長坂聰
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長坂 聰(ながさか さとし、1925年 - )は、マルクス経済学者。
経歴[編集]
中国・上海市生まれ[1]。1944年都立高等学校文科乙類卒業。1950年東京大学経済学部卒業。同年経済学部大学院中退。東京大学社会科学研究所助手。1956年東京教育大学文学部講師、1957年助教授、1976年教授。大学院を兼担。1978年辞任。1979年大分大学経済学部教授[2]。1985-87年大分大学附属図書館22代館長[3]。1989年停年退職。名城大学短期大学部商経科教授。1997年退職[2]。
人物[編集]
宇野派のマルクス経済学者[4]。大学在学中、肺結核が悪化する前は大河内一男のもとで学んでいた。2年近くの病臥中に治ったら『資本論』を最初から学び直したいと思い、高校時代の級友である近江谷左馬之介の手引きで学外の向坂寺子屋と学内の鈴木鴻一郎の演習に参加した[5]。その後、宇野弘蔵の助手を務め、のちに社会主義協会の中心的論客となった[6]。1982年11月に福田豊と鎌倉孝夫が『現代資本主義と社会主義像』(河出書房新社)を刊行して協会を批判し、協会の活動家グループから強い批判を浴びたことがきっかけで、1984年3月に福田豊、鎌倉孝夫、御園生等、原田溥、諫山正、田中慎一郎とともに協会の理論研究部会の運営委員を辞任した[7]。
2006年8月に『長坂聰の思い出集』(長坂聰先生の思い出集刊行委員会編集、非売品)が刊行された[6]。
著書[編集]
単著[編集]
共編著[編集]
- 『独占資本と呼ばれるもの』(岡崎三郎共著、労働大学通信教育部[労働大学通信教育講座]、1961年)
- 『日本帝国主義と教育労働者』(福田豊共著、ありえす書房、1975年)
- 『日本労働者運動史 6 反独占国民春闘の発展』(坂本秀行共編、河出書房新社、1975年)
訳書[編集]
- 『マルクス・エンゲルス選集 第9巻 ゴータ綱領批判、家族、私有財産と国家の起原』(岡崎三郎、佐藤進、都留大治郎、近江谷左馬之介共訳、新潮社、1956年)
- 『マルクス・エンゲルス選集 第10巻 フランスの内乱、ドイツ農民戦争』(山川均、藤原浩、戸原四郎共訳、新潮社、1956年)
- E.プライザー『資本主義の将来――新自由主義の理念と政策』(佐藤進共訳、至誠堂[現代人叢書]、1959年)
- ヴァルター・ヴィクトル『マルクス・エンゲルス小伝』(小島恒久、原田溥共訳、労働大学[労大新書]、1966年)
- ジュリオ・ピエトラネラ『ヒルファディングと現代』(河野裕康共訳、ありえす書房、1980年)
- O.ヤイデルス『ドイツ大銀行の産業支配』(勁草書房、1984年)
- F・エンゲルス『フォイエルバハ論』(藤井啓司共訳、労働大学[古典シリーズ]、1992年)
- K.マルクス『賃労働と資本』(労働大学[古典シリーズ]、1993年)
- ヴォルフガング・グラッツァー、ハインツ-ヘルベルト・ノル編『統一ドイツの生活実態――不均衡は均衡するのか』(近江谷左馬之介共訳、勁草書房、1994年)
- ツヴァイク『ツヴァイク短篇小説集』(平原社、2001年)
出典[編集]
- ↑ ツヴァイク短篇小説集 紀伊國屋書店
- ↑ a b 「長坂聰教授略歴・研究業績目録」『名城商学』第46巻第4号、1997年3月
- ↑ 歴代館長等 大分大学学術情報拠点
- ↑ 早坂啓造「国家独占資本主義と恐慌――大内力氏の所説の検討を中心として」『アルテス リベラレス』第14号、1974年7月
- ↑ 長坂聰「一途の人――鈴木鴻一郎先生を悼む」『社会主義』第212号、1983年6月
- ↑ a b 杉山清「研究者への軌跡の一省察:法政大学社会学部から同大学院までの経緯の寸描(PDF)」『名城論叢』第19巻第4号、2019年3月
- ↑ 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1984年版』日本社会党中央本部機関紙局、1984年