リビア
リビア国(State of Libya)、通称リビア(Libya)とは、北アフリカに位置する国である。東はエジプト、南東はスーダン、北西はチュニジア、西はアルジェリア、南はチャドとニジェールと国境を接する。北部は地中海に面し、国土の95パーセントが砂漠で占められている。国土面積は175万7000平方キロメートル。人口は2002年時点で681万1000人。首都はトリポリ。公用語:アラビア語。
リビアは石油が豊富であり、古くから油田開発が進められ、外国資本の石油会社を接取して国有化、輸出の大部分を占める。
概要[編集]
カルタゴ、ローマ、イスラムなど周辺の強大国に常に支配下に置かれ、その属領となる。16世紀からはオスマン朝(オスマン・トルコ)の支配下に置かれ、1912年からはイタリア王国に支配される。1951年にトリポリタニア、キレナイカ、フェザンからなる連合王国として独立するが、1969年にムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)による軍事クーデターが発生して王政は廃止され、共和制に移行する。1977年に直接民主制による国家改革制度のジャマヒリヤを導入し、これによりカダフィによる独裁体制が確立する。
リビア自体は厳しい気候条件にあるが、1959年に発見された油田によるオイルマネーによってアフリカでは最高レベルの所得水準を誇っている。急進的なアラブ民族主義を掲げて社会からの女性の隔絶やアルコールの販売禁止、外国文字の追放などイスラムの戒律に厳しい国家であり、一時はアメリカからテロ支援国家にも指定されたことがあった。このため、カダフィは国際社会との関係修復にも努めた。しかし2011年、カダフィ打倒を旗印にしたリビア国民評議会とカダフィ政権側の間で内戦が勃発した。一時期はカダフィ政権側が評議会側の拠点だったベンガジ進攻寸前まで至ったが、NATO(北大西洋条約機構)などから軍事的な支援を受けた評議会軍が同年8月23日に首都トリポリを制圧。10月20日にカダフィがスルトで殺害され、42年間続いたカダフィ政権は崩壊した。
国旗[編集]
リビア王国(1951-1969)
リビア・アラブ共和国(1969-1972)
大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(1977-2011)
外部リンク[編集]
- リビア政府
- 日本政府