順性院

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順性院(じゅんしょういん、? - 天和3年7月29日1683年9月19日))は、江戸時代前期の女性江戸幕府の第3代将軍徳川家光側室。甲府宰相・徳川綱重の生母で、第6代将軍・徳川家宣の祖母。通称はお夏[1]

生涯[編集]

父は岡部重家で3女。京都で生まれる。生年については元和8年(1622年)、あるいは慶長19年(1614年)の2説がある。家光の側室になった経緯も、元和9年(1623年)に10歳で正室鷹司孝子に従って江戸城西の丸に入り、浴室に伺候していた際に家光の手が付いたという説と、寛永8年(1631年)に10歳で大奥へ奉公し、家光の寵を受けたとする説がある[1]

寛永21年(1644年)5月24日、家光にとって3男となる長松(後の徳川綱重)を産んだ。慶安4年(1651年)に家光が死去すると落飾し、順性院と号した[1]。その後、息子の綱重は甲府藩主に栄進し、第4代将軍で長兄の徳川家綱嗣子が無かったことから、綱重は家綱の後継者に目されていたが、家綱より先に若死してしまう。綱重の跡はその嫡子で順性院にとっては孫に当たる綱豊(家宣)が継承し、順性院は若年の綱豊を後見した。

天和3年(1683年)7月29日、桜田屋敷において没した。享年70あるいは62。法名は順性院妙善日円大姉。浅草の幸竜寺に葬られたが、この寺は昭和2年(1927年)に世田谷に移ったので改葬され、その3年後に谷中の徳川墓地に改葬されている[1]

順性院が登場する作品[編集]

漫画
テレビドラマ

脚注[編集]

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  1. a b c d 卜部「江戸城大奥の女たち」P186

参考文献[編集]