湘南 (地名)

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湘南とは、神奈川県南部太平洋沿岸の地域であり、風光明媚で全国的に有名な地域である。範囲は一定していない。詳しくは下記。

湘南の範囲[編集]

一般には藤沢市茅ヶ崎市平塚市、および鎌倉市を指すと思われている。しかし、実際には、このような意見もある。

小田原は湘南である」

かつての関東の雄、北条氏5代の本拠、小田原城を擁する小田原市がなんと宿場町風情に歩み寄っているのだ。特に相撲もとい相模ナンバーから湘南ナンバーが分立した際に小田原を中心とした西湘地域が湘南ナンバー入りに成功してからその傾向がある。
もろ手を挙げて大歓迎……のはずが、今のところ歓迎ムードは薄い。これで鎌倉幕府、前後北条氏上杉氏(上杉氏はもと扇ヶ谷上杉氏として、長く鎌倉に本拠をおいていた)まで擁する日本史上屈指の地域区分が誕生するはずなのだが。

寒川は湘南である」

寒川神社は相模国一の宮である。わざわざ湘南に入らなくとも十分やっていけると思う。
ただし、行政のほうは熱烈歓迎である。

大磯も湘南である」

吉田茂大隈重信伊藤博文といった錚錚たる面々も愛したあの大磯も湘南になるのか。ただし、そうなったらなったで麻生太郎河野太郎(平塚市が地盤)のダブル太郎の関係性が不安である。まあ、湘南の発祥はここだが。
一般的なイメージが、もっとも無難であろう。

葉山も湘南である」

これを聞いて、かなりの割合の藤沢・茅ヶ崎市民はなにやら申し訳なく思うだろう。あの葉山、昭和天皇の践祚の地、葉山御用邸のある葉山と同じ地域だといわれるのは、違和感というよりむしろ罪悪感を覚えさせるのだ。葉山様には、湘南なんて、もったいない限りにございます。
ただ、歴史的には、湘南電気鉄道が横須賀、逗子に通じたり、裕次郎さんの若き颯爽とした時期には、葉山を含めた横須賀・逗子地域が湘南の代表と見られた時代もありましたが。

伊勢原秦野も湘南である」

これはほぼ神奈川県庁の湘南地域県政総合センターが認定しているのみ丹沢山地の麓として、むしろ湘北に区分する方が望ましいかと

住民の意識[編集]

境界問題について以外は、住民の多くには確固たる「湘南アイデンティティー」は存在しない。だから境界問題などというものが発生するのである。

住民のアイデンティティー[編集]

藤沢市民は藤沢に、とくに鵠沼地域の住民は鵠沼に、茅ヶ崎市民は茅ヶ崎に、そしてもちろん鎌倉市民は鎌倉にアイデンティティーをもっている。平塚市にいたっては、首都圏という認識がない場合さえある。湘南にアイデンティティーをもつのは、いわゆる「イケイケ」の移住者やブランド好みの移住者といった、ごく一部の層だけで、こうした民は、真北の某学校法人が使った湘北という名称すら嫌悪する。

住民の湘南イメージ[編集]

なんかサーフィンやってそう。夏は海がうるさい。クルマにこだわる人も多い。ハワイに毎年行く人がたくさんいる。日焼け率、グラサン率が高い。若者はタピオカよりバイク。そして、石原良純長嶋一茂もそうだっけ(違うかも)。つるの剛士サザンオールスターズ中居正広もいたな。

こんな陳腐なイメージをもつ住民さえいる。

スポーツ[編集]

湘南ベルマーレといえば、小学生がサッカーを習う場所である。プロよりうちの子。なお、ファンもいることは言うまでもない。 高校野球は人気だが、野球名門は地域の異なる横浜高校東海大相模である。まあ、最近星槎国際湘南高校が強いからいいや。

教育[編集]

栄光学園をはじめ、男子の通える学校に湘南とつくことは少ない。なお、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスはあくまでSFCである。三浦瑠麗は湘南高校出身だが、知名度では埼玉出身SFC卒業の古市憲寿に一歩譲る。

外部からの湘南意識[編集]

漱石の時代以来、マスメディアの発達とともに、全国各地で愛郷心にまさる愛湘心が醸成されている。この語は英語でも、急進的愛国主義を表すChauvinism(ショービニズム)をもじってShonanismと呼ばれ、石原慎太郎の都知事就任時、一部で話題となった(訳ないです)。これに対し悲観的なものは、ショーナンハウエルと呼ばれている。

湘南イメージの弊害[編集]

海のほうがにぎやかなのはいいが、いかがわしい営業をする輩があまりに多い。昔は日本を代表する旅館街だったのに。

嫉妬されることがある。別に普通の人もたくさん住んでるよ。

ウィンドサーフィンもいいのだが、冬の寂れきった湘南海岸の風情に配慮していただきたい。

関連リンク[編集]