対馬丸事件は、太平洋戦争中に長崎へ向け那覇を出港した貨物船対馬丸が、連合国のアメリカの潜水艦「ボーフィン」の魚雷攻撃によって撃沈された事件。
沈んだ日付は1944年8月22日、場所は悪石島付近とされている。対馬丸は学童疎開船として他の疎開船とともに船団護衛を受けていた。疎開のため乗船していた国民学校生徒の多くが命を落とした。
潜水艦の危険性は知っていたが安全より速さを優先し、ジグザグに進路を進む対策を取らず、直線のコースを選んだ事が潜水艦による雷撃を招いたとされる。