米騒動

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米騒動 (こめそうどう)は大正時代の富山県の主婦一揆を端緒とし、大日本帝国で発生した全国規模の百姓一揆打ち壊しである。

経緯[編集]

第一次世界大戦で多くの成金が登場し、大金を米相場に投資した。折しもシベリア出兵によって大量の米が必要になり、の価格は上昇していった。これによって都市住民は米の高価格に苦しんだ。
富山県富山湾沿いの各地の町村では住民と商人との間で衝突が起きた。米を売れと迫る住民に対して商人は米がないと言い、警察官が出動するなど一触即発の事態が各地で起きた。そして、魚津町で船で積み出す米を標的に主婦層による一揆が勃発し、これを高岡新報が「女軍米屋を襲ふ」、「越中富山の女一揆」と書いたことから瞬く間に全国に騒動が波及した。

暴動に発展[編集]

日比谷公園鶴舞公園では数千人が参加する集会となり、飛び入りの演説が行われるなど不穏な状態となった。こういった集会を書いた新聞検閲によって記事が削除されたが、人の口に戸を立てることはできず、噂が噂を呼び、噂に尾鰭が付いていった。都市部ではストライキが、農村部では小作争議が頻発した。
やがて実力行使が始まった。鈴木商店焼き討ちにあったほか多くの都市で打ち壊しがあった。このために警察が出動し、さらには大日本帝国陸軍が出動した。これによって多数の逮捕者が出たが、この中には多数の被差別部落出身者がいたので、政府もこれに対する対策をする一方、全国水平社を組織するきっかけとなった面もある。さらに軍の発砲によって死者も出た。特定の指導者がいなかったにもかかわらず、全国規模の暴動に発展したのには政府や社会への不平不満があったと考えられる。米騒動は賃金の上昇に伴って終息していったが、政府が貧困対策、物価高騰に対して改善を行うきっかけとなった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]