東京外環状線
東京外環状線(とうきょうそとかんじょうせん)は、山手貨物線の外側20 km圏において、東海道本線・中央本線・東北本線・常磐線・総武本線の放射5幹線を環状に接続するために計画・建設された日本国有鉄道の鉄道路線。
当初は蘇我 - 木更津間以外は国鉄線として計画され、工事凍結等を経て京葉臨海鉄道の北袖分岐点 - 木更津駅間を除いて全線が開業している。
路線概要[編集]
東京外環状線は、東京近郊を取り囲むようなルートをとる武蔵野線・小金線と、東京湾を取り囲む京葉線の3路線で形成される。JR東日本が保有する現在の武蔵野線や京葉線のルートとは必ずしも一致しない。建設時の詳細ルートは次の通りである。
東京外環状線における武蔵野線
- 常磐線に新設する北馬橋駅から南浦和駅・西国分寺駅を経て品鶴線の新鶴見信号場に至る路線。
- 東線(北馬橋 - 西浦和間)、西線(西浦和 - 多摩川間)、南線(多摩川 - 新鶴見間)の3区間から成り立つが、これらは現在の武蔵野線新松戸 - 西浦和 - 府中本町駅 、武蔵野南線府中本町駅 - 新鶴見信号場間にあたる。
東京外環状線における小金線
東京外環状線における京葉線
- 川崎市の川崎貨物駅から東京湾沿いに千葉県木更津に至る鉄道。
- 現在の東海道貨物線川崎貨物駅 - 東京貨物ターミナル駅間、東京臨海高速鉄道りんかい線八潮検車区(東臨運輸区) - 新木場間、京葉線新木場 - 蘇我間、京葉臨海鉄道蘇我 - 木更津間に相当する。
建設の経緯[編集]
戦後日本の高度経済成長に伴い、日本における貨物輸送量は激増していた。その中で、東京都心を貫く、あるいは起点とする貨物線の輸送力は山手貨物線、品鶴線を中心に限界に達していたり、越中島貨物駅や総武本線方面からの貨物は東海道本線方面との間で輸送される時に何度も折り返し運転が必要だったり、大きな迂回経路を走行する必要があったり、通勤電車と線路を共用していて線路容量が限界に達していたり、などといくつもの問題を抱えていた。
- 当時の主な貨物線
- 東海道貨物線(旧): 汐留駅 - 品川駅 - (品鶴線経由) - 新鶴見操車場 - 鶴見駅 - 横浜駅 - 大船駅(鶴見、横浜、大船は通過、旅客線と並行)
- 山手貨物線 : 田端操車場 - (山手線(池袋・新宿経由)と並行) - 大崎駅 - (大崎支線を経由) - 蛇窪信号場
- 東北貨物線 : 隅田川駅 - 田端操車場 - 大宮操車場
- 新金線 : 総武本線新小岩操車場 - 常磐線金町駅
それに加えて、東海道の鉄道貨物輸送の拠点だった汐留駅も東海道新幹線に土地を取られた事もあり、輸送力の限界が近づいていたことから、当時の日本国有鉄道は新たな貨物線の建設と汐留駅の機能移転を計画した。そこでこうした問題を解決する方策として東京湾岸貨物線の計画が立てられた。
計画の変更[編集]
1960年代の構想では塩浜操車場(川崎貨物駅) - 大井(東京貨物ターミナル駅) - 芝浦 - 越中島 - 葛南操車場(武蔵野線と京葉線の合流点に作られる予定だった操車場で今の市川塩浜駅付近) - 蘇我駅 - 姉ヶ崎駅 - 木更津駅を結ぶことになっていた。 東京港地区では、東京都港湾局晴海線から分岐して月島を経由し、築地市場の脇から汐留駅へ抜ける月島線の計画があった。これは東海道本線と豊洲・晴海方面の連絡を図ると共に、京浜工業地帯と京葉工業地域を結ぶ物流の大動脈となることも意図していた。 都心部を貨物列車が通過しなくても済むようにする目的では、湾岸の貨物線を含む東京外環状線の建設計画が進められ、実際に武蔵野線や東京貨物ターミナル駅などが完成した。このほか、京葉線の途中駅として予定された有明(今の国際展示場駅)では貨物駅と臨港線も計画されていた。
