サウジアラビア

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国旗

サウジアラビア王国(サウジアラビアおうこく、Kingdom of SaudiArabia)は、西アジア中東君主国人口2002年の時点で2303万8000人。サウジアラビアとは「サウド家のアラビア地方」を意味する。

概要[編集]

面積は2,149,690km²。アラビアにおいては面積が最も広く、アラビア半島の中北部から南部まで幅が広い。首都はリヤドサウード家を国王としている絶対君主制を敷いている。公用語はアラビア語。

イラク共和国クウェート国シリア・アラブ共和国イエメン共和国オマーン国ヨルダン・ハシミテ王国アラブ首長国連邦カタール国と国境を接している。海とは、ペルシャ湾紅海で接している。紅海の対岸側にはエジプトスーダンエリトリアがある。

サウジアラビアに隣接する国
ヨルダン イラク
クウェート
イラン
バーレーン
エジプト サウジアラビア カタール
UAE
スーダン
エリトリア
イエメン オマーン

歴史[編集]

元々、この地はイスラム教の開祖であるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが現れて以来、イスラム帝国の中心地として繁栄した。後にオスマン朝の支配下にも入るが、1927年にサウド家のアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードがこの地を平定し、当初はヘジャズ=ネジド王国の名前で独立を宣言した。1932年9月23日に統一されて、サウード家を君主とするサウジアラビア王国に国名が改称され、成立した。

第2次世界大戦後は、多くの油田の開発を進めていき、世界最大の石油産出量を誇るまでになる。このことにより、国際影響力を行使していき、1970年代には石油輸出国機構(OPEC)と連携して石油危機を引き起こした。

国政に関しては祭政一致の絶対君主制であり、アラブ・イスラム世界の中では最も前近代的な国家と言われて議会も政党も明文化された憲法も存在しない。あるのはイスラム法であり、これに基づいて国王が統治している。しかし国内では民主化を求める動きもあり、1991年湾岸戦争を契機にして内閣諮問委員会を設置するなど、民主化改革も徐々にではあるが進められている。

2015年1月にアブドゥッラーが亡くなって、サルマンが第7代国王に即位[1]。王位継承順位第2位だったムクリン王子を皇太子に指名した。

地理[編集]

国土の多くは砂漠地帯である。特に北部のネフド砂漠、南部のルブアルハリ砂漠は多くを占めている。

多くの油田を抱えており、石油の産出量は世界一。またその潤沢なオイルマネーにより、医療教育に関しては無料とされている。

イスラム教の聖地メッカもサウジアラビアにあり、世界中から巡礼者が訪れる。

政治[編集]

サウード家によって、イスラム教ワッハーブ派に基づいた統治が行われている。

司法[編集]

裁判は、ワッハーブ派に基づいたアラビア語で行われる。被告が外国人労働者であっても、通訳を介さずに裁判が行われる。目撃証言などもイスラム教徒の男性がアラビア語でしたものしか認められないため、アラビア語を理解しない場合は、訳も分からずに判決を言い渡されてしまう。

東部にはシーア派の裁判所も存在はしているのだが、一部の案件しか裁くことを認められていない。

サウジアラビアにおいては、次のような独特の司法実例がある。そのため、諸外国からは批判されることが多い。

  • サウジアラビアでは名誉殺人を認めている。イスラム教から改宗しようとした家族を殺害した被告は無罪判決が下っている。
  • 金銭などで被害者が加害者を許すと罪に問われない(ディーヤ
  • 親の借金によって、10歳前後で結婚させられる少女がいる
  • 赤ん坊の世話をしているときに誤って器官を詰まらせてしまった過失致死で、殺人罪として死刑を執行される(加害者の少女は事件当時18歳未満だったと思われる)
  • 以前は女性が自動車を運転することを禁止していた。当然だが、イスラム教ができたころに自動車はなく、その後のイスラム教の教えでも女性の運転を禁止する教えはない

交通[編集]

サウジアラビアでは交通事故の死亡者は増加傾向にあり、2000年には3500人だった死亡者は2007年には6300人と激増し、交通事故総数が435,264件である。 交通事故による負傷者も過去10年間で30万人を越え2000人以上が重大な障害を負うなど、 交通事故は死亡理由、負傷理由の上位を占めている。 2000年には200億サウジ・リアルだった経済損失も2007年には3460億サウジ・リアルにまで増大している。 2000年から点数制度が導入され、取り締まりが強化されているが、事故、死傷者とも増加傾向にある。 若者の間では「サウジドリフト」と呼ばれる暴走運転が広く行われており、暴走族が社会問題化している。

広大な面積の国なのに、2009年時点で、旅客鉄道は1本しか無かった[2]。しかし、2018年にメディナ、ジッダ、メッカを結ぶ高速鉄道が開通し、ようやく電車の走る国となった。

大衆文化[編集]

近年のサウジアラビアでは宗教指導者層の見解と庶民の生活感覚の乖離が大きくなってきている。

1965年からテレビ放送が始まったが、宗教指導者がテレビに対して否定的見解を示しているため、現在でもアパートなどでテレビ不可を入居条件に明記している所がある。しかし、多くの市民は建物の隙間にアンテナを立てたり、近所からケーブルを引いたりしてこっそりと視聴していることが多く、表向きは否定されながらもテレビは広く民間に広まっている。娯楽番組の視聴には衛星放送が広く利用されており、同じアラビア語圏の番組が衛星放送を利用して視聴されている。

サウジアラビアではクリスマスやバレンタインデーなどのキリスト教など他の宗教に由来する祭日を祝うことが禁止されている。実際にバレンタインデー禁止のファトワーが出されており、バレンタインデーは非合法とされ勧善懲悪委員会による摘発も行われているが、庶民の多くはクリスマスやバレンタインデーを祝っており、クリスマスやバレンタインデーと無関係な商品だとする脱法行為に近い状態で商品販売も行われている。彼らはキリスト教を信仰しているわけではなく宗教観に無関係に祝う日本人の姿に近い。

法律で酒類全てが禁止されているにもかかわらず、一般人の飲酒は珍しくない。都市部では週末の夜になると酩酊者が路上などで倒れていることが多く、警察も日常茶飯事であるため逮捕というよりも酩酊者の保護に近い扱いになっており、飲酒罪についても刑事罰の罰金というよりも酩酊者保護費用の請求のような感覚になっている。酔って暴れたなどの問題が生じた場合は鞭打ち刑になる場合があるが、重罪になることはまれである。

バーレーンなどの周辺諸国からの酒類の輸入(建前上は密輸になる)や、国内にいる飲酒を違法とされない異教徒による酒の製造などが行われている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

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