ダ埼玉

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東京がいないと何もできないくせに

 - ださいたま について、東京都民

田んぼも畑もなくて埼玉や神奈川の百姓が作ったものを食って生きてるくせに

 - 東京 について、ださいたま県民

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ダ埼玉(- さいたま)とは「ダサイ」と「埼玉」の合成語である。

概要[編集]

「埼玉はダサイ」よりも「ダサイ埼玉県」というニュアンスの言葉である。

北関東では最も発展した県である埼玉は、利根川の対岸のグンマー帝国民から見れば憧れの大都会なのである。群馬県民は「利根川を渡ってフライを食べに行きたいと」日夜願っているのである。

因みに埼玉県民は「利根川を渡って焼きまんじゅうを食いに行きたい」と願っている。

なお、「ダサイ」という言葉の語源が埼玉の「埼」だという説もある[要出典]

背景[編集]

かつて、埼玉県東京都、それに多摩川を越えた川崎市横浜市は、武蔵国として一つの令制国を形成していた。17世紀初め、江戸幕府が開かれると、埼玉県域には親藩譜代の小大名が置かれ、川越を筆頭に各所の城下町小江戸と称されて栄えた。

第二次世界大戦後、それまで農村地帯が多く、終戦直後は千葉県茨城県とともに買い出し客が多く、東京都区部周辺から押し寄せたと言われる埼玉県は、南東部を中心に、東京都区部の人口増加や地価高騰に伴いその郊外住宅地というイメージが強くなっている。

これらの地域は、政経両面で東京都区部との連関が強くなっており、「首都圏」という語が象徴するように、事実上「東京エリア」でもある。近年、国の(関東地方出先)行政機関が旧国鉄大宮操車場跡地(さいたま新都心)に一部移転しているが、その際の施設建設や開発も近年の先進建設技術で行われており、東京都区内の施設に比べて何ら遜色なく規模内容ともに充実している。

埼玉県内は荒川利根川等流域の稲作に適した平地と、関東ローム層に属し水はけが良くイモダイコンなど根菜類の畑作に適した台地秩父に近い丘陵地があり地域特性に差がある。東京多摩地域が未だに風景豊かな近郊の面影を残しているのと同様に埼玉県内も民俗学的に価値ある風物が残存している。

「ダ埼玉」なる俗表現も新旧各住民意識の葛藤の上に発生流布している。歴史的には律令制度下(荒川下流である)東京と一体を成していた豊かな農業地域がこうした捉え方をされるのは、明治以来の東京一極集中による急速な日本社会の近代工業化の負の側面を物語っている。日本社会の政治志向として、農村経済域では保守政治風土が幅を利かせている。埼玉も農業風土であり、古くからの土着住民保守政治の信奉者である。埼玉のみならず、同じく関東の農業地帯である群馬・茨城も全国有数の自民党王国として有名。

新たに住居を求めて転入した新住民は、東京の革新政治と異なる政治環境に疑問失望を抱き、地域に加え地域土着風土を揶揄する表現として使用したともいえる。

何故、埼玉はダサイという誤解が生じるのか[編集]

車・家屋・風景[編集]

運転免許を持っていない者が多い都民は彼女とデートするとき車が無いから電車を使う。埼玉では地下鉄が東京ほど多くなく、鉄道は市街地を避けて郊外に作られているので、電車の窓から見えるのは田んぼと畑だけであり田舎に見えてしまうようなのである。しかも、線路の近くは騒音があるため、宅地造成が後回しにされているのである。だから線路っキワぁ田んぼべえなんだ。わかるだんべえ

東京都民が埼玉方面に向かう電車に乗って窓から外を見ていると、駅に停まったときには「東京と変わらないなあ」と感じ、走り出すと「スゲー田舎だ」と感じるのは確かであろう。電車の窓から、農作業をしている老夫婦が見える。夫のほうは定年まで働いていた会社の名前が入った作業服と作業坊。夫の奥さんは麦わら帽子に娘が学校で着ていたジャージのお古。手には鎌。「東京から30分でこんな光景、信じられない」と思うがそれは一瞬である。近くの農道に軽トラが停まっているのが目に入ったときには「イイなあ。軽トラでもイイから俺も車が欲しい。軽トラでもイイから彼女とドライブに行きたい」と感じているのは想像にかたくない。

近年、農家の女性たちの間では、野良着の高級ブランドのらスタイルの野良着が流行っているので、幾らかカッコ良くなった。

埼玉県民は広い庭付きの家に住んでおり、車の2台や3台は無理なく置けるのである。更に、来客用の駐車スペースまであったりするのである。埼玉では車が一家に2台なんて平民であり、小金持ちの家には3台くらい車があるのが普通である。電車なんて貧乏人の乗り物というのが埼玉県民の感覚なのである。

高校進学[編集]