しかし高速道路の整備などでモータリゼーションが進行し、また国鉄に対する信頼の低下に伴い、1970年以降、鉄道貨物輸送は減少の一途をたどっていた。そこで国鉄側は沿線住民を重視すると方針を転換し、貨物専用線として計画された東京外環状線の一部区間について、都市間の旅客輸送の便を考慮し旅客化することとした。それが現在の武蔵野線府中本町駅 - 西船橋駅間と京葉線新木場 - 蘇我間である。 現在の京葉線沿線の広大な埋立地はそもそも工業用地として造成されたが、石油危機以降の重化学工業関連の産業の衰退に伴い、一部を除いてやむなく住宅用地に計画変更された。のちにこの変更された計画は、ウォーターフロントとして脚光を浴びることになった。
京葉線は千葉県知事からの要請もあって、旅客化に伴い新木場以西を大井方面から、成田新幹線工事跡を活用して東京駅にルート変更し、計画変更までに建設が進められた新木場-東京貨物ターミナル間の高架・トンネルは未成線として長期間放置されたが、1996年に開催予定であった世界都市博覧会に向けた輸送手段として注目され、その施設を活用し東京臨海高速鉄道りんかい線として新木場駅から東京テレポート駅間が、2001年に天王洲アイルまで開通した際に、東京貨物ターミナル方面のトンネルも回送線として開業した。
歴史[編集]
- 1973年4月1日 武蔵野線 府中本町 - 新松戸開業、このうち北府中 - 新松戸及び貨物支線にて貨物営業。同時に、新座貨物ターミナル駅、越谷貨物ターミナル駅開業。
- 10月1日 品川 - 東京貨物ターミナル駅 - 塩浜操車場開業。
- 1974年10月1日 武蔵野操車場開業、当時最新鋭のコンピューターシステムを備えたハンプヤード式の操車場だった。
- 1975年5月10日 京葉線 千葉貨物ターミナル駅 - 蘇我開業。うち蘇我付近の線路は川崎製鉄千葉製鉄所の専用線を借用(後に国鉄専用の線路を建設)。
- 1976年3月1日 現在武蔵野南線と呼ばれる府中本町 - 新鶴見操車場間が開業。同時に梶ヶ谷貨物ターミナル駅開業。
- 1978年10月2日 武蔵野線 新松戸 - 西船橋開業。旅客営業のみ。同時に行われた1978年10月2日国鉄ダイヤ改正で全国的に貨物列車が削減される。
- 1979年10月1日 東海道貨物線において横浜北方を迂回する新ルート開業、同時に横浜羽沢駅開業。また、大船 - 小田原間が複々線化・貨客分離。
- 1984年2月1日 同日のダイヤ改正にて、新鶴見操車場、武蔵野操車場が廃止。ヤード経由式貨物輸送廃止のため。
- 1986年3月3日 京葉線 西船橋 - 千葉貨物ターミナルが開業。西船橋・千葉みなと間で京葉線が暫定的に旅客営業開始。貨物営業は従来の千葉ターミナル - 蘇我のみ。
- 1987年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、武蔵野線(武蔵野南線含む)、京葉線は東日本旅客鉄道の所有となる。
- 1988年12月1日 京葉線 新木場 - 蘇我、西船橋付近のデルタ線が開業。ただし、新規開業した部分はすべて旅客営業のみ。
- 1990年3月10日 京葉線 東京 - 新木場が開業し、東京 - 蘇我間が全通。ただし旅客営業のみ。
- 1996年3月30日 東京臨海高速鉄道りんかい線 新木場 - 東京テレポート駅間開業。旅客営業のみ。※開業当初の路線名は「臨海副都心線」。
- 2000年12月2日 武蔵野線 新松戸 - 西船橋間、京葉線 西船橋 - 千葉貨物ターミナル間で貨物営業を開始。計画からすでに40年近く経っていた。
- 2002年12月1日 りんかい線 新木場 - 大崎間全通。
- 2008年3月31日 JR東日本が「グループ経営ビジョン2020-挑む-」において、京葉線・武蔵野線・南武線および横浜線の各線の総称を「東京メガループ」として指定し、今後、利便性・快適性を輸送サービス・駅設備・生活サービスのそれぞれの面から向上させ、他の放射路線や私鉄との乗り換えの利便性を図ることを発表。