イスラム教
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イスラム教(いすらむきょう)は、「唯一絶対神であるアラー(「アッラー」「アッルラーフ」とも表記される)を崇拝する「一神教であり預言者ムハンマドによるコーランの教えを信じる宗教である」と誤解されがちである。
概要[編集]
「イスラム」の本義としては、「(神に)帰依する(者)」「信仰する」の意である。
「アラーの前にすべての人は平等である」と説かれており、「平和的であり穏健的であり非・暴力的な宗教でなければならない」はずである。キリスト教に次ぐ世界で2番目に多い宗教人口。世界三大宗教に数えられている。イスラム教徒は一般的にムスリムと呼ばれる。
いわゆるイスラム教は、イスラーム教とも表記されることがある。「宗教という意味合いの強い『教』を取り去って、『イスラム』『イスラーム』あるいは信仰している者を『ムスリム』と呼ぶべきだという声もある。じっさい、日本人で「何かの宗教を信じている」という人は四割に満たないが、初詣やクリスマスにおける人出を合計すると百パーセントを越える。「ひょっとしたら日本人はムスリムなのではないか?」と謂われると反論は難しい。いわゆるカトリックの宣教師が、「いままで出逢った人々のなかで、もっともキリスト教的な人々であるにもかかわらず、なぜ唯一絶対神であるヤハウェを信じないのか?」というので「日本語は、悪魔の言語である」と愚痴ったという話(都市伝説)がある。[注 1]
- スンナ - 信仰に基づく慣行に従う。九割ほどのムスリムはこちらだが、シーア政権下では肩身が狭いため、「シーア」を称する人もいる。ハマスはスンナを自称しているが、シーアであるイランから支援を受けており、レバノンとは反イスラエルで共闘している。
- シーア - 「同盟」「仲間」といった意味であり、教条主義的であり強硬である。
宗派[編集]
大多数(九割以上)であるスンナと教条主義のシーアに分類されるが、シーアの中にも派閥(派閥闘争)イスラム教の教義に対する解釈は異なっていおり、内ゲバ的な闘争もある[1][2]。
なお、すでに述べたようにイスラム教の宗派ではスンニ(スンナ派)が一番信者が多い[1][2]。
なお、イランやイラクではシーアが勢力を持っているとされるが、イラクでは自衛隊の給水車が「キャプテン翼」のラッピングをして駆けずりまわっていたことに対する批判はとくになかったという。[2]ムスリムの多く[注 2]はスンナである。[1]
世俗主義[編集]
トルコの建国の祖である「ケマル・アタチュルク」は敬虔なムスリムだが、「議会の設立と多党制」「政教分離」「アルファベットの導入」などを推進したので世俗主義者とされることもないではない。とはいえ世俗主義は「政治と宗教とは完全に分離されていなければならない」といったものでもなく、天皇陛下は国会の開会宣言を行い、公務として祭祀を行い、大師号を授与するなどしているので、政治と宗教のバランスは取れているように思う。
戒律・律法・習俗など[編集]
偶像崇拝[編集]
イスラム教では基本的に偶像崇拝を禁止している(「律に反するため罰せられる」とされる)が、ムハンマドは自身は単なる預言者であって、私を偶像化して崇拝したりしないように、と述べたことがシーアによって広まったらしい。一方で、「シーアは、預言者ムハンマドの偶像崇拝などは禁止されてはいるもののそこまで厳格ではない」と言われるのがよくわからない[注 3]。
