鎌田正三
鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月[1] - 1997年)は、マルクス経済学者。
経歴[編集]
北海道小樽市生まれ。1936年小樽高等商業学校卒業[1]。東北帝国大学法文学部経済学科に入学。経済学科の同年の入学者には内藤知周、一柳茂次、浅野正明、中野正、志賀金吾、大島清(新潟高校中退)、大島清(小樽高商卒業)らがいた[2]。斎藤晴造、2人の大島清、一柳茂次、志賀金吾、大友福夫、内藤知周らは下宿に集まって資本論について議論をする仲間だった[3]。宇野弘蔵[4]、末永茂喜[5]などから経済学を学ぶ。
1940年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。同じく小樽高商出身の大島清とともに財団法人三菱経済研究所に入所。1941年大島とともに財団法人東亜研究所に移り、新設の欧米部門のイギリス班に所属[1][6]。1946年東北大学法文学部経済学科助手。1948年北海道大学法文学部経済学科助教授。1957年北海道大学経済学部教授[1]。「アメリカの独占企業に関する研究」で経済学博士(東北大学)[7]。1961年ハーバード大学ビジネススクール客員研究員(期間1年、経済史)。1977年北海道大学名誉教授。札幌商科大学教授。1978年市邨学園大学教授。1980年帝京大学経済学部教授。1994年退職[1]。
人物[編集]
アメリカ独占企業の研究に従事した[8]。「経済学を社会科学として学ぶものは、経済学の範囲内にあるものは何でもやれるはずであり、またやれなければおかしい」という宇野弘蔵の持論が、北大に専門外の経営学担当者として赴任する決め手となった。経営学を使った特定の国の現状分析を志し、宇野が『経済政策論』下巻の執筆準備のために購入したアメリカ関係の資料が東北大学図書館にあることを宇野から知らされ、アメリカ金融資本の分析を行うことを決定した[4]。著書『アメリカの独占企業』(時潮社、1956年)は大野英二、戸原四郎、生川栄治、古賀英正などの研究とともに実証的な独占資本主義研究のすぐれた成果の一つであり[9]、戸原四郎『ドイツ金融資本の成立過程』(東京大学出版会、1960年)などとともに宇野理論の段階論としての帝国主義段階の研究の代表的な成果であるといわれる[10]。
北大のゼミ生に中村通義、坪谷二郎、森杲などがいる[11]。中村通義、森杲と共同で宇野弘蔵監修『講座 帝国主義の研究――両大戦間におけるその再編成 3 アメリカ資本主義』(青木書店、1973年)を執筆した。
著書[編集]
- 『アメリカの独占企業』(時潮社、1956年)
- 『アメリカ企業金融史』(御茶の水書房、1982年)
出典[編集]
- ↑ a b c d e 「鎌田正三先生年譜・著作目録」『帝京経済学研究』28巻1号(通巻34号)、1994年12月
- ↑ 大島清「「老実」無比のダルマさん――学生時代の内藤知周」、労働運動研究所編『内藤知周著作集――日本社会主義革命の探求』亜紀書房、1977年
- ↑ 大島清「斎藤君の想い出」、故斎藤晴造先生追想文集編集委員会編『紫煙珈琲――故斎藤晴造先生追想文集』故斎藤晴造先生追想文集編集委員会、1985年
- ↑ a b 鎌田正三「宇野弘蔵先生」、宇野マリア編『思い草――宇野弘蔵追悼文集』宇野マリア、1979年
- ↑ 玉野井芳郎、中野正、大島清、田中菊次編『経済学の方法――末永茂喜教授還暦記念論文集』日本評論社、1968年
- ↑ 鎌田正三「回想・畏友 大島清君」『帝京経済学研究』28巻1号(通巻34号)、1994年12月
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 大塚恒雄「鎌田正三先生の御退職に際しての辞」『帝京経済学研究』28巻1号(通巻34号)、1994年12月
- ↑ 北原勇「市場構造と価格支配――独占価格論序説」『経済学年報5』慶応義塾経済学会、1962年8月
- ↑ 大内秀明「宇野理論の遺産と継承――追悼・宇野弘蔵 」『現代の眼』1977年5月号
- ↑ 坪谷二郎「鎌田先生の想い出」『帝京経済学研究』28巻1号(通巻34号)、1994年12月