熊ノ平駅
くまのたいら
Kumanotaira
廃止後の熊ノ平駅構内の様子 | |
所属事業者 | 日本国有鉄道・東日本旅客鉄道 |
路線 | 信越本線 |
前後駅 | 横川 << 熊ノ平 >> 軽井沢 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業 | 1893年4月1日 |
廃止 | 1997年10月1日 |
所在地 | 群馬県碓氷郡松井田町大字坂本(現安中市松井田町坂本) |
電報略号 | クタ |
備考 | 1906年に駅に昇格、1966年に信号場に降格 |
熊ノ平駅(くまのたいらえき)とは、群馬県安中市松井田町にある信越本線にあった鉄道駅・信号所である。
概要[編集]
信越本線最大の難所であった碓氷峠、その中で唯一平坦な地だった熊ノ平に信号場が設置され、後に駅に昇格して、アプト式廃止まで常設駅だった。
かつては真ん中に通過線があったが太平洋戦争後に撤去された。
編成の長大化は行き止まり側線入線で対応し、列車交換後にバッグしてから出発した。
最末期は信号場とはいえ複線であり、勾配区間の逸走対策のための、ただの閉塞境界という印象が大きい。
上り線の横川方には保線車両を留置するための引き上げ線があり、軽井沢方に片渡線があった[注 1]。
アプト式時代から廃線まで使用された熊ノ平変電所が併設されていた。大正12年から使用されている、歴史深い変電所である。
歴史[編集]
- 1893年(明治26年)4月1日:信越本線横川 - 軽井沢間が開通し、熊ノ平信号場(くまのたいらしんごうじょう)が、給水給炭所として設置[1]。
- 1901年(明治34年)7月13日:矢ヶ崎信号場付近で碓氷峠列車逆走事故。
- 1906年(明治39年)10月1日:鉄道駅に昇格[1]。
- 1918年(大正7年)3月7日:駅構内で脱線事故が発生(後述)。
- 1937年(昭和12年)7月:熊ノ平変電所が設けられる。
- 同変電所は、アプト式廃止後も改修されて横川 - 軽井沢間の廃線まで使用された。
- 1950年(昭和25年)6月9日:駅構内で土砂崩れが発生(後述)。
- 1966年(昭和41年)2月1日:信号場に降格[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承[1]。
- 1997年(平成9年)9月30日:北陸新幹線(高崎駅 - 長野駅間)先行開通に伴い、信越本線横川 - 軽井沢間廃線と共に廃止[1]。
- 2015年(平成24年)アプトの道の終点になる。
- 2018年(平成30年)8月17日:旧熊ノ平変電所本屋が重要文化財「旧碓氷峠鉄道施設」に指定される[2]。
- 2025年(令和7年)予定 とうげの湯~当駅間でED42を模したレールカートを運転開始予定
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配線の変異[編集]
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事故[編集]
構内列車脱線事故(1918年)[編集]
1918年(大正7年)3月7日、横川から軽井沢方向に登っていた貨第191列車(10000形電気機関車2両+貨車10両+有蓋緩急車1両)の本務機関士が、第20号トンネル通過中に異臭・異音を感じ緊急停車した。故障は軽微であったことから運行継続を決断し、再発車しようとしたが起動せず、碓氷峠の急勾配を退行し始めた。機関士は制動を試みたが発電ブレーキが故障して効かず、10箇所のトンネルを通過暴走して熊ノ平駅の引込線に突っ込み、第10号トンネル終点側出口壁に衝突した。列車は転覆して大破、これにより歯車緩急車の運転助士、前部車掌の乗務員2名、熊ノ平駅転轍手1名の計3名が即死、本務機機関士1名が重傷後死亡で計4名が犠牲となり、その他4名が負傷した。
列車の牽引機であった10000形電気機関車はドイツから輸入した日本国内における黎明期の電気機関車であり、当時から故障が頻発していた中での惨事だった。
詳細は「信越本線熊ノ平駅列車脱線事故」を参照
大規模崩落事故(1950年)[編集]
1950年(昭和25年)6月は碓氷峠周辺で降雨が続き、上旬だけで軽井沢測候所で150ミリメートルもの雨量が観測された。そのような中、6月8日の午後8時半頃に熊ノ平駅構内の第10号トンネル北側で約3,000立方メートルの土砂が崩壊して本線・突込線が埋没した。
この時点で人的被害はなく、作業員を160人による復旧作業が開始された[3]。しかしながら含水量が多いことなどから作業が難航した上、翌6月9日午前6時6分頃にその上方で7,000立方メートルほどの崩落が発生。 駅舎と鉄道公舎8棟が倒壊、駅長を含む関係者約80人が生き埋めとなった。最終的に死者56人、重傷24人[4]。
その後、手作業での救出作業が行なわれたが、6月11日午後11時半頃に3回目、6月12日午前7時24分に4回目の崩落がそれぞれ起きた。線路は延長70メートルにわたって幅60メートル、深さ2メートルの土砂が堆積した。6月22日までに駅長を始めとした遺体はすべてが回収され、信越本線は6月20日に開通、6月23日に完全復旧した。
同年には飯田線でもトンネル崩落が起きており、国鉄がローカル線の保守を軽視しているという意見も出た。一周忌にあたる1951年(昭和26年)6月9日におよび同職員寄付で「熊ノ平殉難碑」が建立された。
熊ノ平神社[編集]
いつできたかは定かではないが熊ノ平駅の構内にある神社、祭神は稲荷大神・宇佐八幡大神と大山祇大神(公式看板の表記に習った)。今でもJR一之宮で置かれている鳥居はJR東日本高崎支社から令和5年に奉納された物である。なお神職はおらず、ご用がある際は碓氷峠熊野神社に向かう必要がある。なお神札やステッカーがある模様。
画像一覧[編集]
駅周辺[編集]
駅周辺には国道13号線(旧道)の熊ノ平駐車場を除き何もない、2024年1月20日現在、軽井沢方面へは通行止めとなっている。(土砂崩れの影響、3月いっぱいは続く模様)
- 碓氷第十三橋梁(通行止めで現在行くことはできない)
- JRバス関東熊ノ平バス停(現在運行停止中)
脚注[編集]
- ↑ ちなみに多分保線車両用だったと思うが何故か電化されているうえ横取ではない
出典[編集]
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