スンナは、「クルアーン」の教えを厳格に適用して偶像崇拝を禁止して肖像画を掲示することは禁止されているという話もある。イラン・イスラム共和国では聖者(イマーム)の肖像が掲げられていたり、墓参りのようなことも行われている。このように、宗派によって偶像崇拝をどこまで厳格に適用するのかは「ばらつき」がある[注 4]。
飲酒[編集]
イスラム教徒であっても飲酒はするが、祭礼で酒が用いられることがないため、日本の花見のように「昼間がら酔態を晒す」とか、「礼拝に二日酔で出てくる」とかいった恥さらしな真似はするな、という戒めがある(当然だと思う)。酔って暴れるなどは論外である。酒は楽しく飲もう。
ムスリムの間では、近年では主にビールが愛好されるが、トルコには「ラク」という蒸留酒(水を入れると白く濁るため、「白濁酒」と云われる。北原白秋の『邪宗門』の「阿刺吉」はラクである)もあり、好まれる。
食に関するタブー[編集]
二種類ありそうに思う。「戒律に違反するから」という口実はあるが、「キモチワルイから」の場合と「苦手だから」の場合がある。
日本人であっても、「泥鰌の丸鍋はムリ」「とにかく甲殻類は無理」(精神科医の春日武彦さんがそう)という人はいるし、「美味いだろうしアレルギーもないけど、食って美味いと思ったことがない」という人もいる。
そういう意味では、食事に関しては「ムスリムかつスンナ」というのはあっていい立場ではあると思う。
歴史[編集]
ムハンマド[編集]
カーバ神殿での多神教が優勢であったメッカで西暦610年にムハンマドは神の啓示を受けたとした。彼はユダヤ教キリスト教の影響を受けつつ独自の宗教を設立した。少数による宗教であり、迫害を受けた。630年代には多数のイスラム教徒が集まることとなった。
スンナとシーアの関係[編集]
ムハンマドの死後は内紛も起こるようになっていく。4代目カリフとなったアリーに反発した勢力により、アリーは息子共々殺害される。
この事件によって4代目以降のカリフを認めるかどうかで対立があり、「アリーと子孫のみが指導者たりえる」と主張する一派(シーア)は、
シーアを認めないスンナに嫌われて袂を分かった。
カリフ乱立[編集]
スンナとシーアの決裂以降も、イスラム帝国の間では内紛が続いている。イスラム世界には、カリフを名乗るものが何人も乱立することがあった。
その一方でムスリムは増えており、東南アジアにおけるムスリムは中近東のムスリム人口を越えている。
スルターン[編集]
11世紀に小アジアなどを統一したセルジューク朝はカリフからスルターンの称号を授与された。スルターンはローマ教皇に対する皇帝、日本の天皇に対する征夷大将軍に例えられる。
イスラム教とキリスト教[編集]
- 聖典に聖書が含まれ、同じヤハウェを唯一神としているという共通点がある。しかし、イスラム教ではイエス・キリストをヤハウェの子として認めておらず、互いに相容れない存在とされている[3]。
- 「アブラハムの宗教」「砂漠の宗教」として一緒くたにされる事もある模様。しかし、イスラム教は禁酒だがキリスト教はワイン飲んでもOKだったりと、違いは多い。どちらかというとイスラム教の方が、厳しい砂漠の環境で生きるのには最適化されている感じはする。主にアラビア語圏の砂漠の民をターゲットにして与えられた宗教と考えられるかもしれない?となると、日本に観光に来てトンカツ食べるムスリムは、アッラーも別に大目に見るのかもしれない?
