教養部
教養部(きょうようぶ)とは、日本の大学において、人間形成に広く必要な学問を修得する課程である。
概要[編集]
2022年の日本の大学では大学設置基準で取得単位数のみが決められているが、各大学の判断で教養の単位と専門の単位の取得によって学位が認められており、大学は両方の講義を行い、教員を置く必要がある。ただし、近年は両方の講義を兼用することもある。
目的[編集]
大学で教養を疎かにして専門教育のみに特化した場合、大局的な考え方ができなくなるまま社会人となっていくため、そうした偏りを防ぐ目的で行う。
沿革[編集]
戦前の旧制大学は専門教育のみで、人間形成のための教養教育は旧制高校や大学予科で一部のエリート男子学生のみに向けて実施されたのみで、旧制専門学校などでは、教養教育は殆ど実施されなかった[注 1]。
太平洋戦争後の学制改革でGHQの教育担当は単一の高等教育機関となる新制大学には平等に教養教育を課すこととし、アメリカの大学にあったリベラルアーツカレッジを範に、前期教育課程として18か月、もしくは24か月を人文科学、社会科学、自然科学の三分野の教養教育に充てることとなった。
当初は、旧制高等学校を前身とする大学は分校組織(東大のみ教養学部として学部処遇)や文理学部で教養教育を行い、旧制高校が前身校に無い大学は、師範学校を改組して発足した学芸学部(教育学部)で教養教育を行うことになった。
東大以外で教養部が組織化したのは、凡そ1960年代である。
設置科目[編集]
下記の分野別科目の他、複数分野を融合した科目を開講する大学もある。
放送大学の授業振替が認められる大学では、開講されていない科目を卒業単位として認める場合がある。
人文科学[編集]
社会科学[編集]
自然科学[編集]
外国語[編集]
身体科学[編集]
- 保健学
- スポーツ実技
問題点[編集]
学生の不満[編集]
高等学校普通科から進学した大学生の中には、せっかく大学に入学したにも関わらず専門教育をなかなか受けられず、高等学校の延長のような教養の講義を受けるのは時間の無駄と思われる風潮があった[注 2]。
教養教育が軽視され、無気力な学生が居眠りする姿があちこちで目についた。また、教養部と学部を別々の場所に置いて、学生が不便に感ずることもあった。(大阪電気通信大学)
また、教員スタッフの関係から、希望する教養科目が開講されないことへの不満もあったが、昨今の共通教養科目では前述のように放送大学の科目の振替を認めることで解決している。
教職員の不満[編集]
大学のヒエラルキーで、教養部の専任教員は、学部の教員よりも処遇が低く置かれていた。
教養部の解体[編集]
国立大学で最初に教養部を廃止したのは広島大学である。広島大は東広島市移転を決めるほど学園紛争が酷く、40代で学長になった飯島宗一が新たな再建策を講じ、1974年(昭和49年)に教養部を総合科学部に学部昇格することで、教養部の教員処遇の引き上げに踏み切った。1977年(昭和52年)には岩手大学も教養部を人文社会科学部に改組している。
1988年に大学設置基準が大綱化し、教養教育の具体的な単位取得要件が撤廃されたことで、1991年頃から国立大学では、名古屋大や京都大では教養部を廃止して文理融合系の学部が設けられ、独立学部に転換しなかった大学では教養部の専任教員は各学部に分散配転されて教養部は解体された。
一方、国立大学では2000年代後半頃から教養教育重視へのゆり戻しが行われ、かつての教養部専任教員への処遇の反省から、「共通教育機構」のような連絡組織を作って各学部の教員が分担して全学の教養教育を担当し、山形大、茨城大や信州大のような広域の蛸足大学で東大駒場キャンパスのような1年次の全学共通教育が実施されている。
私立大学では、教養部を残しつつもその規模を縮小した例もあるが、多くは1〜2年の教養の集合教育を徐々に止め、教養教育を各学部に任せるようになり、新設大学では、専門外の共通教育は教育職員免許法で定められたほんの僅かの科目だったり、放送大学科目の単位修得を認める形で事実上丸投げするケースも生じている。ただ、慶大で文系学部生に自然科学の実験を課しているように現在も教養教育を重視している大学もある。
関連項目[編集]
- 高等学校
- 大学
- 池上彰 - 東京工業大学から理系頭に偏重させないことを期待されて、社会科学系教授として教鞭を取った。
- 司法試験第一次試験、弁理士試験予備試験 - 共に大学教養科目修了相当を検定する試験だった。廃止後これらに代わる高認の上位の国家学力検定は設定されず。