ムスリム
ムスリムは「信仰する人々」「信心深い人々」を指し、イスラム教の信徒とされる人々である。
概要[編集]
ムスリムの大多数はスンナといわれる社会的な習俗・習慣を尊重し、かつアラーを念頭に置いて行動する人である。
イスラム教が東アジアに広まることでムスリム人口は増加しているが、ムスリム自身の生活習慣とともに所属しているコミュニティの生活習慣の両方を尊重するため、本人が開示しなければムスリムとはほとんど気づかれない。
習俗[編集]
祭祀関係の習俗をきっちり守る点で、「イスラムの氏子」くらいに思っておくといい。ただし日本にはイスラムの礼拝所・集会場はまだ少ないので、ムスリムのコミュニティを維持するのに困るという。
あくまで全体的な印象でありシーアには適用しづらいが、宗旨にこだわらない「てーげー」な印象がある。「ムスリムのIBM」という言葉があり、
- インシャラー
- ブクラ
- マレーシュ
が定番である。
「インシャラー」は「アラーが望めば」の意で「たぶん」、「ブクラ」は本来は「明日」の意だが「そのうちに」、「マレーシュ」は「何もない」の意で「どうってことはないよ」「どうってことはないだろう?」を意味して福島の「なんくるない」に近い。
「アッラーフ・アクバル」は「アラーは偉大なり」も定番ゼリフである、「やったぜ!」的な用法をされる。「アラーの他に神なく、力なし!」も定番ゼリフである。
挨拶としては、「平穏」「平安」「平和」を意味する「シャローム」が使われ、「シャロム・アレイクム」と挨拶されて「アレイカム・アッサラーム」と平然と応えたりするとニヤリとされたりする。「アンニョンハシムニカー」「アンニョンハセヨー」みたいなものである。
いわゆる「ピースサイン」もあるが、ウィンストン・チャーチルが「勝利」を表す「Vサイン」としての意味で使ってから、面識のないムスリムには使いづらい。
金銭については、日本の「町会」(古くは「頼母子講」)に近い組織(NPO団体にあたるが、とくに届出などは不要)があることもあり、義捐金・喜捨・献金なども受け入れているが、イスラム法の「二十分の一税」から「可処分所得の5%以内」という目安がある。「バクシーシ」という「富める者は貧しき者に施す」という考えがあり、「アラーの采配によって豊かになったんだから、ムスリム社会に還元するのは当然だろう」という話になる。日本では生活保護者を「ナマポ」と呼んで批難する人々やブラック企業の経営者らもいるが、そうした連中にはお天道様とアラーの両方から天罰を受けてほしいと切に思う。ただし、いまのところ「日本の『天』と『ヤハウェ』と『アラー』は同一のものである」といった思想はムスリムには興っていないようである。