違い | イスラム教 | キリスト教 | 考えられる理由 |
---|---|---|---|
飲酒について | 禁酒らしい | 酩酊は禁止。一部禁止される状況あり | 砂漠での飲酒は水分を消耗し危険なため。また、酒の勢いで子供が作られすぎないようにするため(砂漠気候では多くの子供を育てるだけの余裕がない) |
一夫多妻制 | 公平に扱うという条件付きで許可[4] | 基本一夫一婦制 | 戦争により男性が激減した時でも、少ない男性で多くの女性を助けられるように(砂漠での寡婦の死亡率を考慮) |
聖典の翻訳 | 翻訳したコーランは聖典とはみなされない | 翻訳した聖書は聖典とはみなされない、なんて事は無い[注 5] | コーランの想定された読者がアラビア語圏内 |
女性の服装 | 全身を覆うような衣装が指定される[5] | 適度に慎み深く[6]。 | 砂漠の強い日差しからの保護。 男性が劣情を催して子供が作られすぎることを防ぐため(飲酒禁止と同じ理論) |
豚肉食べていい? | 「だめ?」という疑問もあるかもしれないが、「キモチワルイから食いたくない」はムスリムだったら通る。「私はムスリムだから牛骨魚介出汁と鶏チャーシューまたは鶏唐揚以外のものは食べることができない」というのは、世俗派のムスリムの言い分として十分に通る。ただし単なるラーメンマニア扱いされるかもしれないが。 | 別にOK、になった[7]。といっても過去には「金曜日には肉は食っちゃダメ」ということになっており、魚食が広まったというメリットもあった。 | 豚は雑食であり、大豆やトウモロコシなどの穀物を食べる。人と食物が競合するため? 衛生面での問題への対処? |
祈る方角 | メッカのマスジド・ハラームにあるカアバ指定(北緯21度25分21秒、東経39度49分34秒)[注 6] | 特に指定は無い[8]。 | 砂漠で迷う事の無いように |
分布[編集]
以下の地域で多数派。中世に、イスラム圏が科学技術面で先進国であったこともあり、広範囲に広がった。以下、イスラム教が広まった順に記す。
- サウジアラビア - 発祥の地
- イエメン、オマーン、アラブ首長国連邦、カタール、バーレーン、クウェート - 7世紀前半
- シリア、レバノン - 7世紀前半
- ヨルダン、パレスチナ - 7世紀前半
- エジプト - 7世紀前半
- イラク、アゼルバイジャン - 7世紀前半
- イラン、トルクメニスタン - 7世紀後半
- リビア - 7世紀後半
- アフガニスタン - 7世紀後半
- チュニジア - 7世紀後半
- アルジェリア、モロッコ - 8世紀前半
- タジキスタン - 8世紀前半
- パキスタン - 8世紀前半
- アフリカのサハラ砂漠周辺、東海岸
- トルコ、およびバルカン半島の一部(ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニア)
- 中央アジア
- パキスタン、バングラデシュ
- 東南アジアのインド洋沿岸(マレーシア、インドネシア)
ムスリムの人物[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ イエス・キリストは太陽神アポロンと習合されてローマ世界に受け入れられたという経緯があるので、アマテラスと習合すればよかったのではないかと思うのだが、このあたりが西欧的な男尊女卑思想の限界だったのかもしれない。マリア観音でも祀っておけば、踏絵だって踏み叩き壊せただろうに。
- ↑ 九十五%くらいはスンニであるが、これはあくまでムスリム全体のうちの人口比であり、いくつかの国家では、国内人口比としてはシーアが多数派である国もある(イランなd)。
- ↑ 宗派によって何が偶像崇拝になっているのか異なっているため、イスラム教全体で具体的に何が禁止という統一基準はない。佛教においても偶像崇拝は「戒」(「なるべくしないように」程度の意味)だったが、ギリシャ彫刻の影響もあったせいか、佛像は多数遺されている。
- ↑ 日本では「佛像」はあっても「神像」というものは(菅原道真公などを除けば)ほとんど見られないので、偶像崇拝は「禁止されているわけではないが、キモチワルイ」程度の扱いになっている。
- ↑ 『新約聖書』は元々ギリシャ語で書かれているが、中世ではラテン語版聖書(ウルガータ)がカトリックの標準とされていた時期もあり、そこんとこ割と自由である。
- ↑ 宇宙飛行士がイスラム教だったら、国際宇宙ステーションに滞在中には、祈る方角を毎回確認する必要ある?
出典[編集]
- ↑ a b c https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%8A%E6%B4%BE
- ↑ a b c https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE
- ↑ “ヨハネの第一の手紙(口語訳)2章22節”. ウィキソース (2019年3月25日). 2019年5月5日確認。
- ↑ Quran 4:3(jawp:婦人_(クルアーン)#章句の例)
- ↑ jawp:イスラム圏の女性の服装
- ↑ テモテへの第一の手紙(口語訳)2章9節
- ↑ 使徒行伝(口語訳)10章10節から16節
- ↑ 主の祈り