教授(兼務)。1951年3月に社会科学辞典編集委員会が解散するが、日評の嘱託は継続。同年11月横浜国立大学経済学部助教授[7]。1957年横浜国立大学経済学部教授[1]。1958-1960年東京大学社会科学研究所非常勤研究員[8]。1963年横浜国立大学附属図書館経済学部分館長。1964年横浜国立大学附属図書館長(1966年まで)。1976年定年退職、横浜商科大学教授[1]。1980年定年退職。
業績[編集]
旧制中学校時代に中国に関心を持ち、学生時代から中国問題などの論文を発表した[2][4]。東洋経済新報社入社後から戦後は金融問題などの研究論文やヘンリー・ソーントンの『紙券信用論』(渡邊佐平との共訳)の邦訳を発表した[2][4]。東洋経済の同僚だった遊部久蔵に豊田四郎を紹介され、豊田からゼミ生が訳したアメリカの土壌学者フランクリン・ハイラム・キングの『東亞四千年の農民』の改訳を依頼された。1941-42年に改訳したが、校正中に検挙されたため、1944年に刊行した[7]。宇佐美誠次郎の依頼で『日本資本主義講座 第4巻 戦後日本の政治と経済』(岩波書店、1954年)に「従属下の信用体制」(渡邊佐平、松成義衛との共著)を執筆した[4]。また飯田繁、岡橋保、麓健一、三宅義夫、渡邊佐平とともに信用理論研究会『講座信用理論体系(全4巻)』(日本評論社、1956年)の編集委員を務めた。
経済学関係の翻訳や辞典の編集・執筆を多数手がけた。横浜国立大学に就職する前後から大月書店版の『マルクス=エンゲルス選集』や『マルクス=エンゲルス全集』の翻訳に関わった[4]。『全集』の第1-19、21-25、29、37、39、41巻、補巻1、3の翻訳に加わり[1]、第8、12、22、23a、23b、24、25a、25b巻、補巻3では巻統一者を担当した[2]。また『リカードウ全集』の第5巻(議会の演説および証言)の監訳、第11巻(索引)の監修を担当した。辞典類では平凡社編『経済学事典』(平凡社、1954年)、資本論辞典編集委員会編『資本論辞典』(青木書店、1961年)などの編集を担当した[7]。
書誌学でも業績を残した[2]。1953年に経済資料協議会(1951年1月に経済調査資料協議会として設立。同年11月に改称。2008年10月に解散)の第6回総会にオブザーバーで出席し、次回の総会開催校を引き受けた。第7回総会で横浜国立大学国際経済研究所が協議会に入会した[6][9]。1956年の創刊時から『経済学文献季報』の編集幹事を務め、創刊号に「創刊のことば」を執筆した。新会則を定めた1968年から1978年まで初代会長を務めた[4]。
戦後、学会や研究会を組織したり、小椋広勝らと世界経済研究所の開設に協力したりした。民主主義科学者協会(民科)経済部会幹事として雑誌の編集もした[4]。1951年に創刊された日本経済学会連合の機関誌『日本経済学会連合ブレティン』の編集の実務を担当した[10]。18人の準備会世話人の1人として1959年の経済理論学会の設立に参加した[11]。
三宅晴輝著『インフレと財産税』(新生社、1946年)は杉本が全面的に代筆した[1][4]。
著書[編集]
編著[編集]
- 『資本論講座(全7冊)』(遊部久蔵、大内力、玉野井芳郎、大島清、三宅義夫共編、青木書店、1963-64年)
- 『マルクス経済学研究入門』(編、有斐閣[有斐閣双書]、1965年)
- 『年譜・著作目録』(脇村義太郎著、細谷新治、菊川秀男共編、脇村義太郎、製作:岩波ブックサービスセンター、1994年)
- 『わが故郷田辺と学問』(脇村義太郎著、細谷新治、菊川秀男共編、岩波書店、1998年)
訳書[編集]
- 太平洋問題調査會編『中國農村問題』(岩波書店[東亜研究叢書]、1940年)
- F・H・キング『東亞四千年の農民』(栗田書店、1944年)
- 『東アジア四千年の永続農業――中国、朝鮮、日本(上・下)』(農山漁村文化協会[図説・中国文化百華]、2009年)
- エドガア・スノウ『中國の赤い星(上)』(宇佐美誠次郎共訳、永美書房、1946年)
- ソーントン『ソーントン・紙券信用論』(渡邊佐平共訳、實業之日本社、1948年)
- ジョン・イートン『反ケインズ論』(佐藤金三郎共訳、新評論社、1952年)
- 新書判『反ケインズ論』(新評論社、1955年)
- N. マツケンジー『社會主義小史』(如水書房、1953年)
- H・クロード編『現代資本主義論』(岡崎次郎訳者代表、青木書店、1958年)
- マルクス『新訳 経済学批判』(大月書店[国民文庫]、1966年)
- デイヴィド・リカードウ著、P. スラッファ編、M.H.ドッブ協力『デイヴィド・リカードウ全集 第5巻 議会の演説および証言』(監訳、雄松堂書店、1978年)
監修[編集]
- デイヴィド・リカードウ著、P. スラッファ編、M.H.ドッブ協力『デイヴィド・リカードウ全集 第11巻 総索引』(堀経夫、中野正訳、雄松堂出版、1999年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h 「杉本俊朗先生略歴および著作目録(PDF)」『経済資料研究』第16巻、1983年6月
- ↑ a b c d e 千賀重義「追悼 杉本俊朗会員」『経済学史学会ニュース』第41号(PDF)2013年1月
- ↑ 東アジア四千年の永続農業〈上〉中国、朝鮮、日本 紀伊國屋書店
- ↑ a b c d e f g h i j 語り手:杉本俊朗、細谷新治、聞き手:細川元雄、渋田義行、宮地見記夫「経済学文献を語る~私と経済資料協議会の歩み~(PDF)」『経済資料研究』第16巻、1983年6月
- ↑ 細野雄三「父 細野武男のこと」『立命館百年史紀要』第11巻、2003年3月
- ↑ a b 杉本俊朗、細谷新治、聞き手:秋山敦恵、菊川秀男、松本脩作、櫻田忠衛、高橋宗生「協議会とともに歩んだ六十年―杉本俊朗・細谷新治両先生に聞く―(PDF)」『経済資料研究』第16巻、2008年10月
- ↑ a b c 語り手:杉本俊朗、聞き手:細谷新治、菊川秀男、程島俊介「経済学文献を語る(2・完)(PDF)」『経済資料研究』第16巻、1983年6月
- ↑ 東京大学社会科学研究所編『社会科学研究所の30年(PDF)』東京大学社会科学研究所、1977年
- ↑ 「経済資料協議会40年略史『経済資料協議会40年のあゆみ』より抜粋(PDF)」『経済資料研究』第25巻、1994年5月
- ↑ 黒沢清「日本経済学会連合の創立のころ」『日本経済学会連合ニュース 創立25周年記念特輯号』(PDF)1974年10月
- ↑ 「経済理論学会」『日本経済学会連合ニュース 創立25周年記念特輯号』(PDF)1974年10月