高校進学に向けては北辰テストを受けるのが埼玉の中学生の常識。
「東京は私立優位?」、埼玉の優等生は浦高、浦和一女、川高、川女、熊高、熊女など、公立別学高を受けるのが常識。ただし、東京都内の私立高校への越県通学を選ぶ生徒も多く、例えば開成高校は生徒の多数が埼玉県民(+千葉県民)で占められており、埼玉県一の名門高校とも言われている[1]

公共交通[編集]

ださいたま、いちいち、とっきゅうとまらない
 ださいたま、もちろん、きゅうこうとまらない
 ださいたま、かならず、とっかいとまらない
 ださいたま、ぜったい、つうかいとまらない
 ださいたま、けっきょく、かいそくとまらない

〜 ださいたまの鉄道 について、ウィキペディアン[1]
遠近分離の観点より、なにがなんでも速達タイプの列車は全て埼玉を通過させるべき、群馬、栃木方面からはノンストップで東京都内までダイヤを組むべきとの案もあった。

他県との比較[編集]

車に関しては群馬に負けている

群馬県は、お父さんはフォレスターに乗っており、お母さんはサンバーワゴンに乗り、息子はBRZで嫁には実家から持ってきたインプレッサがあるという世界である。しかも、納屋には寝たきりのお爺ちゃんが元気なときに乗っていた軽トラ営農サンバーとトラクターがあり、八十過ぎたお婆ちゃんはプレオを乗り回して老人仲間と遊び回っているという自動車帝国である。
全部スバルというのが変だが、群馬ではスバル車に乗らないと村八分にされるのである。

埼玉で走っている車は、特定の自動車メーカーに片寄っていない。

群馬県民にとって自動車は、通勤の足であり、野良仕事の相棒であり、老人の杖であり、嫁入り道具なのである。

神奈川との比較[編集]

神奈川県、特に横浜は国際貿易港として栄えた立派な港があり、料理も美味しく、都民も羨む素敵な町だが、平坦な土地が少なく、平坦な土地は全て市街地で、港から少し離れるといきなり山である。横浜には田畑なんて無いのである[2]

埼玉では市街地と山の間に田園地帯がある。荒川や利根川に沿って穀倉地帯が広がっている。

何故か東京都民は隣接する県に行くと市街地と田畑しか目に入らず、山は全く目に入らないようで、東京都民には山の麓の港町である神奈川県横浜市が、お洒落な大都会に見えてしまうようなのである。おそらく、トンネルに入ると、山越えではなく地下鉄に乗っている感覚なのだろう。とは言え、神奈川県でも市が尾や田奈は、東京からそう遠く無いのに田畑だらけであるが。

神奈川県で東京都民が行くところは(特に日帰りデートであれば)90パーセントが横浜なのである。山下公園港の見える丘公園に行って海を見ながら恋人同士でイチャイチャするのが東京都民の夢なのである。

横浜港を背景に彼女を見ると、いつもよりも美人に見えてしまう。これには理由がある。実は背景は全く関係ない。横浜でデートとなると、女どもは化粧に気合いが入ってしまうようなのである。

横浜は急な坂道ばかりで自転車通学の学生は「こんなところ人間の住むところではない」と思っているのである。だが高低差のある地形にも良い所がある。高台から街を見下ろすと美しい夜景が見える。「街の灯りがとても綺麗ねヨコハマ」と唄われる通りなのである。

だが、夜景の美しさばかり褒めていると彼女は不機嫌になってしまうので注意。彼女が不機嫌になる理由はお察しください。なお「夜景よりも君のほうが綺麗だよ」と言うと彼女は有頂天になる。

しかし、夜に歩き回ることは控えるべきである。横浜は平和な田舎などではなく山と入り組んだ都会であり、性犯罪が多いのである。知らない男に林に引きずり込まれないように気を付けなければいけない。性犯罪者が複数で現れたら彼氏だって逃げるかも知れないのである。こんなとき、彼氏なんて親父さん程は頼りにならないのである。

東京を挟んで両隣にある埼玉県民と神奈川県民は、互いをライバル視している。埼玉と神奈川はどちらが田舎か?という話になれば、どちらも一歩も後には退かないのである。特に役所関係者間の対立には凄まじいものがあるという。

カルト事情[編集]

埼玉に蔓延るカルトは顕正会

東京は何でもアリ

神奈川はエホ証

蔓延るカルトも神奈川は一流である。

脚注[編集]

  1. 東京の北の外れの荒川区という土地柄、東京の山手や多摩、神奈川県の住民はあまり行かない。
  2. ここでの横浜は、横浜市の中でもせいぜい中区・南区・神奈川区の海沿い程度の狭い地域を意味する。要するに、港と、港の裏の山々に挟まれた地域で、横浜市のごく一部にすぎない。現在の「横浜市」全体で見ると、緑区や泉区などを中心に田畑が多い。

関連項目[編集]